第11話α 神の国へ

 「ピトさま」

 まだ夜が明ける前なのに、リコはわたしの側に立っていた。

 「どうしたの? リコ」

 「……お別れを言いに来たの。わたしはここを出ないといけない」

 「……どうして?」

 「みんな神様になっちゃったから」

 「……どういうこと?」

 ……今の声は何?

 「今の叫び声は……?」

 「……来て。くればわかる」

 小屋を出て神殿に近づくと、叫び声はどんどん大きくなる……。

 怖い……。

 でも、リコはおじる様子なく、まっすぐと……たんたんと歩いていく。

 リコが少しでもおびえるしぐさをしたら、わたしは逃げ帰っていたかもしれない。

 「うおおぉぉ! ああぁぁっっ! かああぁあ!」

 ひっ……。

 突然横の通路から人が飛び出してくる。

 びっくりしてつい、しりもちをついてしまう。

 顔を見て、さらに驚く。

 ……プロフェテス。テイレシウスだ。

 どうしてしまったんだろう。とても正気には見えない。

 「だいじょうぶだよ。襲ってはこないから」

 「……この人はどうしちゃったの?」

 「神様になったの」

 「かみ……さま……?」

 「うん、そうだよ。ピトさまがいっつも儀式場でやっていること」

 「いつも……?」

 もしかして、神憑きの儀のことかな……。

 こんな風になってしまうなんて……。

 ふと気付くと、取り付かれたようになっている人はプロフェテスだけじゃない。

 同じように、目を見開いて、うめき、さけび、うつむいている。

 見覚えのある顔たち。かつて神官だったなにか。

 これが神に憑かれた人たちなんて……。

 わたしが儀式の最中、あの時はいつも意識が消えてしまうから……、じぶんがどうなっているかなんてわからなかった。

 わたしもいつもあんな風になってしまうのだろうか……。

 目が見開かれて、人の言葉とは思えない音をぶつぶつと発したかと思うと、突然からだを大きくのけぞらせながら、大声で叫んでいる……。

 これが、神に憑かれた時の姿なの……?

 リコにはすこしも驚いている様子はない……。

 わたしがこうなっているところを見たことあるのかな……。

 「わたしもこんな風になってたの……?」

 「ピトさまはこんなに醜くないよ」

 みにくくない……。ここにいる人はみにくいんだろうか……。

 「わたしはみにくくないの?」

 「うん、きれい」

 「………………」

 ほかにも聞きたいことはたくさんあるはずなのに、うまく言葉に出来ない。

 「どうしてみんなこうなってしまったの……?」

 「………………」

 リコはしばらく黙っている。

 「みんな神様に近づきたがっていたから、わたしがこうしてあげたの」

 「してあげたって……?」

 「ピトさまがいつも使っている薬を分けてあげただけ」

 「薬って……地下の、あのいやなにおいのこと……?」

 「そう。みんな神様に近づきたがっていたから、本望だと思うわ」

 これが……神さまなの……?

 こんなおそろしい人たちが……?

 突然大きな音が左奥から聞こえる。

 見ると、おばあさんがしりもちを付いている。

 口は、泉のさざめきのように小刻みに震え、目はとても大きく見開かれている。

 「あんたはなんて恐ろしいことを……」

 今の会話が聞かれてしまっていたみたい。

 「恐ろしいこと……? どうして……?

  みんな、神に近づきたいと思っていたのに……。

  神のお言葉を聞きたいと思っていた……。

  みんな神になりたがっていたんだ……」

 リコは怒っている……?

 「あんた、こんなことして後で神官たちに何されるかわかったもんじゃないよ」

 「後で……? 大丈夫よ。この人たちは元に戻らないもの」

 ……おばあさんは何もしゃべらない。

 「でも、どの道わたしはここにはもう入られない」



 神殿を抜けたリコを追って、カスタリアの泉の前に来た。

 神殿はどうなってしまうんだろう。もうあそこには戻れない。

 リコは遠くを見ている……。

 「あそこにいる人たちは神様なんて信じていない。ピトさまのことを、自分たちで都合よく預言を言わせるための道具だとしか思っていないんだわ」

 「そうだね……。大神官さんが亡くなってからわたしもそれにやっと気付いた。わたしにやさしくしてくれていたのはあの人だけだったって」

 でも大神官さんのおじいさんだって、月桂樹の煙を吸い続ければどうなるかって知っていたはず……。知っていて……わたしに儀式を行いさせ続けてたのね。

 結局わたしを可愛がってくれた大神官のおじいさんも、ずっと見下していたプロフェテスも同じなの……?

 でも、おじいさんはそれが人々のためになると思っていたから。

 神さまがわたしに取り付いて、預言を伝えるってことを信じていたから。

 それがわたしみたいな何の取り得もない娘にとって最も名誉ある生き方だって信じていたから……。

 ……だから、大神官さんがそれを知っていたとしても……。

 月桂樹の煙を吸い続ければいつか気がふれてしまうということを知っていたとしても……。

 それは優しさだと思うの。

 「そう、大神官さまは神様をよく信じてらっしゃったわ。あいつがあんなことさえしなければ……」

 「ううん、リコ、それは違うよ。優しさ……。でも、それは残酷な優しさね」

 リコは黙っている。

 どうして、プロフェテスは神さまを信じていないんだろう……?

 どうして、神さまを信じている人と信じていない人がいるの……?

 あの地下の……薄暗い部屋でわたしが感じたモノ。

 わたしの心をはげしく揺さぶって、わたしをわたしじゃなくさせたもの。

 あれが神さまなんだろうか……?

 でも、あの時のわたしは、意識が朦朧としていて、神さまに乗り移られた時のことは良く覚えていない。

 「神さまってなんだろう……。ほんとにいるの?」

 「わたしもね、神殿の不信心な人たちを見て、ほんとに神様っているのかなって思ったことがあるの……。神殿の神官たちに利用されていることをかわいそうに思って、神様が教えてくれたの」

 「でも、わたしはそれを知らないほうがきっと楽だったと思うの。あんなにつらいのなら、知らないほうが幸せだったかも」

 それに……わたしの見た夢はほんとに神さまのお告げだったのかな……?

 確かに、わたしじゃあ絶対に気付けないようなことだったけど……。

 「でも……神様はピトさまに知って欲しかったんだと思う。だから、あの人たちは神様に近づくことが出来たんだよ。

 みんな神様になったの」

 リコの言っていることはわたしにはわからない。

 泉の真ん中で、広がっている水のうねりを、わたしはただじっと見ている。

 「ここに月桂樹の束があるの。これでわたしも神様を知る」

 「……!? 駄目だよそんなことしちゃ。神殿の人たちみたいになっちゃうよ」

 「でも……わたしはもうどうすることも出来ないもの。

  一人じゃあ生きていけないし。神殿には戻れないわ。

  神様の国に行くこと。これがわたしにとって一番幸せな生き方だもの」

 「そんな……」

 「でもピトさまはだいじょうぶ。後に就く神官が今と違った人たちになるかはわからないけど……」

 「……。家にも……もう帰れないから……。わたしも行くよ」

 ゆがんだ声になってしまう。

 顔を上げると、リコもなみだを流している。

 「ごめんなさい……。神様を信じてもいないのに、巫女を利用するだけ利用して……、そういう人たちに、もう一度神様を知って欲しかったから」

 「あのひとたちは……神さまの国に行ったのかな……」

 「それはわからないよ。神を知ったからといって、神の国にいけるわけではないもの。あそこのひとたちは、神様を信じていなかったから……神の国にはいけないと思うわ」

 「そう……」

 「でもピトさまなら大丈夫。神様のご加護を常に受けているんだもの。わたしは行けるかどうかわからないけれど……行けたらいいかな……なんて……ピトさまと一緒に……」

 ……。

 遠巻きに、対になった月桂樹らうりえの木が見える。

 朽ちかけている片方の木から花が咲いている……。

 そよかぜで吹き飛んでしまいそうな……弱弱しい花。

 「……そうだね」

 わたしは最期に、そうぽつりとつぶやいた。

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