第28話 東軍西へ 清洲城へ向かう
さて、小山の陣を引き払い、一路西へと道を急ぐ東軍の軍勢は、福島正則を先鋒とし、池田輝政、黒田長政、浅野幸長、加藤嘉明、細川忠興、藤堂高虎、生駒一正、桑山元晴、田中吉政、一柳直盛、堀尾忠氏、山内一豊、有馬豊氏らの諸将が一丸となって進み、福島正則の居城清洲に8月14日入城していた。が、家康からの指示は格別になかった。
家康は8月4日まで小山にとどまり、その後江戸に引き返した。後始末をして東国での安心なる策をしなければ、西へ行くことはできないのだ。会津上杉はよしとして、佐竹義宣の動向が気になるのだ。吉田
この間に西軍に味方する形になった吉川広家は、東軍の黒田長政に対し、今回の三成の挙兵に関しては、毛利輝元の本意ではなく、安国寺恵瓊の画策により大坂城に入らざるを得なかったことを詫び、家康殿に敵意を持っているのではないと釈明していた。
このことを長政から聞いた家康は、当然戦の駆け引きがあり、毛利3万が動かなければ、勝利の道は固いと信じていた。そして、8日付けで長政に返書をだしている。
吉川殿よりの書状、つぶさに披見せしめ候、御断りの段、一々その意を得せしめ候、輝元兄弟の如く申し合わせ候間、不審存じ候処、御存知無き儀共の由承り、満足致し候。この節に候の間、よき様に仰せ遣わせられ尤に候、謹々謹言
八月八日 家康
黒田甲斐守殿
長政は広家に対し、家康が毛利殿に異心がないことを確信していると報告している。
「御内儀のとおり、内府に申し上げたところ、拙者へお手紙を下されたので、使者にお見せした。本書は手前どものほうに留めおくが、今度のことは、輝元のあずかり知らぬことで、安国寺一人の才覚によるものと内府も了解せられている。このうえは、輝元へこの旨を申し聞かせ、内府と親密になされることが大切。こちらのことは万事拙者が整えるが、合戦に勝利したあとではそれもできかねるので、油断なく分別されたい」
家康は江戸に滞在しながらも、西軍の切り崩しに余念がなかったのである。さらに、重要な鍵を握る武将が西軍にはいた。小早川秀秋である。秀秋は朝鮮から帰国後、将帥たる器にあるまじき行為があったとして、52万石から15万石への国替えを秀吉から命ぜられたのだった。しかし、秀吉が死に、秀秋の移封は沙汰止みとなった。実質的な権力者家康がそのように図ったのである。当然、秀秋は親家康派になる。叔母の北政所も家康に従えば、万事安泰と言い聞かせていた。
しかし、三成は秀秋の心を揺さぶることをよく知っていた。挙兵にあたり、関白の座についていただきたいと勧誘したのである。これには、秀秋も心を揺さぶられ、家康につくつもりが、三成に味方していたのである。しかし、気になるのはやはり、家康の心情だった。密使を数回にわたり派遣し、本意ではない旨を伝えていた。
家康にとって、雌雄を決する戦となれば、勝算を見越さなければ戦をできるだけ避けねばならぬ。短期決戦でなく、今回のように長期に渡る戦となれば、当然相手方の寝返りを見込まねばならなかった。当然、有力候補が小早川であり、兵力の多い毛利勢が、静観していてくれれば、勝ち目は大きくなる。家康本隊の兵力だけでは、力不足であり、豊臣恩顧の大名を、徳川の先鋒として戦わせなければならないのだ。家康の力量が発揮されねば、徳川軍は壊滅してしまう恐れがあり、ということは政権の座を失ってしまうことだった。
福島正則らは、清洲城へ入ったものの、2日たち3日たっても何の音沙汰もなく、しびれを切らして、我らを疑うておるのかと不審の念をもらしていた。
8月13日、村越茂助直吉が家康の口上を託されて江戸城を出発し、19日清洲城へ到着した。東軍先鋒の諸将を集め家康公の口上を述べようとした。
血気盛んな福島正則は、村越に向って語気荒く言った。
「家康殿はなにゆえ江戸城を出発しないのか!なぜ我々に出陣命令を下さないのか!」
村越は答えた。
「家康殿の口上をお伝え申す。家康殿は、先鋒諸将がすみやかに美濃に進撃し、家康に対する忠誠をみたうえで江戸を出発するとのことである」
場にいた東軍の諸将はざわめき立った。予想外の言葉であったからだ。清洲に集まり、攻撃はいつかいつかと待ちわびていたのに、こともあろうに、逆になぜさっさと進撃しないのか、腰抜けどもかと言われたのと同じ衝撃だった。
「判り申した。我ら家康殿に対し忠誠と尽すべく、直ちに出陣いたす。家康殿にそうお伝え願いたい」
正則がまかしてくれという口調で大きな声で答えていた。
「諸将の忠誠、確かに見届け家康殿にご進言申しあげる」
村越はそう答えていた。そして家康の人心収攬のすごさに改めて感服していた。
20日、清洲城で軍評定を開いて、今後の作戦と役割部署を決めた。尾張から美濃にかけての絵図が前に置かれていた。
「さて、こたびの戦では、家康殿が西上してくる前にある程度の成果をあげておくというのを念頭に置いて、行動していただきたい」
正則がそう口火を切ると、諸将も同感していたのか、強く頷いていた。
池田輝政がまず口を開いた。
「西軍の動きであるが、石田三成が大垣城の伊藤盛宗を追い出し入城したと、聞いており、西軍の部隊も次々と大垣に向っておる様子でござる。西軍は我らに河を渡らせまいとする所存であろう」
「西軍の守る城は他には?」
藤堂高虎が聞いた。
「加藤貞泰が守る黒野城、杉浦重政の竹ケ鼻城、竹中重門の岩手城、そして織田秀信の守る岐阜城。主だったところはこんなとこでござろうか」
山内一豊が地図を指し示しながら言った。
「岐阜城は堅城ではあるが、落とすとなれば我らの士気も大いにあがりもうそう。岐阜をせめるがよろしいか。我ら信長公の稲葉山攻めにて、よく知っております。犬山も険しいが、守兵少なく、ここは犬山を攻めると見せかけ、犬山に援兵を送らせて敵の兵を分断させ、本隊は岐阜をつくというのは如何でござるか」
「おぅ」
正則の呼びかけに一同意見が一致した。
池田隊、堀尾隊、山内隊、一柳隊、浅野隊が木曽川上流の河田付近を渡河すること。福島隊、田中隊、加藤隊、細川隊、藤堂隊、井伊隊、本多隊が、萩原・尾越付近を渡河してそれぞれ岐阜城を目指すこととなった。総兵力は三万五千にも達していた。
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