高校生の夏休みは暇だ。部活にも入らず、一緒に遊ぶ同級生もいない僕のような人間なんかはとくにそうだ。毎朝十時過ぎぐらいに起きて、母さんが作り置きした冷や飯を食らって。そうしながら、ふだんは見れないワイドショーを見る。昼時の主婦の気分になって、逐一ニュースに毒づいたりしながら。

 それからようやく着替えて、宿題の量を見て辟易とする時間がくる。しばらくの間は勉強机にかじり付くけど、そのうち魔が差して、違うものに興味がいきはじめる。たとえば机の上にある消しゴムのカスを集めてみたりとか。鉛筆のケツで机を叩いてリズムを刻んでみたりとか。

 ――そういえば、ドラムの話はどうなったんだろう。

 僕は窓の外をぼんやりと見つめながら、なにがしかのビートを刻んだ。まさか僕がドラムスとボーカルを兼任するという話が本当になるんじゃ……?

 期待半分、不安半分。

 姉さんたちの大学は、まだ夏休みに入っていない。そろそろ入るらしいけど、いまは試験期間中だという。このあいだもレポートが書けないといって大騒ぎしていた。だから、ここ数日間セッションはお預けだった。

 それでもたまに姉の部屋からギターの音色が聞こえてくることはあった。僕と姉さんの部屋を隔てる壁は薄い。壁は、ちょうど僕の部屋のベッドと姉さんのベッドに支えられるような形でそそり立っている。だから僕がベッドに腰を下ろして、何気なく頭を壁につけていたりすると、弦を弾く音が壁伝いに聞こえてくる。

 僕はそれに合わせてハミングしてみた。すると姉さんもそれが聞こえたらしく、壁をドンドンと叩いてから、また演奏をはじめた。

 ……ここ数日の姉さんとの秘め事は、そんな程度だった。

 だから僕は、姉さんが早く夏休みに入ってほしいと思った。僕は、暇で暇で仕方がなかった。


 エアコンのない自室で、扇風機の風で暑さに耐えていた。でもそのうち耐えられなくなって、エアコンのあるリビングに戻ろうと思った。時刻は昼過ぎ。これから暑さはましていくという頃だ。

 そんなふうに思ったときだった。窓の外からクラクションの音が響いてきたのだ。

 うちの前には、小さな道が一本通っているだけ。だから車が通るときと言えば、近所の人が帰ってくるときぐらいなもの。だからあまり車通りはない。また、それに比例してクラクションが鳴ることもあまりない。

 それでも僕は、へたくそなドライバーが迷ってでもきたのだろうと思った。しかし、クラクションが五秒おきぐらいに、まるでモールス信号みたいに鳴るものだから、さすがに僕も窓から身を乗り出すことにした。

 クラクションを鳴らしていたのは、黒のハイゼットだった。見れば、助手席の窓を開けて姉さんが身を乗り出してる。

「おーい、雄貴、こっち!」

「なんだよ、姉さん」

「ドラマーが見つかったの!」

「なんだって?」

「だーかーらー! ドラムのできる人、見つけたの! 今から円ちゃんちでギグだから、おいで!」

 僕はすこし、窓のサッシに手を突いて考えた。でも、考える必要なんて無かったんだ。

「わかった、いまいく!」

「うーん。あっ、ついでにわたしのギター持ってきて!」

「わかった」

 僕はそう言って窓を閉めると、姉さんの部屋に急いだ。姉さんのギターを担ぐと、僕は少し愉快な気分になって、スキップするように階段を下っていった。


 ハイゼットは玄関前で待っていた。僕は後部座席に座って、助手席に座る姉と運転席の円さんを前にした。

 車の中にはカーステレオで音楽が流れていた。聴いたところ、なかなか古いロックミュージックと分かる。イントロが終わったところで、円さんはギアを一速に入れて発進させた。

 円さんの運転は慣れたものだった。三月にとったばかりとは思えない。彼女は、まるで手練れのタクシー運転手みたいにステアリングを回す。

 いっぽうで免許のない姉さんは、ダッシュボード下の収納スペースを漁っていた。そこにはたくさんのCDがしまわれていた。

「円ちゃん、この曲なんだっけ。たしかオアシスも歌ってなかった?」

 ガサゴソとケースを見回りながら、姉さんが言った。

「ザ・フーの『マイ・ジェネレーション』、リーズ大学公演のだよ。オアシスもカバーしてたね」

「へぇ……。じゃあさ、ここにあるCDはぜんぶ円ちゃんのなの?」

「右がオヤジの。左が母さんの。すみにあるザ・フーがあたしの」

「じゃあ、このT-REXとか、ジェネシスとかは?」

「オヤジの。左側のポリスとかクイーンとかが母さんの。……でも、いまはザ・フーの時間だからね」

「はいはい。そういえば、ビートルズが見当たらないんだけど?」

「ないよ」

「えー、一つも?」

「サージェント・ペパーズならあるけど、オヤジの部屋だったかな」

「オアシスは?」

「セカンドまでならウチにある」

「なんだかなぁ」

 姉さんは少し唇を尖らせた。が、円さんはいつものクールさを保ったままだった。


「あの、ところで今はどこに向かってるんです……?」

 『マイ・ジェネレーション』が終わったところで、僕はようやく口を開いた。

 今の僕の状況は、半ば誘拐されたと言っても過言ではない。姉さんと円さんに言われるがまま車に乗ったけれど、実際僕はどこに行くか知らされて無かったのだから。

「舞結がドラマーを見つけたって言うんだよ」

「姉さんが?」

 そう言って助手席を見やると、姉さんがニヤニヤと笑いながら振り向いた。

「そうなの。実はね、同じゼミの男の子が自己紹介でドラムやってたって言ってたのを思い出してさ。それでダメもとで話してみたら、考えてもいいって言ってくれてね」

「ただドラムセットだけは手元にないから、それだけ用意してもらえればやるってさ。まあ、ドラムはウチのお古を使えばいいよ」

「何から何までごめんね、円ちゃん」

 姉さんは両手をすりあわせて、てへっとウィンクしてみせる。しかし円さんは相変わらずクールで、運転に集中していた。姉さんのぶりっこな笑顔を気に留めもしない。

「じゃあ、そのドラマーの人は姉さんの大学の同級生ってことなの?」

「うん。保志くんって言ってね。見た目ちょっと厳ついけど、でも優しい子だよ」

「同じゼミの、男の人……だよね?」

「そうだね。わたしも授業以外だと滅多に話さないんだけどね」

 姉さんはそう言って、何か悪びれるようすもなく振り返った。

 僕はなんだか、自分の知らない姉に目を向けつつあるような気がして、すこし気後れしていた。


 三十分ぐらい車を走らせたところで、大学のキャンパス前にたどり着いた。そのころには、円さんが流していたザ・フーのロックオペラも、B面に入っていた。

 そうしてアンダーチュアーの流れるまま、円さんはロータリーへと車を回した。葉桜が取り囲む並木道を大きく旋回しながら、ハイゼットは校舎の一角に停まった。

 その建物は、『三号館』と名前が付されていた。そこだけで僕の高校がすっぽり入ってしまいそうな大きさで、正直僕は初めて見る大学の広さに驚いていた。

 それと同時、僕はやはり気後れしていたのだ。僕の知らない姉さんの一面。大学生としての姉さんを僕は知らない。僕はそんな、姉さんの秘せられた一面をのぞき見ているようで、なぜだか背徳感を覚えていた。客観的に見れば、僕と姉さんが一緒に夜な夜なギグわっているほうがよっぽど背徳的であるのに。

 しばらくすると、その三号館の正面玄関から一人の男性が出てきた。彼はレモンの断面が描かれた白いTシャツを着ていた。頭髪は毛先まで見事に赤茶けていて、耳には白銀の煌めきがあった。つり上がった三白眼は、カタギとは思えない凄みがあった。

 彼が噛んでいたガムをティッシュに包んで、路肩のゴミ箱に捨てた。そしてそのとき、姉さんが窓を開けて叫んだ。

「保志くん、こっちこっち!」

 まさかとは思ったが、そのまさかのようだった。

 保志と呼ばれた彼は、小走りで車のほうへ近寄ってきた。それからハイゼット後部座席のドアをスライドさせた。

「お疲れさまっす」

「お疲れ。さてさて。みんな、こちら保志賢人くん」

 姉さんが軽く紹介すると、彼は小さく会釈した。

「どもっす。隣いいっすか?」

 言って、彼は僕の隣を指さした。

 僕は何ともいえず、ただうなずいた。彼はそれを確認すると、僕の隣に座って、それから真っ先にシートベルトを締めた。

「保志くん、こっちがわたしの親友の千鳥円ちゃん。いまは専門学生だったっけ?」

「理容専門学校に通ってる。親友なんだからそれぐらい覚えてくれ……。千鳥円です。よろしく」

「どもっす」

 彼はワックスの効いた頭を律儀にも下げて挨拶。どうにも見かけに寄らないものだと、僕は少し思い始めていた。

「でね、こっちがわたしの弟の雄貴」

「ああ、うわさの弟さんですか。どうもどうも」

 彼はまた律儀に頭を下げる。

 ――うわさって何のうわさなんだろう。

 僕はそう思いながらも、応じるように会釈した。


 ハイゼットは大学を出発し、今度は千鳥楽器店に向かった。メンバーも一通りそろったところで、一度合わせてみようという話になったのだ。

 円さんの家に着くまでのあいだ、僕はただただ居心地の悪さを感じていた。保志さんは、見た目の印象ほど悪そうな人ではないとは、会ってすぐに分かった。だけど、それでも人見知りな僕は、罰の悪さを感じずにはいられなかった。

 僕が姉さんや円さんと普通に話せているのは、純粋に二人との付き合いが長いからだ。姉さんとは生まれてからずっと。円さんとも小学生の頃からの付き合いだ。だから気軽に話すことができる。

 でも、隣にいる彼は、まったく初めて会う人だ。

 保志さんは、円さんと話をしていた。流れているザ・フーの曲で話が合ったらしい。とくにキース・ムーンというドラマーの逸話で盛り上がっていた。

 実際二人の話は、聞いてる僕もおもしろかった。誕生日にもらったロールスロイスを一晩でプールに沈めてダメにした話とか。ホテルに爆竹を仕掛けて出禁になった話とか。まるで映画みたいな武勇伝が次から次へと飛び出して、僕も自然に笑っていたと思う。だけど、僕は微笑んでいるだけだったのだ。

 僕はただ二人の話を聞きながら、ときおり適当に微笑を浮かべ、窓の向こうを見ていた。正確にはバックミラーに映る姉さんを見ていた。

 姉さんは、ミラー越しに僕を見ると微笑み返してくれた。僕はそれだけで十分だった。


     *


 千鳥楽器店には、円さんのお父さんが座っていた。平日の昼間だからか、客は店内に一人もいない。ただ強面の男性がカウンターの奥にぽつんと座っているだけだった。髪を茶髪に染めた、とても専門学生の娘を持つ父には見えない人だった。ともすれば保志さんの将来に見えなくもない。

 千鳥の親父さんを最後に見たのは、もう何年も前の話だ。相変わらずの若作りな服装と強面には驚かされたが、それ以上に老け込んでいることのほうに僕はびっくりした。もし髪を染めていなかったら、もっと老けて見えたかもしれない。すれた薄い茶髪が、寂しく扇風機の風に煽られていた。

「やっと戻ってきたか円。泉さんちのご姉弟も一緒か」

「うん。あとプラスアルファ」

 円さんはルーティン・ワークと言わんばかりに、レジカウンターの裏手に回ってエプロンを取ってくる。ベースもカウンター裏に持って行った。

 僕と姉さんは軽く親父さんに会釈した。フランクな親父さんは、「おう」と軽く挨拶を返す。ただ、彼の顔はどこかぎこちなかった。

 理由は簡単だった。

「おい、円。この男はどこのどいつだぁ? まさか彼氏とか言わんだろうなぁ?」

「違うに決まってるでしょ。彼は舞結の知り合い。あたしも今日会ったばっかり」

「そうか、ならいいんだが。俺は稲本さんのとこいってくるから、しばらく空けるからな」

「わかってるよ。行ってらっしゃい」

 そう言ったところで、親父さんはカウンターを這い出て、裏手の駐車場のほうへと向かっていった。そのさい彼は保志さんをにらみつけていたが、つまりそういうことだったんだろうと思う。

 それから親父さんと入れ替わるようにして、エプロン姿の円さんが出てきた。ジャージに無地のエプロンという実にラフな格好。しかし、その手にはベースが握られていた。バックヤードにやったはずの、彼女の相棒が。


「邪魔者はいなくなったし、始めようか」

「始めるってどこで? 演奏ブースなんて円んちにあったけ」

 姉さんがアンプとギターをつなげながら言った。

 実のところ、僕も同じことを考えていた。

 円さんと僕ら泉姉弟は幼なじみだ。昔から円さんの家で遊んでいた。子供ながらに楽器を使わせてもらって楽しかったのを今でもよく覚えている。たしか親父さんから子供用のウクレレをもらった記憶もある。それがどこにいったかは覚えてないけれど。

 しかしそんな思い出の中に、円さんの言うブースとやらはまったく出て来ないのだ。だから僕は、最近になってリフォームでもしたのかと考えていた。しかし千鳥楽器店は、僕がよく知るときと同じ姿のままだ。どこか変わったというふうはない。

「ここだよ」

 円さんがベース片手に店の奥に立った。

 彼女は、グランドピアノが置かれたスペースに立ち尽くし、その床を指していた。壁一面にはギターが並び、その中央にはピアノが鎮座する。少しだけ開けた、その空間。彼女はそこを指さしていた。

「ブースってそこ?」と姉さん。

「そう。楽器屋から楽器の音がしても、別におかしくはないだろ?」


 ピアノの横にドラムセットが置かれたところで、それは始まった。

 保志さんがかじり付くようにドラムを叩き始め、まるで水を得た魚のようになったのだ。さすが経験者というだけあって、その腕前はなかなかだった。

「こっち来てからなかなか叩けなくって。いやぁ、やっぱいいっすね!」

 彼はそう言いながら、勢いよくスネアを叩いた。円さんがそれを感心するような目で見ていた。

 そして僕は、みんなの様子をただ呆然と見ていた。転がっていたタンバリン――おそらく子供向けの、きっとおもちゃだろう――を頭に乗っけたりして、暇つぶしみたいに。

 中央にスタンドマイクがあって、そしてその両サイドには姉さんと円さんが立っている。右利きの姉さんと左利きの円さんが対になって立つと、対照的シンメトリーで不思議に美しく見えた。そしてその後ろには、ドラムセットを叩く保志さんがいる。彼は芯まで染まった茶髪を震わせて、暴れるようだった。

 しかし、見た目こそ対照的で整っているようでも、音に整然さというのは感じられなかった。久々に叩けてうれしいのか、片っ端から激しく叩きまくる保志さん。落雷のようなベースソロを見せつける円さん。そして……

 姉さんはその二人の間で、弦を弾かずにただギターを見つめていた。メープル色のエピフォン・カジノ。姉さんはそれに語りかけるように触れていた。赤子をあやすみたいに、艶やかな肌を愛撫するみたいに。そして姉さんは、僕のほうを見たのだ。

 そのとき姉さんは、何かを口にした。その言葉は、ドラムとベースにかき消されてしまったけれど、僕には確かに聞こえていた。姉さんの唇。薄桃色のそれが、僕に語りかけたのだ。

『いくよ』と。

 その次の瞬間だった。

 姉さんが、右手に持ったピックを勢いよく振り下ろしたのだ。稲妻に打たれたような気分だった。電流が直接アタマのなかに流れてくるような衝撃。それは音となって、僕の耳から抜けていく。僕の心に、深い爪痕を残して。

 円さんも保志さんも、その音を聞いた途端に思わず手を止めた。無理もなかった。姉さんのその音には、妙な魅力があったのだ。

 かき鳴らされたギターが、そこからメロディーを紡ぎ出す。オアシスの『ロックンロール・スター』そのイントロだった。

 するとどうだ。さっきまで思い思いに弾いていた二人が顔合わせ、訳知り顔をした。保志さんが得心したようにニヤケて、スティックを振り下ろした。

 ドラムが入り、そしてベースが入る。姉さんの思いつきに、円さんのクールさと、保志さんの荒々しさが加わって一つの曲になった。

 ――きれいだ。

 僕がそう思った瞬間、頭に乗せていたタンバリンが音圧に負けてずり落ちた。地面に触れた瞬間、タンバリンは濁ったような音を鳴らした。だけどその雑音は、三人の奏でるメロディにかき消された。この美しさを前にしては、ノイズはもはや無意味だったのだ。

『おいで』

 姉さんの唇が、今度はそう言った。

 差し伸べられた手を取って、僕はマイクの前に出た。きれいだと思ったその瞬間﹅﹅のなかに、僕は飛び込んでいく。人の波が自分を受け止めてくれることを期待して飛び込むロックスターのように。その手が柔らかく僕を包み込んでくれるとは限らない。でも僕は、飛び込みたいと思った。

 僕はマイクの前に立って叫んだ。サビのなかへ飛び込んでいった。

今夜、僕はロックスターなんだトゥナイト・アイム・ロックンロール・スター

 姉さんのギターに合わせて、みんながついて行った。姉さんが無理して走ってくのを支えるみたいに。僕は声を大にして歌った。

 ただただ気分がよかった。マイクを通して増幅され、スピーカーから発せられる僕の声。それが姉さんたちの奏でる音色と交わり合う。発せられた音は、空間の中で跳弾のようにはじけて、粉微塵になって、混ざる。僕らが粉であるならば、姉さんは水だった。僕らを洗い流すように引き連れて、どこかへどっと押し寄せていく、強烈な水の流れ。僕はただ、その流れに合わせ、水の波紋に合わせて歌ったのだ。


 間奏に入って一段落したとき、僕は姉さんたちが楽しそうだと気づいた。円さんはいつものポーカーフェイスを崩していないし、保志さんも三白眼が鋭いけれど、でもみんな姉さんの無邪気さに巻き込まれてる気がした。

 ――よかった。

 僕は心の中で独り言ちた。

 初めはどうなるかと思った。みんな思い思いに弾いていたときは、大丈夫なのかと思った。だけど、姉さんがいれば――

 と、そう思った時だった。

 突然、保志さんのドラムがリズムを崩した。と同時、シンバルが間抜けな音をあげた。またそれにつられたのか、円さんのベースも素っ頓狂な音をあげて止まったのだ。

 そのとき音を奏でていたのは、姉さんのギターだけになった。

 どうしてそんなことになったのか。理由は明白だった。店の裏口から、千鳥の親父さんがやってきたのだ。親父さんはいかにもなシカメ面をしていて、にらむように円さんを見ていた。さすがにそこまでくると、姉さんも『ロックンロール・スター』をやってられなくなった。

「忘れ物を取りに来たんだ」

 と、親父さんは低い声で。

 彼はカウンター裏のバックヤードに入ると、書類ケースを一つ取り上げて戻っていった。そしてまた裏口から出て行く際に、彼はボヤくように言ったのだ。

「おまえたちもいい年だし、何をやってもかまわん。でも、客がいるときはやめろよ」

 親父さんはそう言い残して、千鳥楽器店を出て行った。

 演奏ブースには、重い沈黙だけが残響となっていた。

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