相克6

 翌朝。ファティスが城内を歩いていると剣撃の音が響いているのに気が付いた。どうやらそれが気になるらしく、彼女が音のする方へ向かうと、そこにはラムスとレーセンが交わす刃を打ち鳴らしているのだった。


「手緩い!」


 息を弾ませるレーセンがラムスを下し剣を収めた。剣は刃こそ潰されているが元は真剣であり、一度受け損なえば肉が潰れ骨が砕ける。加えてレーセンの腕前は確かであり、それを怪我なく受け切ったラムスの技量も悪くはないのであるが、どうにも彼は納得がいかぬらしく無念の面持ちで膝を着いていたのであった。


「その面構えは良し。が、貴様は痛みを怖がり過ぎる。守から攻への移りが遅い上、やっと転じてみても一振りが軽い。前にも言ったがな。剣は腕で振るのではない。全身と精神で振るのだ。それを忘れるな」


「……肝に命じます」


 息を切らせながらラムスは立ち上がり礼を述べた。玉粒のような汗が露出した肌に吹き出ており、およそ彼らしくない、野生的な色気がラムスから漂っていた。それを見たレーセンは嬉しそうに口角を上げる。兄として、弟が成長せんとする姿を喜ばしく思っているのだろう。


 そんな二人の前にファティスは近付き、「おはようございます」と挨拶がてらに声をかけたのだった。


「お疲れ様でございます、お稽古でございますか?」


「応とも。今朝早く、珍しくこの弟が俺の部屋を訪ねて来よってな。何かと思えば剣の稽古をつけて欲しいと言ってきたのだ。いつかにお遊びで怪我をさせて以来、師とは合わせても俺とは剣を合わせぬようになっていたのだが……中々どうして、やるようになったものだ」


「……あの時は、死ぬかと思いましたよ」


 その言葉にレーセンは笑ったが、ラムスの眼は本気であった。二人のやりとりを半ば呆れたように見るファティスであったが、レーセンにつられて吹き出してしまった。ラムスはそれを悲しげに見つめていた。二人の間から、疎外されているような感情を抱いているのが見て取れる。それは卑屈で陰気なものであったが、決して口に出さぬ健気さと儚さが彼の美徳であった。

 そのラムスの意を汲んだかのか、レーセンははたとして、ファティスに背を向け一呼吸の笑いを吐いた。


「それでは、俺は水を浴びてくるとしよう。後の片付けは貴様ら二人に任す。せいぜい、朝食に遅れぬようぬにな」


 レーセンは去り、ファティスとラムスは二人きりとなった。「まったくもう」と、嬉しそうに漏らすファティスにラムスは悲嘆していたが、彼もまた溜息を一つ吐き、ファティスに向かって言うのであった。


「片付けは私一人で十分ですから、どうぞお先にお戻りください」


 ラムスは暗にレーセンを追えとファティスに伝えたたのだった。

 ラムスはファティスに恋い焦がれていたが、自らがレーセンに劣ると決めつけ、なにをやっても敵わないと諦観していた。これもまた、彼の卑屈で陰気な質の性格である。だがファティスの方はそんなラムスの気など知りもしないものだから、「いいえ」と被りを振るのであった。


「お手伝いいたしますラムス様。レーセン様の身勝手に困るのは、私共二人の宿命のようなものなのでしょう。なれば、私一人、その星から逃げるのは卑怯というものです」


 ラムスは頰を赤く染め上げた。ファティスの悪戯な軽口にのぼせてしまったようである。これまでろくに女っ気がなかった彼にとって、ファティスに備わった天性の美と愛嬌は劇薬に等しかった。それを間近に見てしまったら、もはや抗う術などありはしない。


「で、では、お願い致します……」


 顔を背けあたふたと動き回るラムスをファティスは不思議な顔をして見ていた。彼女もまた、男を知ってはいるが男心は知らずにいる。彼女は、ラムスがなぜ平静を欠き慌てふためいているのかが分からず、その様子を眺めクスリと笑った。それが、どれだけ罪であるとも知らずに。








「ラムス様は、なぜ今日に限って稽古などを」


 片付けが一通り終わり、朝食の時間までの間庭に出ていた。ラムスの汗はすっかりと乾いていたのだが、ファティスのその一言により、先とは違う汗が流れるのであった。


「それは……」


 言葉に詰まるラムスはファティスの方を見る事が出来ず、顔を伏せ、しばし沈黙に苦しんだ。


「どうかなされましたか? それとも、お聞きしてはまずい事だったでしょうか……」


 不安そうなファティスの声に反応したのか、とうとうラムスは「いいえ」と声を発した。発したが、どうにもバツが悪そうに、歯切れ悪く、上手く話せずにいる。


「あの、お身体が優れないのでしょうか……」


「いえ、あの、そういうわけではないのですが、なんと言いましょうか……」


 また沈黙。どうにも空気が淀んでいる。ファティスの悪意ない視線が、ラムスを突き刺す。純粋な気遣いと好奇心が彼女の視線にはこもっていた。この状態で無言を貫けるのは、よほどの愚鈍か異常者だけである。ラムスは耐えきれなくなったのか、とうとう、絞り出すようにぼそりと呟いた。


「……ファティス様のお役に立てない自分を、悔しく思うのです」


「はぁ……それは、いったいどういった意味でしょうか……」


「……ファティス様が暴漢に襲われた時、私は何もできませんでした。動く事ができませんでした。それを、悔しく思ったのです。兄と違って、何もできない自分を、とても、恥に思います」


 それはまるで懺悔のようであった。ラムスはあの日の事を今日まで悔いていた。男達の形相に恐怖していたのを恥じていた。

 彼は争いに慣れていなかった。幼少の頃預けられた老夫婦の元で、彼は優しさと温もりに育まれた。人といえば育ての親と業者しかいない環境で彼は育った。争いなど起こるはずのない所で彼は生きていた。

 故に、彼が痛みに、戦いに恐怖を覚えるのは致し方ない事であった。しかし、ラムスは、そんな自分を疑い始めていた。勇気や胆力がないのは、自らが無力だからだと思い始めていたのだった。

 しかし、それは違う。勇気や胆力といったものは、力があるから湧き上がるものではない。譲れぬもの。勝ち得なければならぬものができた時、初めて魂の底から生み出されるものなのである。だが、ラムスがそれに気付くのは、まだ少し先の事であった。

 

 不安の吐露を聞いたファティスは、慈しみのある、柔らかな笑みをラムスに向けた。


「……大丈夫」


「え?」


「大丈夫です。ラムス様は、ラムス様だけの尊きところがございます」


 ファティスの言葉は優しくも残酷であった。遠回しに「お前には無理だ」と言っているようなものだから。

 だがラムスは、彼女に対し「ありがとうございます」と感謝の意を述べたのであった。それは、彼の美点でもあり、また、悪癖でもあった。






 時は過ぎ、ローマニアに風が吹いた。それはいつもの乾風ではなく、湿った、重みのある、不気味な風である。

 パルセイアが、クルセイセスがローマニアに到着したのであった。

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