次男坊カール

沓屋南実(クツヤナミ)

第1話 バッハ家の息子たち

 私は、ケーテンの宮廷楽団長であったヨハン・セバスティアン・バッハと結婚し、20歳にして12歳を頭に4人の子どもの母親になりました。生みの母は亡きマリア・バルバラさんです。

 お母さん似の長男フィル(ヴィルヘルム・フリーデマン )、お父さん似の次男カール(カール・フィリップ・エマヌエル )。ふたりとも優秀な音楽家になるのですが、子どもの頃から対照的でした。長男のフィルは父親から教えられたことをさっと覚えてしまう天才肌。鍵盤楽器だけでなく、ヴァイオリンも上手です。カールの才能だって大層なものですが、4つも年が離れているから、差があるのは当たり前です。でも、何とかして追いつこうと努力を怠らなかったのは、兄に敵わない悔しさも大きな理由だと思います。毎日みっちり音楽の勉強に励みました。


 ある日、夫ヨハンが馬車で幾日もかかる街へ、オルガンの試演に行く仕事を頼まれました。私を連れていくと言ってくれたのですが、末娘の体調が心配で残ることにしました。

「ではフィルを連れて行こう」

 夫は言いました。

「では支度をしますね」

 反対しないものの、カールが残念がらないか心配になりました。

 案の定。カールは怒りました。

「兄さんだけ、ずるい」

「あなたにも、また機会はあるわ」

 私がそう言うと、カールはさらにむくれました。

 新米母は無力でした。カールの気持ちをなだめることができない自分に、落胆したことを覚えています。


 父子として初めての旅に、ヨハンは息子より興奮気味でした。向こうで小さな演奏会を開き、フィルも演奏するのです。クラヴィーアにもヴァイオリンにも才能ある息子を披露できるのが、嬉しいのでしょう。ふたりで一生懸命練習する姿はとても微笑ましく、私は奏でられる音楽にうっとりして、繕い物をおいて聴き入ってしまいました。

 気配がして扉に目をやると、カールが立っていました。教会の幼年学校から帰ったのです。気がついて、夫は声をかけました。

「カールもおいで、フィルと父さんが連弾するからな。どうだったか教えておくれ」

「いい!」

 カールは首を大きく振り、走って行ってしまいました。

「おや、どうしたんだ」

「カールは自分も連れて行ってほしいのですよ」

「順番に連れていくよ。兄から順になるのは仕方がないじゃないか」

「そう思うのですけれどね。でもカールは悲しがっています」

「わかった、向こうで何か良いおみやげでも買ってこよう」

 それで満足するかしら。何か、カールの気持ちにそぐわない気がしたのですが、何と言ってよいのかわかりません。8歳ですが、物で気が済まないのではないかと思いました。

 

 カールはしばらく膨れっ面でいましたが、すぐに元通り子どもらしく、元気に外で駆け回ったり、兄弟でじゃれあったりしたりしました。 鍵盤楽器の練習も必ず。取り掛かるとしばらく夢中になって、弾いていました。

 そこへ、フィルがヴァイオリンを弾きだすと、姉と妹も歌いだして、家族に加わってまだ日の浅い、私も一緒に歌います。子どもたちと奏でるひとときは、本当に素晴らしく心の底から喜びを感じ、時の経つのを忘れてしまいます。


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