第4話 神殿へ

 次の日。

 昨日と同じ人たちが同じ場所にやってくる。

 「よろしくお願いします」

 わたしは御車で神殿に招かれて、とてもえらい神官の方と会うことになった。

 えらい、というのは、別の神官がそう言っていたから。

 「これからお会いする人は高位の大神官なので、くれぐれも粗相の無いように」

 と言ったのは御車で向かいに座っていた神官さん。

 わたしは案内された部屋に一人取り残されてしまう。

 落ちつかずに、部屋をきょろきょろしてると、誰か入ってくる。

 とてもえらい神官と聞いて、どんなこわもての人が来るのかと思ってたけど、とてもやさしそうなおじいさん。

 そして、どこかで会ったことがあるような気がする。

 あれ……?

 「この前、村で迷っていたおじいちゃん?」

 「そうとも。わしがこの神殿の神官長じゃよ」

 ………すごい人だったんだ。

 どうりで聞いたことのある声だと思った。

 例祭の日にいっつも巫女さんと一緒にいた人だったんだ。

 いつもは遠くから見ていたから、顔がよく見えてなかった。

 こんなおじいさんだったの。

 「隠していてすまなかったな。わしが神官だというと、警戒してしまうじゃろう?」

 ……そうだったんだ。わたしなんかでよかったのかな。

 「どうしてわたしが選ばれたの?」

 ちょっとぶっきらぼうな聞き方をしてしまう。

 けれどもえらいおじいさんは特に気にも止めずに、にっこりとしてこう答えた。

 「お嬢さんはね、霊山パルナッソスで生まれ育ってきた。霊力テュモスを常に受け続けていたんだよ」

 「ぱるなっそす?」

 「おや、ご存じない? お嬢さんがすんでいたところだよ」

 「わたしが住んでたのはリュコレイアっていうところだよ」

 「リュコレイラはパルナッソスの一部だ。あの辺の山一体を指して、パルナッソスと呼ぶのだ」

 そうだったの。山から下りることなんてほとんどないから知らなかった。

 わたしにとって、山はひとつひとつ違うものだし、山全体をなんて呼ぶかなんて考えたこともなかった。

 「霊山パルナッソスは霊力テュモスに満ちた山だ。あそこで育った者は、霊力テュモスの恩恵を受けているのだ」

 そう言われて、ある疑問が頭に浮かぶ。

 「でも、お姉ちゃんもずっと山で育ったよ?」

 「そう。あなたは霊山で生まれ育っただけではなく、その霊力テュモスを受け入れられるだけの感受性パトスがあるんだ。普通の人は霊力に当たってもそれを心に取り入れられるだけの器を持っていない」

 「……?」

 「歴代の巫女は皆、パルナッソスにある集落から選ばれている」

 「そーなの?」

 「そうとも、そこで育った人は皆霊力に対する感受性が強い。パルナッソスには十二の集落があってな」

 「そんなにあるんだ」

 「その中で最も巫女にふさわしい女子が選ばれるのだ」

 「どうして女の子なの?」

 「ふむ、なかなか良い質問だな。それは、この地の由来にある。それは弁論の際には非常に役に立つものだが、神の預言を聞く際には寧ろ邪魔なものなのだよ。

 それよりも感受性パトスにすぐれた女こそが、神の声を受け入れやすいのだ」

 …………よくわからない。

 「まあ要するに、多くの事を感じられる女の方が預言者に向いているというわけじゃ」

 たくさんのことを感じられる。

 そうなんだ。

 「わたしはたくさんのことが感じられるの?」

 「そうとも。お嬢さんはこの世のものではない物が沢山見えているようじゃ。お前さんはわしと話している時、わしの声はどんな色に聞こえる?」

 「うーん、水色かなぁ」

 こんな質問してくる人はじめて。

 どうしてこんなことを聞いてくるんだろう?

 「そう。お嬢さんは人の声に色を見たり、泉の声を聞いたりすることが出来るじゃろう? そしてそういったことが巫女に重要な能力なんじゃ」

 そうなんだ……。

 わたしにしか出来ないことがある、そういわれて胸がここちよく高鳴る。

 その様子に気付いたのか、おじいさんはうれしそうに微笑んでいる。

 「この神殿で祭られている神様の話をしておこう。そんな神様に仕えることが出来る巫女は世界で最も崇高な巫女なのじゃよ」

 「すーこー?」

 「そう、神自らに呼ばれ、聖別されてこの社の巫女になることは神の大きな恩寵であり、神に対する大きな責任を負うことなのだ」

 すーこーってなんだろう。

 えらいってことかな……?

 きっとそうなんだと思う。

 わたしは期待されてるの。

 どきどきが抑えられない。

 頭がぼんやりとして、すぐ近くにあるはずの床がずっと遠くに見える。

 「喜んでくれて嬉しいよ。そう、これは喜ばしいことなんじゃ」

 と年老いた神官さんは言った。

 「そうそう、さっきも少し言ったが、昔はこの神殿では違う神様が祭られておったんじゃよ。ピュートーンと言ってな。蛇の神様じゃった」

 「さっき言ってた女神さま?」

 「いや、蛇の神様は、ガイア様の下僕じゃ。じゃから、昔は、蛇の神様であるピュートーンとその主であるガイア様を両方信仰していたというわけじゃな」

 「ガイアさま……ガイアさま」

 がいあさま。なんだか言葉の響きが気に入ってしまった。

 「そう、そこへ光の神さまであるアポロン神がやってきて、蛇神ピュートーンを退治して、地球のへその下に封印したんじゃ。それ以来、大祭では、毎年蛇をいけにえにささげるんじゃよ」

 ピュートーン……? 大祭の名前と似ているような。

 「そうそう、この街がどうしてデルフォイと呼ばれているか知っているかのう?」

 質問する前に、大神官さんは別のことをしゃべりはじめる。

 街の名前の由来は知らない。

 「まあ知らなさそうじゃな。アポロン神は、イルカデルピスに変身することが出来るんじゃ。デルフォイの名前はここから来ているんじゃよ」

 イルカ……。

 「なんじゃ。もっと興味ありげな顔をせんかい。これくらいのことは巫女として知っておかなきゃならんことじゃぞ」

 そういわれても、わたしは生まれてからイルカなんて見たことがないし、よくわからない。

 「おいで、神殿の本殿に案内しよう。普通の人は絶対に入れない場所だ」

 テーブル席を離れて長い廊下を渡る。

 わたしは今、外から見える神殿のどの部分にいるんだろう。

 それすらも、もうわからなくなる。

 突然、前を歩いていた大神官さんが止まる。

 きょろきょろしていたせいかもしれないけど、とにかくわたしにとっては突然に感じられた。

 立ち止まっているので不審がって見ていると、細く折れ曲がった棒を小袋から取り出して、扉にあてがっている。

 と思うと、その部品は回転してがちゃという音を立てる。

 おじいさんが扉を開ける。

 今の動きは何をしていたんだろう……。

 後を追って中に入る。

 目に飛び込んで来たのは、ちりばめられた星々のきらめき。

 よく見ると、光を放っているのは透明なガラス細工と色とりどりの鉱物で、

 それが巧妙に反射し合って、互いが互いを照らしあっている。

 こんな豪華なものがこの世にあるなんて考えてみたこともなかった。

 なにか大きなものに包まれているみたいで、そこに神さまの存在がある気がしてしまう。

 朝日が差し込み、神殿中が光で満ちあふれている。

 ほんとうにこれは、光の神さま。

 神さまがお住みになっている館。

 しばらくうっとりしながら辺りを見回す。

 ふと、白髪の神官さんがにこにこしながらこちらを見ていることに気付く。

 あの人は、わたしが喜んでいるのがうれしいみたい。

 少しの間目が合って、みつめあっているけど、にこにこしたまま何もしゃべらない。

 おじいさんは視線をぜんぜんずらそうとしないから、わたしもじっと見ていようかと思ったけれど……なんだか照れくさくなって目をそむけてしまう。

 ふたたび本殿の方に目を向けて、しばらく様子を眺めている。

 「これが神さまなんだね」

 とつぶやく。

 「いや、ここには神様はいないよ。ここにあるのは、神がお見せになる光だけだ。今から行く聖所アディトンに神様はおられる。ついておいで」

 そういうと、大神官さんは部屋を出て、また長い廊下を歩き始めた。

 行き止まりでふと止まったかと思うと、壁と見分けが付かないような扉が開く。

 「ここから先にあるのがギリシャの、いや世界の中心だ。世界のへそオンファルスと呼ばれている」

 「世界の中心……?」

 扉の向こうに見えた景色は、さっきのきらびやかな風景とは一転して、緑色の岩肌に囲われた陰気な場所。

 まるで、そこだけ夜になっているみたいな……暗い場所。

 階段みたいな段差が見えるけど、奥は暗くて、ちょっと先までしか見えない。

 しりごみしていると、神官さんはそっと手招きして中に入る。

 ここの奥に神さまがいるのかな……。

 階段はじめじめしていてかび臭い。その上、明かりはほとんどない。

 同じ間隔でおかれたろうそくのほそい光が足元をかすかに照らしている。


 階段を降りきった底は、もっと暗かった。

 あんまり暗くて壁が見えないものだから、この部屋がどれくらい広いのかもわからない。

 床は濡れていて、でこぼこした岩の感触が足に張り付く。

 目を凝らしてみると、岩肌に割れ目がひとつ開いていて、その割れ目の上に高い三脚台がたっている。

 その左側に大きな出っぱり。

 薄暗い明かりの中、何故かそこだけには光がよく照らされていて、真っ暗な地面よりかは様子がわかる。

 縄のようなでこぼこが浮かんでいるみたいに見えるけど……、これはなんだろう? よくわからない。

 変なにおい……。

 部屋にはむっとするような、のどの詰まるような臭いが立ち込めていて、息苦しい。

 甘いにおいと、何かが腐ったような悪臭の入り混じった、鼻につんとくるにおい。

 はぁ……、はぁ……。

 息が上がる。

 めまいがして気を失いそう。

 ふと、かたわらで神官さんがわたしをじっとみていることに気付く。

 「ここは神殿の中でもっとも聖なる場所。

 神がお話になり、巫女が朦朧とした意識の中で予言を吹き込まれる場所。

 神が霊気であなたを御満たしになるであろう場所。それがここなのだ」

 説明している間、神官さんはずっと機嫌がよさそうに感じられた。

 暗くてよくは見えないけれど、声の感じや、うっすらと見える輪郭から、なんとなくそれがわかる。

 「さあ戻ろうか。ここで見たことは誰にも言ってはいけない。わかったね」

 「……はぃ」

 興奮した時は目頭をぐっと押さえると楽になる。

 姉が教えてくれたこと。

 わたしは、神官さんの後に続いて狭い階段をちらちら上っていった。

 元の明るい本殿に着くと、前と同じように陽がさしこんでいて、きらきらとした光で満たされている。でも、さっき見た時みたいな喜びはもうない。

 その代わり、わたしの体の中は何かに満たされてふくれ上がりそう。

 本殿に満ちている光を避けるために、そっと目を閉じてみる。

 目には見えないけれど、暖かな光に包まれている。

 なんだか神さまを感じたみたい。

 「今見てきたところは、神殿では禁所アディトンと呼ばれている。預言者である巫女と、儀式を執り行う少数の神官しか入れない場所なのだ」

 「禁所……」

 「今から、あなたが普段寝泊りする場所に案内しよう」

 黙って付いていくと、神殿の中庭にある小さな小屋に案内される。

 「ここだよ」

 なんだろう……この家。神殿とは全然違う。

 神殿とはちがって彫刻も彫り模様もないし、色もむき出しの石そのままの色。

 とくべつなたてものという感じがしない。

 わたしの家をちょっと綺麗にしたような。

 玄関の前でボーっとしてたら、気付いたら神官のおじいさんがいなくなっていた。

 さようならくらい言ってくれれば良いのに……。

 と思ったけど、聴いてなかっただけで、ほんとうは言ってたのかも……。

 どうしよう……。

 とりあえず入ってみよう。と思った。

 「おじゃまします」

 誰もいないだろうと思っていたので、聞こえないような小さい声で挨拶する。

 「あんたが、新米の巫女かい。こっちへきな」

 突然おばあさんが横の通路から現れたのでびっくり。

 ずいぶんとぞんざいなしゃべり方。

 「なんだい。ずいぶんみすぼらしい格好だねぇ。教えがいがあるってもんだ」

 「おばあさんは?」

 「なんだ聞いてないのかい。わたしは巫女の教育係だよ。もう何十年もやってるんだ。これから作法やら服の着方なんかを教えていくからね」

 「大変そう」

 「なぁーに。すぐに覚えるさ。巫女になったら、すぐに例祭が始まるからしばらくは家に帰れないよ。覚悟しておくんだね」

 「家……」

 ちょっと懐かしくも思ったけど、もうわたしの居場所はあそこにはない。

 そう思っていたので、別段悲しくは無かった。

 姉だってわたしが居ないほうがきっと幸せだと思うし。

 「ずいぶん浮かない顔をしてるねぇ。やっぱり家が恋しいのかい?」

 そういう顔をしていたのだろうか。

 「ううん。違うの。もう帰らなくてだいじょうぶ」

 「ほんとうかい? まぁ、悔いのないようにね」

 そう言いながらおばあさんは、けたけた笑う。

 「巫女の就任儀式が始まるのはあさってからだ。それまでに少し教えることもあるけれど、気楽に考えてゆっくりしてなさい」

 「はーい」

 「ちなみに寝室はあっちだよ」

 と、おばあさんは布をたたみながら言う。

 あっちってどっちだろ……。

 とりあえず、後ろに見える通路沿いに歩いてみる。

 何かにぶつかってしまう。

 「「いたたた……」」

 (……?)

 わたし以外の声も聞こえた。

 目の前で、キトン姿の女の子がしりもちをついている。

 「あ……」

 わたしが呆然としていると、

 「ごごご、ごめんなさいっっっ」

 「あの巫女様。お怪我はないですか?」

 「だいじょうぶ」

 「ほんとに申し訳ありませんっっ」

 その女の子は、とても申し訳無さそうな顔でわたしに謝る。

 この子は……?

 ここに住んでいる子かな。

 背はわたしより高そうだけど……、年はどれくらいだろう。

 「おやおや、あの子ったら……。あの子もあんたの世話をすることになるだろうよ。よろしくたのむよ」

 


 明日はいよいよ巫女になるための儀式が行われる。

 早起きしないといけないのだけれども、どきどきしてなかなか眠れない。

 早く寝ないと……。

 早く寝ないと……。

 なかなか眠れないことに焦ってますます眠れなくなってしまう。

 明日は何をするんだろう……。

 怖いことはしないだろうか……。

 痛いことはしないだろうか……。

 …………。

 考えるのに疲れると、そのまま意識が遠のいて……。

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