第13話 直江状

 兼続は返書を認めて、伊奈図書助に手渡した。その内容は十三項目にわたり書き連ねてあった。伊奈は受け取ると、急ぎ大阪へと向かった。また遠い道のりである。


「朔の尊書昨十三日下着具に拝見、多幸々々」で始まる書状の内容は強烈なものであった。 その原文読み下しを次に示す。括弧内は要約文(ウィキペディアより)


今朔日こんついたち尊書そんしょ、昨13日下著げちゃくつぶさに拝見、多幸々々


一、東国の儀、其の元に於て種々雑説申すに付て、内府様御不審の由、最も余儀なく候、去り乍ら京伏見の間にてさえ、色々雑説止む時なく候、いわんや遠国と云い、景勝若輩と云い、似合いたる雑説と存じ候、苦しからざる儀に候の條、尊意を安んぜらるべく候、定めて連々つらつら聞こし召し届くべく候事

(会津のことで、京伏見でいろいろ噂がたっており、家康殿もご不審の様子でしょうが、やむをえないことだと思います。遠い会津での振る舞いは、景勝が若輩であるがゆえであり、なにかと詮索する噂がたつのでしょうが、気にすることではありません)


一、景勝上洛延引に付き、何とか申し廻り候由、不審に候、去々年国替程なく上洛、去年9月下国、当年正月時分上洛申され候ては、いつの間に、国の仕置申し付くべく候や、なかんづく当国は雪国にて、10月より2月迄は、何事もまかりならず候、当国の案内者に御尋ねあるべく候、しからば正月より雑説全く上洛延引、景勝逆心、何事かつぶさに存じ申しなし候やと推測あたわず候事

(景勝公の上洛が遅いということですが、ちょっと違うと思います。というのも、昨年国替えになったばかりでその時上洛し、秀吉公からは会津に戻って治国に精を出すようにいわれて帰国したのです。会津は雪も多く10月から2月の間は何もできません。誰が讒言しているか知りませんが、景勝公に逆心など毛頭ありません)

一、景勝別心べっしんなきに於ては、誓詞を以て成りとも申し上ぐべき由、去々年以来数通の起請文、反故ほごに罷りなり候うえは、重ねて入らざる御事に候

(逆心がなければ誓詞を書けとおっしゃいますが、起請文は今までに何通も書いて出しております。その上何のための起請文でしょうか)


一、太閤様以来、景勝律義の仁と思し召し候はゞ、今以て別儀あるべからず候、世上の朝変暮化ちょうへんぼかには相違あいたがい候事

(太閤殿下よりこの方、景勝公は律儀な方だということがよくおわかりなら、ここにいたってなぜ突然、逆心ありとおっしゃるのでしょうか)


一、景勝心中毛頭別心しんちゅうもうとうべっしんこれなく候とも、讒人ざんじんの申しなし御糺明なく、逆心と思し召す処、是非に及ばず候、兼て又御等閑おんなおざりなきしるしに候はゞ、讒者御引合、是非を御尋ね然るべく候、左様にこれなく候はゞ、内府様表裏と存ずべき事

(景勝公に謀反の心などないにもかかわらず、そうお思いになるのは、裏切り者がいて、悪し様に申し立てているからだと思います。いずれの事を正しいとなされるのか、そのへんの判断を請いたいと思います)


一、北国肥前殿の義、思し召しのままに仰せ付けられし由、御威光浅からず存じ候事

(前田利長殿は恭順の意を表したようですが、上杉はそう簡単には屈しません)


一、増右、大刑少、御出頭の由、珍重に候、所要の儀申しこすべく候、榊式太は景勝表向きの取次にて候、然れば景勝逆心歴然に候とも、一応意見に及び候てこそ、侍の筋目、又は内府様御為にも罷りなるべきの処、讒人ざんじんの堀監物奏者を仕られ、種々の才覚を以て、申し妨げらるべき儀にては、これなく候、忠臣か佞人ねいじんか、御分別次第重ねて願い入るべき事

(増田長盛と大谷吉継がご出世されたことはわかりました。たいへんめでたいことです。用件があればそちらに申し上げます。榊原康政は景勝の公式な取次です。もし景勝に逆心があるなら、意見をするのが榊原康政の役目です。それが家康様のためにもなるのに、それをしないばかりか讒言をした堀監物(直政)の奏者を務め、様々な工作をして景勝のことを妨害しています。彼が忠義者か、奸臣か、よく見極めてからお願いすることになるでしょう)


一、第一雑説及び上洛延引候御断り、右に申しのぶる如くに候事

(噂は上洛が遅れているから生まれたことでしょうが、実際は今まで申し上げたとおりです)


一、第二武具集め候事、上方武士は今焼茶碗、炭取瓢すみとりふくべ以下の人たらし道具、御所持候、田舎武士は、鑓、鉄砲、弓箭の道具、支度申し候、其の国々の風俗と思し召し、御不審あるまじく候、たとえ世上にこれなき支度申し候て、不似合いの道具用意され候とも、景勝の分限、何程の事これあるべく候や、天下に似合わざる御沙汰を存ぜしめ候事

(武器を集めているとおっしゃいますが、上方の武士の間では最近新しい茶碗や炭取の類を集めるのがご趣味だと伺います。しかしながら田舎武士の上杉家では、弓鉄砲などの武器を集めるのが趣味であり、その国々の風俗趣味の違いであります。景勝公が不釣合いな道具をもっても笑われるだけと存じます)


一、第三道作り舟橋申し付けられ、往還のわずらいこれなきように仕られ候は、国を抱えられ候儀にて候條、かくの如く候、越後に於ても舟橋、道作り候、然れば端々はしばし残り候てこれあるべく候、淵底えんてい、堀監物存じべく候、当国へ罷り移られし刻、仕置もこれなき事に候、本国を云い、久太郎ふみのぶし候に、何の手間入るべく候や、道作るまでに行たらず候、景勝領分越後は申すに及ばず、上野、下野、岩城、相馬、政宗領、最上、由利、仙北の相界、道作り何も同前に候、自余の衆は何とも申されず候に、堀監物計り道作りにおそれ候て、色々の儀申しなし候、能々よくよく弓箭ゆみやを知らざる無分別者と思し召さるべく候、景勝天下に対し逆心の企てこれあり候はゞ、諸境目、堀切、道をふさぎ、防戦の支度をこそ仕らるべく候へ、十分の道を作付て、逆心の上、自然人数を向けられ候はゞ、一方のふさぎさへ罷りなるまじく候、況んや十方を防ぎ候事、罷りなるものにて候や、たとえ他国に取出とりいで候とも、一方へこそ景勝相当の出勢罷しゅっせいまかりなるべく候、二口とも如何として罷りなるべく候や、中々なかなか是非に及ばざるうつけ者と存じ候、景勝領内道橋申し付け候体そうろうてい、江戸より切々御使者、白河口の体、御見分あるべく候、其の外奥州筋へも、御使者上下致され候條、御尋ね尤もに候、尚御不審に候はゞ、御使者下され、所々境目の体、見させら候て、御合点参るべく候事

(道を普請し、橋を設けて通行をよくするのは、領主として当然のことです。越後にいたときでも同様に、普請に力をいれておりました。上野、下野、最上や由利、仙北などでもしきりに道路普請が行なわれています。どうして上杉だけをお咎めになるのでしょうか。第一、景勝公に逆心があるのなら、道路の整備などいたしません。むしろ道を塞いで、交通を不便にして敵を防ぐ作戦をとります。道を造って、通行を便にするということは、開かれた会津をつくっているということです。戦を知らないものの戯言と思います。一度ご使者を遣わされて、ご検分していただけば分かることだと思います)


一、御等閑おんなおざりなき間とても、以来虚言になり候様の儀は、自他の為仰せられまじくの由に候へども、高麗降参申さず候へば、来年か、来来年は、御人数遣わすと之あるは、誠に虚説たるべきか、一笑一笑

(親しい間柄であっても、これからは虚言になるような話は双方のためにしないとのことでしたが、高麗(朝鮮)が降参しないのであれば、来年か再来年軍勢を派遣すると言っているのは、明らかに虚言ではないでしょうか)


一、景勝当年3月は、謙信追善に相当り候條、左様のひまを明けられ夏中に御見舞の為上洛仕るべき内存故、人数武具以下、国の覚仕置の為に候條、在国中に急度相調え候様にと用意申す処に増右、大刑少より使者申し越され候は、景勝逆心の沙汰、穏便ならず候條、別心なきに於ては、上洛尤もの由、内府様御内證の由に候、とても御等閑なく候はゞ、讒人の申しなし、有様に仰せ聞かされ、急度御糾明候てこそ、御懇切の印たるべき処に意趣なき逆心と申し触れ候條、別心なくば、上洛候へなど乳呑子あいしらい是非に及ばず候、昨日迄逆心企て候者も、其の儀はづれ候へば、知らぬ顔にて上洛仕り、或は縁者、或は新知行を取り、恥不足もかえりみぬ人の交りをなし候、当世風は景勝身上に不相応に候、心中別儀なく候へども、逆心天下に其の隠れなく候を無左と上洛せず、累代律義の名、弓箭の覚を失い候條、讒人引き合わされ、御糾明これなくば、上洛なるまじく候、右の趣景勝理か非か、尊処に過ぐべからず候、なかんづく、景勝家中藤田能登と申す者、去年半ば、当国を引き取り、江戸へ罷り越し、それより上洛仕り候由に候條、万事知れ申すべく候、景勝罷り違い候か、内府様御表裏が、世上の沙汰次第に候事

(今年の三月は謙信の追善供養にあたります。景勝はその後夏頃お見舞いのために上洛するおつもりのようです。武具など国の政務は在国中に整えるよう用意していたところ、増田長盛と大谷吉継の使者がやってきて、景勝に逆心がなければ上洛しろとの家康様のご意向を伝えられました。しかし、讒言をするものの言い分をこちらにお伝えになった上で、しっかりと調べていただければ、他意はないとわかります。ですが逆心はないと申し上げたのに、逆心がなければ上洛しろなどと、赤子の言い方で問題になりません。昨日まで逆心を持っていた者も、知らぬ顔で上洛すれば褒美がもらえるようなご時世は、景勝には似合いません。逆心はないとはいえ、逆心の噂が流れている中で上洛すれば、上杉家代々の弓矢の誇りまで失ってしまいます。ですから、讒言をする者を引き合わせて調べていただけなくては、上洛できません。この事は景勝が正しいことはまちがいありません。特に景勝家中の藤田信吉が7月半ばに当家を出奔して江戸に移った後に上洛したということは承知しています。景勝が間違っているか、家康様に表裏があるか、世間はどう判断するでしょうか)


一、千言万句も入らざる候、景勝毛頭別心もうとうべっしんこれなく候、上洛の儀は罷りならざる様に御しかけ候條、是非に及ばず候、此の上は内府様御分別次第、上洛申さるべく候、たとえ此のまま在国申され候とも、太閤様御置目に相背き、数通の起請文反古ほごになし、御幼少の秀頼様見放し申され、内府様へ不首尾を仕られ、此の方より手出を致し候ては、天下の主になられ候とも、悪人の名遁なのがれず候條、末代の恥辱ちじょくたるべく候、此の処遠慮なく何しに逆心仕らるべく候や、御心安おんこころやすかるべく候、但し讒人ざんにんの申しなし実義と思し召し、不儀の御拵おんこしらえにおいては、是非に及ばず、誓紙も堅約けんやくも入りまじく候事

(申し上げるまでもありませんが、景勝に逆心など全くありません。しかし、上洛できないように仕組まれたのでは仕方ありません。家康様の判断通り上洛しなければならないことはわかっています。このまま上洛しなければ、太閤様の御遺言に背き、起請文も破り、秀頼様をないがしろにすることになりますので、たとえこちらから兵を起こして天下を取っても(逆に言えば「戦っても勝てる」と暗喩)、悪人と呼ばれるのは避けられず、末代までの恥辱です。そのことを考えないわけはありませんので、どうかご安心ください。しかし讒言をする者を信用され、不義の扱いをされるようではやむを得ません。誓いも約束も必要もありません)


一、其の元に於て、景勝逆心と申しなし候如く、隣国に於ても、会津働きとて、触れ廻り候、或は城に人数を入れ、兵糧を支度し、或は境目さかいめ人質を取り、所々口留くちどめを仕られ、様々の雑説どもに候へども、分別なき者の仕事に候條、聞きもいれず候事

(景勝に逆心があるとか、隣国で会津が攻めてくると言いふらし、軍備を整えるのは無分別者のやることです。聞くまでもありません)


一、内々内府様へ使者を以てなりとも、申し宣ぶべく候へども、隣国より讒人打ち詰め、種々申しなし、家中より藤田引き切り候の條、逆心歴然に思し召さるべきの処、御音信ごいんしんなど申し上げられ候は、表裏ものの第一と御沙汰これあるべく候條、右の條々御糾明なきうちは、申し上げられまじき由に候、全く疎意これなく、折節おりふし御取成おんとりなし、我等に於ても畏れいるべく候事


一、何事も遠国ながら校量仕る儀に候條、有様に仰せ聞けらるべく候、当世様とうせいざまに余情がましき事候へば、自然誠の事もうその様に罷りなり候、申す迄もなく候へども、御目おんめにかけらると云い、天下黒白こくびゃくも御存知の儀候條、書きつけ進め候、慮外少からず候へども、愚意を申し宣べ候、尊意を得べき為、其のはばかりを顧みず候、侍者奏達じしゃそうたつ、恐惶敬白

(遠国なので推量しながら申し上げますが、なにとぞありのままにお聞き下さい。当世様へあまり情けないことですから、本当のことも嘘のようになります。言うまでもありませんが、この書状はお目にかけられるということですから、真実をご承知いただきたく書き記しました。はしたないことも少なからず申し上げましたが、愚意を申しまして、ご諒解をいただくため、はばかることなくお伝えしました。侍者奏達。恐惶敬白)

  四月十四日

                          直江山城守兼続

  豊 光 寺  

    侍者御中

追って急ぎ候間、一遍に申し述べ候、内府様又は中納言様御下向の由候間、万端御下向次第仕るべく候、以上


 兼続は長文で後世に残る書状を家康に書いた。上杉は前田のように料理できなかった。やはり兼続の存在が大きかった。また、前田と違い、信長の家臣であった前田が同盟者家康との間柄と、四面楚歌の中で生き抜いて来た上杉家との政略の違いの現れでもあったろう。そう簡単には、家康に屈するわけにはいかない。秀頼には誓詞を持って臣従していても家康には臣従していないのだ。

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