第二部17熊野

 山々の緑は深かかった。

 その深い緑のそこここに、生々しい黄色い傷跡がある。先日の大地震は熊野の山並みも大きく揺さぶったらしい。

 いや、らしいどころの話ではなく、現にこの旅の間も余震は度々起こり、一行の足を止めた。

 「何も今、いかなくても。」

 史にはそう言われて止められた。報告に赴いた川島皇子にもだ。

 けれど今、行かなくてはならない。

 あれだけの大きな地震だ。

 多くの集落が滅ぶだろう。せめて今、伝承の欠片の残るうちに拾い集めてしまわなくては、全て消えてしまう。

 史の配下に写経生が何人も置かれたので、清書や纏めの仕事は史に任せておける。安麻呂と阿礼が都にいなくても問題はない。

 阿礼はのびのびとしている。

 安麻呂にはそう思える。

 阿礼は比売田の名乗りを捨てた。そして稗田と名乗り始めた。それから、阿礼は何かを吹っ切ったように思える。吹っ切って、ひたすらに伝承を集めている。

 そんな阿礼は、少し眩しい。

 安麻呂は阿礼の上に、子供の頃の少女のようだった阿礼の面影を、ふと見ることがある。声を失い、歌うことはなくなっても、楽しそうに物語を集める阿礼は美しかった。

 熊野への道すがらには古い東征の物語も散らばっていた。

 とにかく聞いた物語を片っ端から書き留めてゆく。全体の組み立てはあとでいい。今は欠片を集めなければならない。

 それでも物語を集めていれば、古い伝承の主の息吹をふと感じる。

 ここを歩いたのだ。

 この道筋を軍勢が進んだのだ。

 ひたひたと機内に向けてひたすらに進んだ、征旅の軍があったのだ。

 その軍勢は当然ながら地元の民と出会い、ときに戦い、和合し、今の国のもといとなったのだ。

 それはまさに先人の遺した息吹を辿る旅だった。

 物語が目の前に開けてくるときめきは、安麻呂自身の中にもある。今まで分厚い時間の向こうで判然としなかったものが、実際にその場所を歩き、伝承を集めることでいきいきと蘇る。

 伝承は御門の勝利や栄光ばかりでなく、敗北や苦悩も伝える。敵対者にもいさおしがあり、誇りがある。

 裏切りがあり、策略があり、悲しみがうまれ、喜びがあり。

 確かに生きていた。

 かつてそこにあった。

 そして自分たちの生きる、この今につながっている。

 都から陸伝いに熊野まで歩いたことも大きかったのかもしれない。それは単に津波のせいで船が多く失われ、そうでなくとも船の空きがなく、しかも港の多くも津波にさらわれ、船旅の算段がつかなかったということなのだが、結果的に実り多い旅になった。

 やがて東征の物語に絡まるように、国生みの伝承があらわれはじめた。


 さらさら

 きらきら

 阿礼はそっと懐の人形を押さえた。

 常に持ち歩くことはやめているが、阿礼が都を離れるときは、サキの人形も連れて行く。そしてサキの気配を感じると、そっと着物ごしに人形に触れる。サキは阿礼と共にある。たとえ世界を異にしても。

 あの大地震と津波以来、サキの気配を感じることが頻繁になったように思う。未曾有の災厄に、黄泉と現世うつしよが近づいてでもいるのだろうか。

 四国から都へ戻る道すがら、そして都から熊野への道程においても、地震の被害のない場所を見つける方が難しいような有様だった。

 比売田の里でも火事が起き、何人もの死者がでたらしい。その事を阿礼が知ったのは、なんとか都にたどり着いたあとで、当然全ての後始末は終わってしまっていた。

 それでも、様子を見に行こうかとはおもったのだ。でも、行きそびれてしまった。

 里に下がっている真礼が無事である事はわかっていたし、今更行ってもやることもない。それに、この災厄で消えそうになっている伝承が数多あるはずだと思えば、そちらの収集の方が急がれる。そういう、理由は一応ある。しかしそれ以上に阿礼の中に行き辛い気持ちがあったのも事実だ。

 阿礼は比売田の名を捨てた。

 それは真礼と違う道を選ぶことを、宣言したと言う事だ。

 その事が阿礼の足を重くした。真礼がその事実に傷つき、怒っているかもしれないことが怖かった。後悔はなくても、真礼を傷つけたいわけではなかった。

 稗田、という名のりを口にした時に、阿礼の頭にあったのは、今はもうないサキの里だった。米よりは稗の田が多く、いつでも稗がちの粥を食べていた。サキと最後に一緒に食べたのも稗がちの粥だ。中に阿礼がとった猪の脂かすが入っていた。

 あの日、帰りはずいぶん遅くなって、もう暗かった。帰ってゆこうとする阿礼を、サキが心配して引き止めたそうにしたのを覚えている。けれど阿礼が強いて戻ったのは、阿礼の意地のためだった。

 すでにサキの婿などと呼ばれるようになっていた阿礼がサキの家で一夜を過ごせば、それはもう「そういうこと」になってしまう。阿礼はそれが嫌だったのだ。サキを妻問うならそんななし崩しの形にはしたくなかった。相応しい贈り物を携えて、きちんと申し込みたかったのだ。

 でも、あの時いっそサキの家に泊まって、サキと契っておけば、何かが変わったのだろうか。死者ではないサキと寄り添い、子を成して暮らせる未来があったのではないか。そんな気持ちに駆られることもある。

 それとも結局はサキを喪って、肌を重ねた記憶の分、いっそう苦しむことになっただろうか。

 いや、それも良かったのかもしれない。

 今も消えることのない喪失感が、いっそう深くなる事があり得るというのなら、それを味わい尽くし飲み干してしまいたいとさえ思う。そうする事でいっそうサキと近々と寄り添いたいと思うのだ。

 熊野で集めることのできた国生みの夫婦神の伝承は死にまつわるものだった。

 淡路で生きる希望に満ちて契を結んだ夫婦神は、熊野で思いがけないほどの悲劇で引き裂かれていた。国生みの女神は、炎神を生んだ折に女陰ほとを焼かれて亡くなったのだ。七転八倒の苦しみの中で、さらに神々を生み続けたその最期は壮絶なものだった。

 女神の苦しみは凄まじいものだったろうが、男神の苦しみも、また凄まじいものであったに違いない。ただ一人の大切な妻が、苦しみ、もがき、死んでいくのを側でただ見ている役割はあまりにも残酷だ。男神は妻の死の原因となった我が子を斬り捨てたというが、それも無理はないと思う。

 男神は妻のいない世界に倦み、黄泉へ妻を連れ戻す旅に出る。しかし結局は妻を連れ戻す事は出来なかった。妻の姿はすでに生者のそれではなかったからだ。

 男神は妻との決別を受け入れるより他になかった。

 なぜ、男神は自分が黄泉に移ろうとは思わなかったのだろう。まだ若い世界には男神が必要だとわかっていたからなのだろうか。

 死は恐ろしい。

 死によっておきる変化はおぞましい。

 だが、巨大な喪失感に比べれば、それが耐えられないものとは阿礼には思えない。

 さらさら

 きらきら

 滲むように気配が濃くなる。

 世を異にしてもなお、阿礼に寄り添う愛しい吾妹わぎも

 サキは阿礼をこの世に留めるために、今も現世にとどまっている。 

 「大丈夫、自ら求めて黄泉へ降りたりなどしないから。」

 ささやくと、静かに気配が遠のいてゆく。

 サキに触れたい。

 サキの姿が見たい。

 サキの声が聞きたい。

 そう思わないわけはないが、それでもなんとか耐えられると思う。

 仄かな、あるかなしかの気配。阿礼だけに聞こえる貝殻の簪の鳴る音。サキが寄り添ってくれている幽かな実感が阿礼をつなぎとめている。

 深く美しい熊野の山並みのそこここに眠る夫婦神の伝承に阿礼は思う。この世に戻った男神は、大きすぎる喪失をどうやって耐え抜いたのだろう。

 

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