東方戦記

オトギバナシ

第1話 辺境の村にて

 そこは街道から外れた小さな村。旅人を泊める宿があるような比較的大きな町までは、朝一番に村を出ても夕方、町の門が閉まる前にちょうど着くくらいの場所にあって、王が直接治める土地から外れた、国の東方にある辺境の地にひっそりとある。村人たちは互いに知らぬ者はなく、少なくてもここ数十年、大半が小さな村から出ることもないまま一生を終えていく。村を出る者といえば、良い相手に恵まれず、またはあぶれてツテを頼りに近くの村に行く者か、ごく稀に、小さな村の暮らしに我慢ならずに、どこかしらの町に出て何がしかの職人のところに奉公に入り、そのまま帰らぬ変わり者がいるくらいだ。


 そんな村にもう10年になるだろうか、よそ者が居つくようになっていた。村の者たちがその年月を指折り数えては、驚きを隠せないでいる。何故なら、けして短くない時間が過ぎているにも関わらず、そのよそ者たちが、初めに村にやって来た頃と変わらずに、今でも「よそ者」のままであるからだ。もとより外から誰かがやってきて、新たに暮らすようなところではないから親身になってあげたとは言えないものの、かといってあからさまに拒絶してきた訳でもない。要するに、問題があったとすれば村の者たちの側ではなく、そのよそ者たちにあったというのが村の者たちの一致した思いであった。


 まず、その者たちが村のまじない師の遠縁にあたるというのが、いけなかった。面と向かって避けることはないものの、まじない師は人々にとってやはり恐ろしくどうしても近づきがたい。その遠縁にあたるという触れ込みだけで、どうしてもおよび腰になってしまうのもやむを得ないだろう。そんなところに10年ほど前に村にやって来たのが、幼な子を抱いた男だった。子の母親らしき者はその時からいなかった。しかしふたりがやって来たところをちゃんと見た者は、実はいなかった。普段、よほどの用もなければ誰も近づかない、村の外れの森の中にぽつんと建つ、まじない師の家の離れに、いつの間にか見知らぬ男が寝起きしていたという感じで、まじない師も聞かれなければ自分から話すことはなかっただろう。だから、村のある女が三日三晩高熱で苦しむ子供を背中におぶって、意を決してまじない師の下を訪れていなければ、その者たちのことが村に知られるのは、もっと先のことになっていたに違いない。ひょっとしたらひと月程の間、まじない師以外の村の者に、その存在を知られずにいた男はしかし、知られるようになってからでさえ、自ら進んで村に馴染もうと努めることもなく、淡々と日々を送るばかりだった。


 男は名をカナンという。かろうじて名前だけは答えてくれたが、それ以外の質問には曖昧な笑みを浮かべるだけで、答えることは殆どなかった。どこから来て、何故この村に来ることになったのか。連れてきた幼な子は自分の子供なのか、母親はどうした等々……。いや子の名前はおろか性別さえもはじめははっきりしなかったのだ。この時代、幼い男子は女に比べて亡くなることが多かった。悪い精霊に幼い男の命が奪われると考えられていて、この地方ではそれを避けるために、あえて女がつけるような髪飾りを、1歳と少し、歩けるようになるまでは男の子の髪に留めておくのが慣わしになっていた。そのため男が何も言わないものだから、しばらくは髪に赤い飾りをつける幼な子を、男の子と思っていたくらいだった。しかし歩けるようになっても髪飾りを付けていることで、ようやく女子であると知れたのだ。


 さて、このカナンという男だが、見た目は取り立てて特徴のない、どこにでもいる寡黙な者という印象の、40になるかどうかくらいの男だった。年齢もはっきりしないが、村に来て10年ほど経つが、目立って年を取った感じはなかった。挨拶をすれば返しはするが、けして自分から話すことはなく、何をしているのか全く分からない。日々の糧を得るために畑仕事をする訳でもないが、暮らしに困ってるようには見えなかった。町に出て買い物をする者がいれば必要なものは頼み、その支払いはいつもきっちりと払い、遅れることもない。まじない師の手伝いをしていくらかの小遣いを得ている風でもなく、豊かでない村人たちから見ても質素に暮らしていたが、村に来る時には既に、かなりの金を持っていたとしか考えられず、それだけの金を持っていることも村人たちは不思議に思っていた。


 一方、幼い少女は、得体の知れない者として10年程の月日の中で、完全に浮いた存在になっていた。魔除けの髪飾りはいつまでもその豊かな黒髪を彩り、赤い石がはめ込まれたその飾りは、彼女を象徴するものになっていた。また何よりもその美しさは桁外れで、近づくことさえためらうほどであった。それは3つかそこらで既に明らかになっていたが、長じるに従い益々美しくなっていき、あまりの人間離れした美しさに、あの娘は人ではない、“とこしえの君”の一族に違いないと村の者は声を揃えた。“とこしえの君”、というのは、もはや伝説のような、おとぎ話の世界の話のように語られるが、この世界を創った「唯一なるもの」が、遥か昔に人よりも先に創ったとされる、人に似て人にあらざる者たちのことをいった。総じて美しく頑健で、多くのことにおいて人よりも優れるが、決定的に違うのは、永遠の生を持っていることだった。人よりもその成長ははるかにゆるやかで、成人に達していないように見える者でも、人の倍ほど生きているのはざらで、その上、老いを見せることなくいつまでも生きていられるのだ。


 その子は、その美しさにおいてとこしえの君と言われただけではなかった。赤子の時ですら声をあげて泣いたこともなく、声を掛けても全く返事をしない。耳が聴こえない訳ではない証拠に、カナンとは話をするのだ。しかし、同じ年頃の子たちが遊んでいるのを見てもまったく関心を見せず、畑や牧草地で働く村人を遠目から眺めても、その目には何の感情も読み取れない。それはまるで、地を這う蟻などの虫をただ無心に眺める人のようで、その視線に晒された者は皆、自分が無力な取るに足らない存在であるかのような、落ち着かない心持ちになる。そんな少女に、ただおかしいというのではなく、言い知れぬ恐ろしさを村人たちは感じていた。


 そうして10年ほどの月日が流れ、幼な子は少女になり、益々美しさとそれに比例する恐ろしさを秘めたまま、何をしているか分からぬ暮らしをカナンと続けていた。村人たちもふたりの存在はほぼないものとして自分たちの営みを続けていた。お互いに存在を認めながら、無関心を貫くことで落ち着いたといったところだ。だから誰もふたりの下を訪れることはなかった。しかしある晩、彼らの家を訪れる者があった。夜の訪問者のもたらした報せはふたりにとっては勿論、その小さな村はおろか、国の東の辺境の地一帯を揺るがす騒乱の先触れとなるのだった。


それは国の歴史書にも新たに記されることになる、人と鬼との戦であった。

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