山口 猛

 宿直室の電気ポットで湯を沸かしながら山口は溜息をつく。

 世間では通り魔が横行していると言うのに、よりによって宿直とは……。

 しかしいい大人が怖いと言う事も出来ず、結局引き受ける事になった。

 いっそ普通に通り魔をしてくれれば、安全を考慮して人を増やす事も出来るだろうに、荒唐無稽な話にするから真実味が無くなるのだ。

 通り魔の際に、おかしな格好をしたらより重い罪になるよう法が改正されないだろうか、と的外れな事を考えているとポットのランプが沸騰を示す。

 カップ麺の蓋を開け、湯を注ぎ込む。

 することもなくぼんやりと窓を見ていたが、窓の外は完全な闇だ。

 カーテンを閉めようか。

 怖いわけではない、外から丸見えというのはみっともないではないか。

 窓に駆け寄って閉めるといかにも怖がっているように見えるので、ゆっくりと窓に這い寄る。

 カーテンまで数メートル、と言う所まで来た時、窓の下からぬっと首が現れた。

 ぼさぼさの髪に無表情に半開かれた目、病的なまでに白い顔は、目が合うとにっと笑った。


「う、うわああああっ!」


 後退り、テーブルにぶつかるとカップ麺が倒れた。

 で、出たのか? やっぱりアイツは……、と驚愕していると生首の横にもう一つ首が伸びる。

「空ちゃん……、先生驚いてるじゃないか」





 こぼれたカップ麺を片付け、落ち着きを取り戻した所で忍び込んで来た生徒を叱る。

「全く。こんな夜遅くに子供達だけで外を歩くなんて、親御さんは知ってるのか」

「でも先生、すっげーびっくりしてんだもん」

 健太はまだ笑っている。

「違うぞ。うっかりラーメンをこぼしてしまったから悲しくて叫んだんだ。夕食はこれしかなかったっていうのに……」

 もったいないもったいないと念仏のように唱える。

 普段大人しい陽子まで笑いを堪えている。

「俺らもラーメン持って来たんだから、先生にも分けてやんよ」

 うむ、なら許す、と言って湯を入れる。

「ラーメン食べたら帰るんだぞ」

 送ってやるわけにはいかないから、誰か迎えに来られないのかと聞くが皆首を振るだけだ。

 仕方ない、一人ずつ車で送っていくか。学校を空けてしまうが事情が事情だからやむを得ないだろう。

 やれやれという顔をするも内心嬉しくなる。

 この子達は押し付けられるように宿直の当番になった自分を、寂しいだろうと心配して来てくれたと言うのだ。

 この悪魔、もとい空湖が言い出したと聞いた時は何を企んでいるのかと思ったが、今の様子を見る限りそういう事はなさそうだ。


 後になって思い出すと、優等生よりも問題児の方が印象に残り、気が付けば可愛かった生徒として思い出すのは問題児の方になる、と言うのを年配の先生に聞いた事がある。


 自分もいつかこの児童を、そんな風に思い出す日が来るのだろうか。


「でも先生。あんま無理せず断んなきゃ。前にも体壊して休んだ事あったじゃん」

 へえ、とその頃を知らない転校生の孝が言う。

 だが「心配したよねー」と言う空湖に僅かながら殺意が蘇る。

 いや、そんなはずはない。偶然だ。あれは未開封だったではないか。

 自分に言い聞かせ、黒い考えを振り払う。


 出来上がったラーメンを皆で啜り、談笑する。

 この問題児は孤立した存在だと思っていたが、いつの間にかこんなに友達が出来ていたのか。

 悪くない。自分に足りなかったのはこれだったのだろうか。

 生徒との距離を縮めようとする意識。


「そう言や、校長先生の怪我ってどうなん?」

 健太が聞く。警察が来るほどの事件なのだから、気になるのは当然だろう。

「結構、重傷みたいだよ……。いや、命に別状はないんだけど。これからの生活には、支障が出ると言うか」

 後遺症が残るほどの怪我……だが、あまり食事中にする話ではない。

「でも二人目の被害者は軽傷だって……」

 孝が口を挟む。

「ああ。そっちはね。かすり傷程度だよ。でも、ショックは大きくてね。あんな事があったばかりだから、気の毒だよ」

「あんな事?」

 皆の視線が集まる。

「先生、被害者の人知ってるの?」

 健太が聞く。

「あ、いや」

 言い淀んだが、まあもうウワサにはなってるし、と話し始める。

「横田のお母さんだよ。この前亡くなった生徒のね」

 よく知らない孝にも分かるように付け加える。

 息子が死んだだけでなく、通り魔にも襲われたのだ。その胸中はいかばかりだろう。

「横田に、吉川、梶村。あいつらも問題児だったが、あんな事になるなんてなぁ」

 山口は誰に言うでもなく、思い出を語るように呟いたが、空湖を見てはっとしたように言葉を切る。

 この空湖にも苦労をさせられているとは言え、事件の時はひどい事を言ってしまった。

 普段から疑われても仕方ない事をしている方が悪い、とその時は自分を弁護したが、時間が経つとやはり大人げなかったのではないかと思う。

「でもまあ、ホントに大した怪我じゃないんだよ。ショックからも立ち直ってるしね。指をなくす事に比べれば」

 皆の目が見開かれる。

 山口はしまったと言う顔でカップ麺のスープを飲む。罪悪感を胸の内に押し込む事に意識が行ってつい油断した。

「ゆ、指って……」

 健太の声も奮えている。

「どの指?」

 空湖が空気を読まずに聞く。

 山口は、う……と言葉に詰まるが、「気になってよけー怖ぇよ」と言う健太の言葉に観念したのか、目を閉じて左手を出し、小指、薬指、中指を立てた。

 皆真っ青になる。

「さあ! もうその話は止めだ! お前達、今日の宿題はもうやったのか?」

 怖い話はお終い! と区切って他愛のない話題に変える。


 半ば強引に明るい話を繋いでいると窓の外に、にゅっと首が現れた。

 山口の様子に生徒も窓を見て、そして固まる。


 山口は生徒達を見回し、

「ははーん。またお前達の仕業だな」

 生徒は激しく首を振る。

「ち、ちげーよ!」

「せ、せんせい……、怪人……、通り魔……」


 窓から現れた首は赤い、血の涙の様な線の入った面に白いボサボサの桂を被っている。

 確かにテレビで放送していた通り魔の特徴と一致している。


 首は身を乗り出し、ばりーんと窓を割った。

 生徒達が悲鳴を上げる。


「逃げるんだ!」

 山口は叫び、生徒を廊下に促すと通り魔の方を見て、そこで動きが止まる。


 部屋に入った通り魔は手足を広げて威嚇するように動いているが、その正面に先程と変わらない様子で座っているのは、クラスの問題児、空湖だ。


 通り魔が大きな刃物を振り上げるのが見える。


 山口の頭の中で一瞬の間に様々な思考が流れる。

 何を考えているんだ?

 このまま通り魔が空湖を殺せば、自分の教師生活はどう変わるだろう?

 保護者の苦情から解放されるのか?

 生徒を見殺しにした教師のレッテルを貼られるのか?

 いや、生徒は四人もいたんだ。全員を無事に逃がすのには力が足らず、犠牲者が出ただけの話だ。

 多くを助けるための、やむを得ない犠牲なんだ。

 自分は……。

 三人の生徒を外へ押し出しながら、怪人が刃物を振り上げるのが視界の端に見える。

「空ちゃん!」

 孝の叫ぶ声が聞こえる。

 怪人は刃物を振り下ろし、部屋に鮮血が飛び散る。


「ぐっ!」

 山口は左腕に出来た傷に呻きながら、右手で空湖を抱え込む。

 怪人は山口の行動に一瞬怯んだような動きを見せた。

 その隙に外へと出る。

「裏門の駐車場へ行くんだ!」

 校舎の外へ出ると空湖を下ろし、鍵を取り出して解錠のボタンを押す。

 停めてある車のハザードが点き、それを目印に生徒が走り出す。


 山口は最後尾に付き、逃げ遅れた生徒がいないか確認しながら後を追う。

 運転席に乗り込んでエンジンをかけた所で、バックミラーに怪人が追ってくるのが見えた。

 アクセルを踏み込み車を発進させる。

 もう大丈夫だろうと息を整えようとした所で生徒が叫ぶ。


「追って来たあ!」


 何? とバックミラーを見ると車のすぐ後ろにフワフワと浮遊するような白い塊が見えた。

 ふさふさの毛の中の丸い顔には赤い線が入っている。

 悲鳴を上げそうになるのを何とか堪えアクセルを踏み込み。

 だが怪人は車にピッタリとついてきた。


 そんな馬鹿な! 時速六十キロだぞ? あの怪人は本当に空を飛ぶのか?


 更にアクセルを踏み込む。

「せんせい! いなくなったよ! せんせい!」


 そうか。振り切ったか……、あの怪人の飛行速度は時速六十キロが限界か……。

 などと思いながら山口の意識は暗闇へと落ちていった。

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