第9話 三度の改心、ラス・カサス

 ラス・カサスは1484年にスペインのアンダルシアに生まれました。1502年、つまり十代後半のころ初めてアメリカ大陸に渡りました。


 そしてカリブ海周辺でいくつかの征服戦争に参加した結果、エンコメンデロ(奴隷主の資格)を得て農業や鉱山業などの植民活動に専念しました。彼はそこでインディオが非人道的に扱われ、次々と死んでゆく有様を目にしました。


 このころスペインに戻り、副助祭、すぐに司祭になります。そしてアメリカ大陸に再度渡ります。

 そこで彼は、エンコミエンダ制を激しく非難し、自身の所有するインディオも全員解放しました。


 その後スペインに帰りフェルナンド一世やカルロス一世にインディオの実情を訴えて回りました。


 さらにインディオがいかに優れた存在を紹介した書物『インディアス史』を執筆したり、征服戦争とエンコミエンダ制を弾劾する書簡をインディアス枢機会議に送ったりと、積極的にインディオのために活動しました。

 その分、インディオを奴隷として使い、利益を得ている入植者からは強い恨みを買うことになりました。


 1550年には、先天的奴隷論を唱え、インディアスへの戦争と彼らの奴隷化は当然と主張するセプールベタと激しく論戦しました。(バリャドリッド論争)


 この論争においてサラマンカ学派の学者から成る審議会は、セプールベタの「第二のデモクラス」出版を許可しませんでした。そのためラス・カサスのこころざしはある程度、実現したと言えます。


 後のスペイン国王、フェリペ二世はペルーにおいてエンコミエンダ制の廃止を決定しました。


 1566年、死去。


 ここまで読むと、聖人君子でしょ? ところがラス・カサスには毀誉褒貶きよほうへんがあるのです。

 彼はインディオのあまりに過酷な労働条件を緩和するために、アフリカから黒人奴隷を連れてこようとしたことがあります。もちろん後に改心して黒人奴隷にも反対しますが。

 また、当時のスペインはネーデルランド(オランダ)と戦争をしていたのですが、ラス・カサスの書いた「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は対スペインのプロパガンダとして利用され、オランダで何度も重版が繰り返されました。

 そのため現在でもラス・カサスを嫌うスペインの人は多く、決して偉人としての地位を得ているとは言えない状況です。

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