おかんの味【パウバルマリ食堂】は、店主都合により休業します。

侘助ヒマリ

プロローグ

「いらっしゃいませー!」


 紺地の暖簾のれんをくぐりガラリと引き戸を開けた鎧姿の男を、この店の看板娘エリカが明るい笑顔で迎え入れた。


「カナウさん、今日はいつもより来るのが早いな!」


 男がカウンターの定位置に座ると、湯呑みにお茶を注ぎながら娘が親しげに話しかける。


「ああ、今日は一見いちげんさんのパーティを闇の森の入口まで案内するっていう簡単な仕事だったからな。午前中で終わっちまったんだ」


 お茶を一口すすった後で、男はカウンターの内側で大鍋をかき回すかっぽう着姿のおばさんに声をかけた。


「おかん!いつものやつね!」

「まいどー!」


“おかん” と呼ばれたおばさんは、振り返ると金で覆われた前歯を見せてにかっと笑う。

 いわゆる “おばちゃんパーマ” を三角巾の下に押し込めてはいるが、かっぽう着の下から覗くヒョウ柄のスパッツがただならぬパワーを秘めていることを感じさせる。


「今朝エリカちゃんがハルバの湖でタヨトゥをぎょうさん釣ってきてくれたんや。

 いつもはフライ二枚のところ、今日は三枚にサービスしとくで!」


 おかんは真っ赤な体に毒々しい緑色の縞が入った三匹の魚の体を手早く切り開くとパン粉の衣をつけ、黄金色の油の中に滑り入れた。


 ジュワァッと油のはじける大きな音がプツプツと細かな泡の音に変わるまでの間に、三十席に満たない小さな食堂はどんどん客で埋まっていく。


「はいよ! タヨトゥフライ定食お待ち!」


 カウンター越しに差し出された皿を男が受け取ると、エリカがほかほかの白飯と味噌汁、付け合わせのウタリオのお浸しを横に置く。


 女二人で店を切り盛りしているが、なかなかどうして、てきぱきと客をさばいているので待たされることが少ない。

 手早くリーズナブルに、しかも村ではあまり食べることのない食材で美味いメシが食えるのだから、わざわざへ通う甲斐があるというものだ。

 おまけに常連になればおかんがこうして何かとサービスしてくれるし、若くて可愛いエリカとも気安い会話を楽しめるようになる。


 口元を緩ませた男が割り箸をぱきんと割ってタヨトゥにありつこうとした時――


「待ていっ! そちらへ行ってはいかんっ!」


 エリカの鋭い声が狭い食堂に響いた。


 見ると、異世界人自分たち専用の出入り口の取っ手に手をかけた現世界人こちら側の中年男が慌てふためいている。


異世界そちらへ足を踏み入れれば、お前たちなぞ魔物やモンスターに襲われて命を落とすのが関の山だ。

 ちゃんと現世界人専用の出入り口から帰るように」


 エプロンの下から短剣を抜き出して構えるエリカに、冴えない中年男があわあわと弁解を始めた。


「いやぁ、たまたま出入り口を間違っちゃっただけだよぉ。

 ごっ、ごちそうさーん!」


 そそくさと反対側の引き戸を開けて出て行く中年を見送ると、エリカはやれやれと苦笑いして鎧姿の男を見た。


「ああしてこの食堂から異世界に転移しようとする奴がたまにいるから気を抜けないのだ。

 転移さえすれば人生をやり直せるとでも思っているらしい。

 実際、異世界あっちで生き延びられる現世界人はくらいなものであろうに」


 エリカの言葉を受けて、厨房で動き回るおかんがニヤリと笑った。


「エリカちゃん、人をバケモンみたいに言わんといてえ!

 3番テーブルにこれ運んでやぁ」


「はーい」


 そんな二人のやりとりを見ていた男はふっと笑いを漏らすと、今度こそ熱々のタヨトゥのフライに箸を突き立てた。


 何はともあれ、おかんの店「パウバルマリ食堂」は本日も絶賛営業中であった。


 そう。


 あの事件が起こるまでは――




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