第38話 激闘長谷堂の戦い

 出羽山形城は義光が築城した奥羽地方最大規模の城であり、本丸が東西一丁十九間一尺(約144m)南北一丁十三間(約133m)、二の丸が東西四丁三間(約433m)南北四丁21間(約474m)、三の丸が東西十四丁五十間(約1617m)南北十四丁十五間(約1553m)、東口が大手門、南口が南大手門、西口が搦手門、西北口が北搦手門となり、三の丸には十一の出入り口があったとされる。それだけに、攻め落とすには兵力と時間がかかると思われた。


 しかし、一気に最上義光の本拠山形城を攻めたいのはやまやまだが、天然の要害城である長谷堂城から城兵が、背後より襲撃してくるのは明らかであり、そうすれば手痛い打撃を蒙るばかりか、山形城を落とすのは困難になる。兼続はしばし、思案にくれた。最上勢も必死の防戦で、進撃は思った以上に厳しく、羽州街道を進む第二軍は、敵の奇襲を背後に受けて、敗北して一旦後退してしまうという報せも届いていた。


(一刻も早く山形を落とさねば、伊達が動いてくるかも知れぬ)


そんな思いが、兼続を苦しめていた。名を轟かす上杉の名軍師直江兼続といえども、戦いの様相は最後の結果が出るまでは、わからないのだ。


 兼続は長谷堂城をまず攻略することに決した。義光は長谷堂を失えば本城も危ないとして、大軍を派遣してくるであろうことは十二分に予測できたし、事実そうなった。

 兼続は菅沢山に本陣を置いて長谷堂城を囲んだ。長谷堂城は重要な城なので、義光も股肱の重臣志村伊豆守高治以下千名の精兵を応援していたし、本城からも家老鮭延さけのべ越前守に鉄砲衆二百を含む兵三千を授けて救援に向かわせた。あと、伊達政宗に子義康に急使を送り救援を頼み、正宗より待望の援軍を送るとの返書があったことで、少しの安堵をみる。


「伊達殿の援軍が参れば、何とかなろう」

 と楽観していたが、正宗は叔父正景に兵三千を授けて派遣したが、最上領内に入った所で布陣をして雲行きを見ようとしていた。これには、軍議の際に、山形城を上杉が落とすまで待ち、その跡に疲弊しきっている上杉軍をせめて打ち破り、最上領を手にいれてしまうのが得策という作戦を練っていたのである。もし、義光が持ちこたえれば、その時に弱りきった上杉軍を殲滅すればよいとも考えていた。


 9月16日、兼続は長谷堂攻撃を命じた。長谷堂は小高い丘陵上にあり、回りを田圃や湿地に囲まれていた。まずは正攻方で攻めた。上杉軍は井楼をあげて火矢鉄砲をうちかけたのち、上泉隊、宇佐美隊と田圃の中にぬかるみを一歩一前進して城へ近づいていったが、山形勢は一斉に城から鉄砲を打ちかけた。動きの悪い上杉軍は、多くの兵が倒れたため一旦兵を引いたが、その後も力攻めに攻めた。それでも、城兵の守りは固く、城兵の損害も多かったが、直江方の死傷者も多かった。


 次に考えたのは古来よりしばしばこの収穫時期にあわせた苅田戦法をとることだった。眼の前の収穫間近の稲を刈り取られては城兵にとって一大事である。半農の兵士たちが多い中に、この行為は当然許せざる行為であり、当然それお阻止するためには、城から出撃しなければならなかった。


「殿、稲が刈り取られてしまいます。是非に打って出て阻止せねばなりませぬ」

「ならぬ。むやみに出れば、上杉の思う壺じゃ。心痛いことだが、我慢いたせ」

「しかし、黙って見過ごすことはできませぬ」


 上杉方からは最上の腰抜けどもという声が聞こえてくる。完全な誘導作戦だ。さすがに、志村高治はたまらず討って出よと命じたが、深追いは禁物と厳命した。城内から討って出たのを見て、上杉軍は作戦成功と応戦し、城壁に迫るが、またしても一斉射撃に死傷者が相次ぎ攻撃は頓挫した。


 激戦が続く中、上杉家中で剛勇を誇る上泉主水が討死にする。湊山九郎兵衛と組みあいとなり、岸辺に落ちたところを、金原七蔵が主水の首をとった。思いがけぬ損害に、敵も必死であり、そう簡単にはいかぬと、兼続は思った。それよりも、応援の最上勢が陣を張り、伊達勢も様子を伺うように陣を構えているのを知ると、城攻めよりも、野戦での撃滅が先と長谷堂城を囲む兵は最小限にして、野戦に備えて陣を構え直した。上杉軍得意の野戦である。

 しかし、どちらもなかなかしかけなかった。小競り合い程度で兵を引いていた。


「山城守殿、最上勢と蹴散らしましょうぞ」

「伊達がどう動くかわからぬ今、下手に動いては横合いから攻められよう」

「伊達は日和見、形勢を見届けるだけと存じますが」

「それが、尤も手強い事ぞ」

「しかし、このようにじっとしておっても、兵糧少なく、士気にかかわり申す」

「敵とて同じく兵糧は少なかろう。我慢比べじゃ」


 しかし、この待ちの時間が無駄となってしまった。景勝からに早馬が兼続の元に届けられた。景勝も、余りの早い西軍完敗敗走の前に声を失っていた。もう、最上との戦どころではなかったからだ。兼続は諸将を召集した。


「殿からは何の報せでござるか」

「去る15日石田治部の西軍が関が原で内府に敗れ申した。一刻も早く帰城せよとの事じゃ」

「何と。たった一日で勝敗が決したか」

「そのように記されておる」

「我らはこれからいかがいたすのじゃ」

「一刻も早く陣を払い、米沢に帰る。それも全軍揃うて。迅速が肝要じゃ」

「可能か。山城守殿」

「わしに考えがある。それには自ら殿軍となり、皆を無事に国境まで送り申す」

「山城守殿自ら殿軍とは、無謀な。万一のことあれば、殿に我らいかが申し開きをいたさばよいのか」

「それは時の運」

「皆の衆、山城守にお考えがあろう。ここは任して我ら早速にも陣を払い、米沢に帰り申そう」

「最上衆、伊達衆ともまだ西軍が敗れたことを知らぬといいが、知らば一気に攻めかかってこよう」

「今は知らずとも、明日には知ることとなると思わねばなるまい」


 翌9月30日に、やはり最上義光の元にも、東軍勝利の報せがもたらされた。城内からは喊声があがり、落ちかけていた士気が揚がった。


「よし、もはや上杉恐るるに足らず!上杉勢の様子はいかがじゃ。敵も東軍勝利の報せは届いておるはず。さぞ浮き足だっておろう」

「しかし、殿、今朝の物見の様子では、上杉は旗印を整然とならべ、隊列を組んでおり、しかも先鋒は兼続の旗印が立っている様子。敵もこの機会に一気に勝敗を決する覚悟かと」

「何と!兼続め。ついに先陣にたち、山形を攻め落とすつもりか」

「出陣の支度をいたせ!」

「ははっ」


 上杉軍の陣営では、いつもと同じように進撃態勢を整える準備をしていた。各隊の総大将が集められ、兼続のいる本陣に集っていた。まだ西軍敗走を知らない武将はまだおり、当然、総攻撃に向かうものと思い込んでいた。それも、先陣が直江軍なので、相当な覚悟を決めた戦いであることを察した。しかし、話は全く別であった。


「皆の衆、全く予期せぬ出来事があり申した。わが友石田三成殿が内府に破れ申した。もはや、これ以上戦いを続けることはわが上杉家の存亡に関わる故、即座に陣を払い、米沢に帰る所存。願わくば、全軍無事に帰るよう、わしが殿軍となり、最上を迎え撃つ。それがため、できるだけさとられぬよう、整然と隊列を整え、急ぎ国境を越えることを願うのみである。わが上杉の名を汚さぬよう行動いたしたい。よいな」

「はっ」

「では、各隊は整い次第出立せよ」


 兼続は、今回編成を変えて、鉄砲隊を出来るだけ独立させた存在にして、使いやすくしていたのが今回でも幸いした。だから、各隊にいる鉄砲隊は少数勢となっていた。


「山城守殿、わが鉄砲隊だけでも使うてくれ」

「かたじけない」


 色部光長が自軍の鉄砲隊百挺を提供してくれた。殿軍となれば、死を覚悟の上であることは、色部自身よくわかっていた。だからこそ、兼続を見殺しにすることは、景勝へのお目見えもできず、自身も腹を切らねばならぬと思っていた。

 兼続は、重臣と相談し、水原、溝口の両隊に鉄砲三百を預けて、戸上山山麓に布陣させ、鬼越には鉄砲五百を預けて、伏兵として丘陵に布陣させて、最上勢に備えさせた。

 あとは、最上勢が功をあせって進撃してくるのを待つのみであった。


 山形城内では、上杉攻撃の向けての準備が進められていた。最上義光は家康勝利の報告に喜びを覚えるとともに、安堵の気持でいっぱいであった。あとは、いかに上杉と戦うかであったが、兵力では圧倒的に上杉が上であり、まともに攻めては、逆に包囲殲滅されるだけである。義光は考えた末、やはり撤退を開始するや追撃戦を試みることであった。


「上杉は、退き始めたか?」

「申し上げます。物見の報告によれば、上杉は隊列を整え、国境に向かい始めたとの事。しかも、殿軍は兼継自身が受け持つ様子にござります」

「何と!直江が殿軍をいたすと。小癪な。一泡噴かせてみせようぞ。皆の者、出陣じゃ」

「はっ」


 上杉軍撤退の報告は、日和見をしている伊達軍にも伝えられた。しかし、まだ動く気配はなかった。


「伊達は頼りにはならぬ。最上だけで兼続めを打ち破ってみせよう」


 義光は、朝靄のなか山形城を出ると兵六百を率いて戸山山山麓から上杉軍を追った。しかし、そこは兼続が鉄砲隊を伏兵として置いていたところだった。


「放てッ!」

ダーン、ダ、ダーン!


 間段なく続く射撃は、義光の兜にも弾がかすめる程のものであり、最上軍の進軍は止まってしまう。義光は、後から続く別働隊に側面から攻撃するように連絡をとったが、いち早くその動きを察知した上杉軍は、すぐ撤退を開始して、畑谷に向かった。これを掩護するために、兼続は主力をもって、義光本隊に向かって襲撃をかけた。思わぬ攻撃にひるんだのは、義光軍だった。精鋭の上杉軍の攻撃を受けては、最上勢の勢いは頓挫した。ようやく、伊達勢が加勢に加わったのと、上杉軍が撤退のころあいを見てとり、ようやく戦いは終りを告げるが、すぐさま上杉を追撃するだけの余力は残っていなかった。義光としても北にも侵入した上杉軍がおり、北方を防備している兵を割くわけにはいかなかったのだ。


 加勢した伊達としても徒に追撃戦にこだわる必要もなかった。それでも、手痛い打撃を蒙っており、引き揚げる潮時であり、国境を越えての戦は止めざるをえなかった。


 兼続とて、無事撤退を成し遂げ国境を越えても、失った兵卒の数は痛かった。荒砥城に入り、暫くは最上、伊達に備えたが、国境を越えて進撃してくる気配はなかった。


 ここに、上杉景勝の奥州制覇は終焉を告げた。もはやあがいても、家康が勝利を収めたとあっては、領国内でじっとしいるしかなかった。


 最上義光は、戦後家康より論功抜群により24万石から33万石を加増され、57万石となった。伊達政宗が2万石しか加増されなかったことを思うと破格の加増であった。

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