あれから一週間、そろそろ家庭教師に慣れたころ、風太はでかいキャリーバッグを持って巣豪杉家にいった。

「それは?」

 玄関の門番が聞いてくる。

「教材が入ってるんです。理科の実験の」

 彼は中をあらためるとはいわなかった。ここ一週間、小さいバッグは普通に持ってはいっていたし、一度も体や荷物を調べられたことはない。一応信用はされているらしい。

 玄関を通されると、メイドさんも「なんですの、それ?」と好奇の目を向けたが、同じことをいってごまかした。やはり中身を見せてとはいわれなかった。

 さいわいにして、三日目くらいからは、両親も風太が来たからといって、いちいちすり寄っては来なくなっていた。きょうはべつに用事でもあるのか、顔を見せすらしない。

 いつもこうなら助かるんだけどな。

 風太はそう思いつつ、車輪つきのキャスターバッグをごろごろと転がしながら、魔子の部屋まで行く。

 ノックする前にドアは開いた。

「入って」

 魔子がすばやく招き入れる。みょうに緊張した表情なのは、きょうのことをすでに伝えてあるからだ。

 風太は慌てず、むしろ悠然と部屋に入った。こそこそするとそれだけで怪しまれてしまう。

 ドアを閉めると、風太はバッグを開ける。中に入っていたのは教材などではなく、つららだった。

「ふう、ひでえ目にあった」

 外に出ると、手足を伸ばし、首をこきこきと鳴らす。

「相変わらず、その格好なのね」

 魔子が、つららのセーラー服プラス空手着という格好につっこむ。

「いいの、あたしは二十四時間空手家だから」

「じゃあ、寝るときや風呂にはいるときも着てるわけ?」

 ナイスつっこみ。といいたいが、風太は下手に口をはさまなかった。

「ふ~ん? そんな顔をしてたんだ。思ったとおり、小生意気そうだね」

「おいおい。おまえらなんか目から火花散らしあってねえか?」

「わかってるよ、風太。べつに喧嘩しにきたわけじゃない」

 つららは魔子から目をそらす。

「魔子、おまえもだ。つららの協力なしじゃ、作戦は遂行できないんだぞ。すこしは感謝してやれ」

「わ、わかってるわよ」

 魔子もつんと顔をそむけた。

「ま、今回は作戦だからな。この空手着だって脱がなきゃならない」

「そうよ。これ着て」

 魔子が手渡したのは、いつも自分が来ているような黒のワンピース。長袖、手袋つきだ。

「風太、後ろ向いてろ」

「へいへい」

 信用しているのか、背を向けただけで、帯を解く音が聞こえた。

 まあ、正直いって、つららに女は意識していない。小さいころからのつき合いだ。

「いいぞ」

 その言葉にふり返ると、ワンピース姿のつららが立っていた。

 後ろに縛っていた長い髪も解かれ、顔以外は魔子そのものの姿になっていた。

「似合わねえ」

 思わずそういうと、つっこみがわりに拳が飛んでくる。いつものことで、紙一重でかわした。

 まあ、計画はこういうことだ。

 つららが身代わりになって、ここに残る。かわりに帰りぎわ、魔子をキャスターバッグに詰めてここを出る。どうやって戻るのか? それはあす、同じように魔子をキャスターバッグに詰めて、入れ替えればいい。

 きょうの夜から、あしたの夕方にかけて、魔子をどこに泊めるかという問題もあるが、そんなのはビジネスホテルでいい。あす、夕方迎えに行けばすむ。ホテルの支払いは、まあ、立て替えておくしかないか。貧乏なんだが……。

 そんなことより、この作戦でネックになるのは、丸一日つららが魔子の身代わりを務めなければならないことだ。しかし魔子が両親に顔を合わせるのは夜だけ。それも夕食のときだけってのが多い。朝と昼は窓から日がさし込むから、自室に運んでもらうのだ。トイレとバスルームもこの部屋の中にあるから、そうそう部屋から出る必要もないし、なんらかの用で、昼間部屋から外に出る場合は、あの仮面を被る。つまりはきょうの夕食に魔子が素顔をさらしておけば、あしたの夕方まで入れ替わるのは、そうむずかしくない。

 いつものように風太が夕食をお呼ばれし、それから帰れば問題なし。

 あとはいくら顔をかくしたところで体型で見やぶられないかということだが、さいわいつららは小柄だ。それでも小学生の魔子よりは背が高いが、ロングスカートなのですこしぐらいなら立ったとき膝を曲げて身長を調節できる。

 あとは髪がちょっと心配だったが、ポニーテールをほどいたら、思ったとおりちょうどいい長さだった。つららの髪も魔子同様黒いし、ストレートだ。ちょっとつやつや感に欠ける気もするが、うす暗い室内なら見られても気づかれないだろう。

「これ使って」

 魔子はブラシを手渡した。風太やつららが気にならない髪の艶や、さらさら感がどうやら気に入らないらしい。

「めんどくさいな」

 つららはそういいつつ、自分の髪にブラシを掛けた。

「それから、あたしのかわりに誰かとしゃべるときは、言葉づかいに気をつけて」

「うん、まあ、だいたいわかった、あんたのくせ」

 つららはブラッシングをつづけながら、にやっと笑う。

「ふん、どうせわかりやすいわよ。せいぜい小生意気そうにしゃべるのね」

「まあ、できるだけしゃべるなよ」

 風太としてはそこからばれるのが一番心配だ。ただ、さいわいにして声の質は似ている。

「両親はお父様、お母様って呼ぶから。それに……」

 魔子はつららに、メイドや門番など使用人たちをどう呼ぶかとか、それぞれにどんなしゃべり方をするのかをレクチャーした。

「わかった?」

「任せなさいって。あたしにその程度のことができないとでも思ってるの?」

 つららは悪戯っ子のように笑う。じっさい今のはしゃべり方だけでなく、声質まで魔子にそっくりだった。

 じっさい、つららはこれで器用だ。空手の技なんかはトリッキーだし、たいがいのことはそれなりにこなす。不器用なのは生き様だけ。空手命で、筋の通らないことが大嫌い。みょうに男前な性格。それがつららだ。

「歩いてみて」

「え?」

「いいから、歩いて。動きを覚えるからするから」

 つららは魔子を普通に歩かせる。むしろ、つららは声やしゃべり方の物まねよりこっちのほうが得意なのだ。

 一度見た動きを自分でやってみる。このことにつららはすごく才能があるらしい。だからこそ、スポーツ万能で空手もあんなに強い。そのことが頭になければ、風太もこの計画を思いつかなかったかもしれない。

「オッケー。わかった」

 つららは同じように歩いた。さっき歩いていた魔子にそっくりの歩き方だ。こうやって見ると、魔子は性格の生意気さに反し、案外おしとやかな動きをするらしい。ある意味、いつも跳びはねてるようなつららとは対極的だ。しかし案外、そのほうが真似しやすいのかもしれない。

 優雅にターンをするつららを見て、風太は思った。

 こいつ、その気になりゃあ、おしとやかな美女で、モテモテになれるんじゃねえの?

 そんなことをしているうちに、時間はすぐにきた。

「先生。お嬢様。晩ご飯の時間ですよ」

 ドア越しにメイドさんの声。

「今、行きます」

 風太が返事すると、足音はダイニングのほうに遠ざかっていく。

「いいよな。おまえらは、豪華な飯で。あたしはこれだ」

 つららはキャリーバッグに入れてきたコンビニ弁当を指さす。

「あした、朝と昼はいいもん食える。我慢しろ」

「ぜったい、ばれないようにしてよ」

「わかった。わかった。引きうけた以上、やりとげる。任せろ」

 つららを残し、風太は魔子と供にダイニングルームに向かった。

 あとは親父と奥さまをやりすごし、魔子が部屋に戻ったあと、バッグを忘れたといって取りに戻ればすむことだ。

 問題ない。変に緊張して馬鹿なことでもしない限り、成功する。

 そして、じっさい、なにも起こらなかった。さいわいにして親父のほうは仕事のせいか、外出していていなかったし、奥さまのほうもなにひとつ疑っていないようだった。

「どうしました、風太先生。なんか緊張気味ですよ」

 メイドさんにぽんと肩を叩かれたときはどきっとしたが、誰も不審に思ってはいないようだった。

 風太は楽に魔子を連れ出すことに成功した。

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