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  • そして、その山は岩山です。
    慣れている方は、例えば70代、80代の方々も日課で登るぐらい低い山なのですが、傾斜のキツい岩山で、まさに、まさに……というところです。

    俳句、川柳…小説を書くのとは別種の才能が要りそうですね~。

    作者からの返信

     応援コメントをありがとうございます。

     岩山のご経験をお持ちのようで、親近感を覚(おぼ)えました。

     若い頃は、ザイルで確保されないと行けない所も登っておりましたが、体重も重くなってきて、もうとてもできそうにありません。

     せいぜいが、きちんと鎖がある奥穂と西穂の間くらいです。(北アルプスにそびえる穂高岳の奥穂高岳と西穂高岳のことです)

     なので、この句も思い出を詠んでおります。

     岩を登っている時は個人の技術と体力の勝負で孤独なのですが、ザイルを使う登攀には仲間がいます。

     危険な箇所に差し掛かっても、無事に帰れるんだと思い、下界の暖かいものを思い出したのでした。
     その象徴として『居間の暖』を選びました。

     この句は前の句よりも多くの時間を費やしました。私には才能が無いので、好きだから時間をかけて何とかできているって感じなのです。


  • 真冬に低山ですが、山登りをする機会が有りましたので、ストンと情景が降りてきました。

    善いです。

    作者からの返信

     応援コメントをありがとうございます。

     情景を思っていただき、また、私の体験を共有されたように感じて嬉しいです。

     私も冬の高山は大変なので、ほとんど行っておりません。
     この句も低山の時の思い出を詠みました。

     もう麓へ降りなければならないのに、まだ到着していない焦りも入っています。

     最近はほとんどなくなりましたが、若い頃は写真撮影に夢中になって、予定時間をオーバーすることがよくありました。

     たいがい1人なので誰かを巻き込むことはありませんでした。

     雪を踏みしめながら、眼下に見える里(郷)の明かりに気付いて、まずいぞと思って足を早めたのでした。

     その頃の思い出が、ふと頭に湧いてきたので、何とか残したい思い詠んだのでした。

  • こんにちは~^^

    なるほど。「攀じれる」という言葉は初見でした。短い中にも、広く深みのある意味が込められている言葉を採用するのは、俳句・川柳を詠むにあたって強みとなりますね☆

    岩山を人生や別の困難な出来事にイメージを転化させる事は、読み手としても容易かなと思います。岩登りの経験が無くても十分に伝わるのではないかなと^^

    下五の「暖」は、「暖かい」のと「温かい」のを別解釈で考えてみると、さらに全体の句のイメージが変わって面白そうですね。
    当初の「暖かい」ですと、気候のイメージが強いので、岩登り中でも高所による寒さで肌冷えしている頬に対し「暖が欲しい」という連想が……自分は最初に出てきました。
    これが「温かい」になると、家族や日常の温かみを伝えるイメージにもなるのかなと……無事に生還できれば「温かい」ご褒美が待っている事を想定するならば……仮に、仮にですよ、家族が待っているという設定で、思い切って「家族の手」という下五にすると、「暖」より「温」というイメージが出てきそうな気がします。

    勝手に一人で妄想を楽しんでしまい申し訳ありません。
    俳句や川柳は、短い言葉の中でも大きな想像が後から後から出てくるものなので、妄想に歯止めが効きませんな^^;

    作者からの返信

     嬉しいコメントをありがとうございます。
     一歩踏み込んだ感想をいただくと、感無量です。

     「攀じれる」は登っている途中と言う意味で使いました。「○○る」を「○○れる」にすると、その最中と言うイメージがありました。

     おっしゃるとおり、岩登りの経験がなければ、それに見合う経験に置き換えれば大丈夫と考えますね。
     言われてみて気づきました。ありがとうございます。

     冷と暖の対比(差)は私の意図するところでして、汲み取っていただき、ありがとうございます。
     やった! という、想いです。

     そして、「家族の手」という、更に一歩踏み込んだご提案をありがとうございます。
     私はそこまで踏み込めませんでした。

     踏み込めなかった理由を自分なりに考えました。岩壁登攀はチームで登るのですが、登攀中は声のアドバイスくらいで、誰も助けてくれません。自身の力や技量で登らなくてはなりません。
     なので、弱気は禁物なんです。
     少しならいいんですが、あまり家族や下界の友人のことを考えていると、岩壁と向き合えなくなってしまいます。

     そんな自分なりの経験から、踏み込めなかったと推測します。自ら縛りを作っていたのかも知れません。

     踏み込めるということは、ずっと感覚が豊かだと思います。
     私も固定概念にとらわれないように、気をつけようと思います。

     五七五は、非常に短いですよね。だから、想像の翼がどんどんと広がります。
     伝えたい方向をある程度定めて、そちらへどこまで誘導するのか? 五七五には、そんな感覚を持っています。
     でも、誘導した先はもう読み手の世界なんです。
     そのまま真っ直ぐ進むのか?、曲がるのか?、はたまた来た道を戻るのか?
     読み手の感覚にゆだねられます。
     そういうところも、「なんか楽しいな」と思っています。
     
     早くからのコメントをありがとうございました。

  • こんにちは~^^

    なかなか深く広い景色を浮かべる事ができました☆
    雪山は夏でも雪山……今は雪が無くともシーズンになれば一面の白い世界。夏でも冬でも、立ち見れば街の灯りが広がる光景は変わらないのかなと感じました。

    シーズン問わずに「涼しさ」を感じられる一句ですね^^

    作者からの返信

     早速ありがとうございます。

     雪山は夏でも雪山、気がつきませんでした。
     感性が豊かですね。

     読む人に先入観を持ってもらいたくないので、その時の状況は解説しませんでした。
     それぞれの感性や経験によって、情景を思い浮かべていただければと思います。

     ただ、雪というところで、多少なりとも冷気を感じていただければ、と思いました。

     この「短展」の開設は、愛宕様による俳句の公開に、影響されております。
     特にテーマはなくても、公開したい時に好きなものを公開すれば良い、と言う方法に気づかされました。
     私はテーマとか、多視点とか、気負っていたのかも知れません。

     などもあって、今後ともよろしくお願いいたします。