第15話 別世界

 黒いストラトを優しく抱くと同時に、彼女の右手の指が細かく動き出した。


 うわぁ……。木村君と全然違う弾き方。木村君はたくさんの音を速弾きでどんどん弾いていく感じだったけど、ユウキのはそうじゃない、一度にたくさんの音を鳴らす奏法。

 そうか、そうだよね、木村君、ピック使ってたんだもん。一つずつ鳴らすわけだ。それで速弾きで数をこなして音に厚みを出すんだ。

 ユウキはピックを持たずに同時に2本とか3本とか鳴らしちゃうんだ。右手、小指以外4本全部使ってる。


 不思議なのは、こんなにたくさんの音が鳴っているのに、あんまり動き回っている印象が無いことだ。木村君は「どりゃー」って感じでガンガン弾きまくってたけど、ユウキはとてもソフトで指もホワホワと動いてる。あまり自己主張をしない動きでガッツリ鳴らしてるから、そのギャップが凄い。なんか手品みたい。さっきのマジックショーより遥かにマジックだ。

 弾いてる指の数と、鳴ってる音の数が、どう見ても合ってない。右手は4本しか指使って無いんだよ?


 え、まさか、あ、そうか。えええ? だって普通は左手で弦を押さえて右手で弾くんだよね? こういうのアリなの? 左手でも弾いてるし、右手でも押さえたり弾いたりしてる! だからこれだけの数の音が鳴るのか! こんなことして「初心者だから」とか言ってたの?


 そんなことを考えていたら、ふと、ユウキと目が合った。こんなに大勢の中から、あたしを見つけてくれたんだ。

 あたしは嬉しくなって、小さくユウキに手を振ってみた。彼女はニコッと笑って、ちょっと首を傾けた。それからギタローの方を振り返ると、彼に顎をしゃくって見せた。


 ギタローのソロが来る、直感でそう思った。

 ケムリンのフィルインが入る。ユウキが上手く最後をまとめて、客席に手を振る。拍手と口笛が講堂中を飛び交う。

 ギタローがユウキと木村君の間をぶち抜くように、ど真ん中から割り込んでくる。二人はギタローにセンターを譲るように、両側へすっとはけていく。


 ドラムのリズムパターンが変わる。ついにパカパカシンバルだけになっちゃった。たまにりんご飴の音もする。えらいシンプルな感じになった。

 ギタローがケムリンをチラッと振り返ると、シンバルの隙間からケムリンがニコッと笑う。


 ギタローがとんでもないタイミングでスタートした。普通ってフレーズの頭とかそういうところでスタートするもんじゃないの? なんかわけのわからないタイミングで入ってきた。しかもそれがめちゃめちゃカッコいい!


「今の入り、神だわ」

「ありえねえ、俺にはあの発想が無え」


 すぐそばにいた男子が感嘆の声を上げるのが聞こえる。


「てーか、ケムリン、あのギタローのベースに合わせてるぜ。マジかよ」

「二人で一つの曲になってんのな」

「でもあれ、全部アドリブだろ?」

「多分」

「息、合いすぎだろー」

「それ以前にケムリン、ハットとベードラしか使ってねえ!」

「それであのクオリティ」


 ギタローがのんびり弾いていたかと思うと、唐突に変なことを始めた。いや、変じゃないんだけど、なんか弦の音じゃないっていうか、あーいや、弦の音なんだけど、なんかポコポコ言わせてる。

 右手はユウキみたいな弾き方。左手はせわしなくあちこち動きながら、握ったり開いたり。よーく見てると右手もどうやらただ弾いてるだけじゃない。弦を叩いたり押さえたりなんかいろいろやってるっぽい。あたしの1.5を誇る視力でばっちり見える。

 と? ととと? ええええ? 何だあの左手は! 何が始まった?


「出た! ギタローのタランチュラ・レフト!」

「あれマジでシャレんなんねーって。ケムリンでも止めらんねーぞ」

「ばか、その前にケムリンが止まんねーよ。もうラリってる」


 わっ、何あれ、左手首に別の生き物がついてるみたい。なんか大きなクモっぽいのがゴソゴソ動いてるように見えるよ。うわー、うわー、何か生き物いるぅぅ。気持ち悪ぅぅ。

 『左手』という生き物はその場所でずっとゴソゴソしてたかと思えばボディの方まで遠征したり、なんだか忙しい。右手もパカパカ叩いたり弾いたり引っ張ったり、なんかよくわかんないけど……カッコいい、死ぬほどカッコいい!!!


 しかもね、ケムリンも凄いの、あのギタローを一切邪魔しない。それなのに、きっちりリズム刻んでテンポキープしてる。ギタローがカッコよく決まるように、要所要所にりんご飴入れて、パカパカシンバルだって同じように叩いてるわけじゃなくて強弱付けてる。ほんとに二人で一人みたいになってる。この二人どうなってんの? ほんとあたしから見ても神! っていうか寧ろ恋人!


 呆然と二人の演奏を見ていたら、唐突にギタローがぎゅーんって左手スライドさせて目一杯低い音まで持ってって、そのまま深々とお辞儀したんだ。

 もう観客大歓声。ド素人のあたしでさえも、その神業に見とれたくらいだもん。


 ギタローはそのままケムリンの横まで引っ込んで、ユウキと木村君も完全に両脇にはけた。……ということは、ケムリン?

 と思う間もなく、それまでパカパカシンバルとりんご飴だけだったケムリンが、シンバルをガンガン叩き始めた。

 おお~、シンバルってみんな音が違うんだ! 当たり前か。同じだったら何枚も要らないよね。

 え、それどころじゃない、な、な、な……何これ。千手観音? 待て待て待て、これはどう考えてもおかしい。ギターは何となく変な裏技使ってるのはわかったよ、でもさ、これおかしいでしょ。何その速さ、何どうなってるの、わかんない! その上りんご飴の音もしてるよ、りんご飴、右足だけであの速さは無理でしょ、なんか右足痙攣してるでしょ。

 なのに、ケムリンがもの凄く楽しそう。顔が『ヒャッハー』してる。

 だけどそうなってるのはケムリンだけじゃなくて、客席の人たちも同じような状況になってる。さっきのギタローから既に客席側ヤバい気がしてたけど、この人たち、絶対脳の中で変な汁が出てる!

 

 講堂全体が『謎のホルモンに制御された集団催眠』みたいなオカルティックな盛り上がりを見せ、ずっと冷静だったギタローが「おいおい」とケムリンにブレーキをかけたところで、ようやく曲が終了した。

 

 確かに凄い。これはユウキが「一緒にやりたい」って言うわけだ。素人の目にもわかるよ、この人たちほんと上手い。いや、逆に凄すぎて「やりたい」って言う度胸ないかも。

 黄色い声に野太い声、拍手に口笛まで混じった大歓声が講堂を支配する。木村君が凄い嬉しそう。


「ありがとう。すげえ楽しかった。こんなに盛り上がったのは初めてだよ。マジでさ、ライブハウスで演ったときより盛り上がってる。ほんとありがとう。俺も興奮してるけど、もっと興奮してるっぽいのがいるから、ちょっとこいつをクールダウンさせないといけないんで、紹介するね」


 そう言って木村君はケムリンから順番に、メンバーを一人ずつ紹介していった。

 初めて知ったんだけど、ケムリンは中学に入ってからドラムを始めたらしい。それにしては凄いテクニックだった。体は小さいのにいつもニコニコしながらパワフルな演奏をするんだって。

 ギタローはBIT MASTERSのファイナリストとか言ってたけど、BIT MASTERSがそもそもなんだかわかんない。ただ、これを紹介した途端、「おお~」「すげえ」「マジか~」って野太い声が飛び交ってたから、きっと凄いことなんだと思う。わかんなくてごめんね、ギタロー。

 ユウキはサポートメンバーとして紹介されてた。本職はドラムだって言ったら、やっぱり会場にどよめきが起こってた。木村君が冗談半分で「身長何センチよ?」なんてインタビューしてて、「秘密」って答えたユウキに「じゃあ、バストは?」って訊いて「あとで触らせてやるから当ててみな」なんて逆襲されて、観客を大いに沸かせてた。

 木村君は喋りが圧倒的に上手い。あのルックスに加えてこのトークだ、人気が出るのもわかる。ギタローの神がかった超絶テクと、キュートな弟キャラに似合わない演奏技術を持つケムリン、そこにイケメン女子のユウキが加わったんだ、そりゃ講堂も人が溢れるわけだ。


 あたしが割り込めない世界がそこにあった。ユウキを独り占めしたくても、それを不可能にする世界がそこにあった。

 あたしがユウキをずっと繋ぎ留めておく方法って、あるんだろうか。

 聴衆にアンニュイな笑顔を向けているユウキを眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

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