相克1
ローマニアは今日もローマニアであった。
喜怒哀楽の喧騒が乾いた風に乗って市中を満たしており、そこがしろで囃し立てられる唄声は、乱暴に奏でられる打、弦、管の楽器によって、やはり乱暴に人々の耳へと届けられる。それを聞くも聞かぬも人の自由であり、褒めるも貶すもまた、自由であった。
外と同じく。立ち並ぶ店々もおおよそ賑わいを見せ、また、やはりそこでも賛美する者と文句をつける者に別れているのであった。それは、離れにある茶屋。【コーヌコピエ】でも変わらない。
コーヌコピエ
それは豊穣の象徴であり呪文であった。遥か昔からヘイレンに伝わる信仰である。ファティスはローマニアの老婆、エトルから借りた店にその名をかざしたのであった。
ファティスはロセンツォと会った後、すぐさまサンジェロスを出て、エトルについて周り店のやり方を学んだ。元より茶の趣味のあったファティスはトントン拍子に勝手を覚え、思ったよりも早くに店を持てたのである。
そのコーヌコピエに、何やら難癖じみた声が響いている。
「茶葉はいい。淹れ方も申し分ない。が、なんだこの茶器は。まるで安物ではないか。貴様はもう少し、もてなしの作法を学ぶべきだぞ」
そう憎まれ口を叩くのはレーセンであった。椅子に踏ん反り返り悪態を吐く様は暴君のそれで、事ある毎に、コーヌコピエの店主であるファティスに文句を言うのであった。
「茶菓子も既製品だな。これはよくない。前に出していた果実のパイはないのか。あれは自前のものだろう。毎日焼け」
「さすがはレーセン様。ものをよく知り、美食でいらっしゃいますね」
ファティスの引き攣った顔には青筋が浮かんでいた。普段、怒気など見せないファティスであったが、連日に及ぶお小言は腹に据えかねるようだ。
「無論だ。俺を誰だと心得ている」
レーセンはファティスの腹の虫など歯牙にも掛けず、いつも通りの不敵な笑みを浮かべて尊大な態度を取っている。レーセンはファティスが店を始めるや否やコーヌコピエに客として現れ、それから欠かさず茶を飲みに来るようになり、悪態をつき続けているのであった。
「貴様がいなくなってようやく城の陽当たりがよくなったと思ったら、今度は父上と弟めが影を見せるようになってしまったよ。貴様の陰気に当てられたのであろうな。まったく、困ったものだ」
レーセンの言うように、ファティスがサンジェロスを出るとファストゥルフとラムスは少しばかり覇気を失っていた。
「長らくお世話になりました。此度のご恩は、必ずお返し致します」
ファティスがそう述べると二人は必死で留めようとしたのだが、ロセンツォの手引きによって既に下宿先が決まっていたファティスは丁重にそれを断りサンジェロスを後にしたのだった。
「レーセン様。ファストゥルフ陛下は無理にしても、ラムス様に、お待ちしております。と、お伝え願えませんか?」
テキパキと仕事をしながらファティスは踏ん反り返るレーセンにそう言った。だが、レーセンの方はまるで興味がなさそうに「覚えていたらな」と生返事をするだけであった。ファティスはそんなレーセンを前にして一層顔を赤くするのであったが不思議と憎らしくは思っていないようで、その一連のやりとりを楽しんでさえいるように見えた。
レーセンの他に客は三人いたが、誰も無駄口を叩くファティスを咎める者はいない。気にするべくもない事と捉えているのか、微笑ましいと見守っているのか、はたまた、ローマニアの王子に畏怖しているのかは分かりかねたが、ともかく。三人が三人とも、ゆっくりと流れる時間と茶を楽しんでいたのであった。
そんな空間に「失礼します」と来客があった。よく響く、柔らかな美声である。
「はい。いらっしゃいませ……」
客を歓迎しようとしたファティスは一瞬の硬直の後、大輪の花が咲いたような笑顔を見せ「まぁ」と歓喜した。
「しばらくです。ファティス様」
「ラムス様! ようこそいらっしゃいました!」
突然の来訪に驚いたのはファティスだけではない。周りの客も、ラムス。という名が聞こえた瞬間、彼がいる出入り口の方を向いた。普段遊興に勤しむ兄とは違い、ラムスは、人目を避けるかのようにサンジェロスからあまり出ず、祭事の際にも顔を出す事が少なかったからである。
ローマニア内では、その生い立ちから表にでたがらないのだろうと同情する者もいれば、何か後ろめたい事があるに違いないと下衆の勘ぐりをする者もいた。いずれにせよ、ラムスは噂のタネとしては申し分なかった。故に、人々の視線が容赦な突き刺さり、ラムスは少しばかり同様しているようだった。が、ファティスは気にも止めず「さぁさぁどうぞ」と、彼をレーセンが座る卓へと同席させたのであった。
「ようこそおいでくださいました。私、ラムス様が来てくださるのをお待ちしていたんです」
「それは申し訳ありません。ですが、城を出られてから連絡がなかったものですからどうしたものかと……国王陛下も、便りの一つも欲しいものだ。と、大変寂しがっておられましたよ」
そう言うラムスに、ファティスは妙な顔をした。
「おかしいですね……私、お店を開いてから、何度かお手紙をお出ししているのですが……」
ファティスは確かにサンジェロスへ書簡を投じていた。そして、ファストゥルフとラムスがそれを読んでいないのも事実であった。
「それはおかしな話ですね。他の文は問題なく届いているというのに……」
顎に手を当て考えるラムス。それを見て、レーセンは茶を飲み干し、溜息まじりの声を出した。
「まぁよかろう。文を配る使用人とて人間だ。失態はある。大方、不要だと思い処分してしまったのだろう。大目に見てやれ」
レーセンらしからぬ言葉であった。平素であれば、「我が城の家来はまったく気位が高い。配達員の真似事などしたくないそうだ」などと皮肉を言うところなのだが、今日に限って庇い立てする異様さであり、その場に居合わせた全員が不審に思い首を傾けたのであった。
「……なんだ貴様ら。その態度は。無礼であろう」
「いえ……」
「なんでもございません」
ファティスとラムスが繋ぎ合わせるたように口を開いた時。もう一人コーヌコピエに足を踏み入れる者がいた。それは、サンジェロスに仕える使用人筆頭。カルロであった。出かけるラムスを見たファストゥルフが、街に慣れぬ息子の為に付けたのである
「ファティス様からの手紙は宛先関係なく渡せと、レーセン様が仰られたのです」
急に現れたカルロの言葉に、一同は、まさか。という風に顔を見合わせた。
「……」
「本当ですか?」という視線をファティスとラムスから浴びたレーセンは一呼吸して、例の不遜な笑みを浮かべた。
「やれやれ。家臣の反逆に合うとは……俺もまだまだ徳が足らぬという事か」
「黙っていろ。とは、申されませんでしたので」
無論、カルロはレーセンの命が秘匿されるべき事であると理解していた。しかし、あえてそれを無視しレーセンの破廉恥を公にしたのは、彼なりのローマニアに対する忠誠の表れであった。「私は貴方にではなく、王に、ローマニアに仕えているのだ」という意思表示である。レーセンはそれを察し、高笑いをして椅子から立ち上がった。
「なるほど。いや、これは確かに俺の失態だ」
笑い続けるレーセンに、ファティスは問うた。
「あの、なぜそのような事を……」
レーセンは「さてな」とだけ答えた。ファティスはいまいち要領を得ない顔をしたが、ラムスは神妙な面持ちとなり、それ以上は言及しなかった。
「では、俺はそろそろ行かせてもらう。ファティス。次来るまでに、せいぜい良い茶器を揃えておけ」
ファティスはコーヌコピエから出て行くレーセンを無意義に目で送っていた。ラムスはそれに気付き、やはり黙って顔を伏せるのであった。
二人の王子が、一人の女に、一つの想いを寄せている。その想いに気付かぬのは、ファティス一人なのであった。
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