ひきこもり召喚士は起き上がらない

雪瀬ひうろ

第1話 このくだらない世界に祝福を!①

「やれやれ、また異世界召喚か……」


 時空の境界に穴を開け、二つの世界を繋ぐ行為。それが異世界召喚。

 もちろん、抗うこともできたが、わざわざこの俺を召喚するということは、術者は危機的状況に陥っている可能性が高い。それを無視するのはさすがに男がすたるというものだ。


 ――俺は助けを求める者を決して見捨てない。


 さて、今回もさくっと解決して帰るか……。


「なにせ、まだ学校の宿題が残っているからな」


 「トンネルを抜けると雪国だった」というのはよく聞く話だが、「時空の穴を抜けると汚部屋だった」というのは、なかなか斬新な書きだしなのではないかと思う。

「なんだ、この汚ねえ部屋は……」


 部屋の広さはおおよそ十畳。俺の家の部屋とそうは変わらない。しかし、そのごく狭いスペースにありとあらゆる物が詰め込まれている。本棚やテレビ、パソコンといった日本でもよく見る物から、魔力を帯びた杖や水晶、宝石といった『魔道具』、超科学の範疇と思しき光線銃に小型アンドロイドといった『アイテム』、霊体のみで構成されていると見える半透明な刀や十字架といった『霊装』、挙句の果てに『情報素子』のみで形成されたと思われるインフォメーションボードが中空を無造作に舞っていた。他にも目を凝らせば、莫大な資産価値の存在するであろう骨董品から 『神の奇跡』の範疇に属する聖遺物クラスのものまで存在している。それらが汚れたティッシュやカップ麺の食べ残しの間に無造作に転がっているのだから性質が悪い。要するに、この部屋は普通の異世界とは違った意味で「魔境」だった。


「これは久々にヤバいところに召喚されたか……?」


 今までだって俺は魔王や邪神を何体、何柱もほふってきたし、テクノロジーの暴走で人間に牙をむいたロボットだって相手取った。俺自身、情報素子に変換されて情報生命体と戦ったこともある。だが、今回の召喚は今までに比べてあまりに異質。


「まさかこんなカオスな部屋に召喚されるとは思わねえもん……」


 倒すべき邪神なりなんなりをワンパンして帰ろうと思ったそのときだった。


「ようやく来たのね……」


 俺の足元から聞こえる声。

 俺はそのときになって自分の足元に一人の少女が横たわっていることに気がついた。

 このあまりにカオスな汚部屋に気を取られ過ぎていたのだ。


「おい、大丈夫か?」


 俺は思わず跪いて少女を見る。これだけの危険物に溢れた部屋の中に居るのだ。少女はその何かの影響を受けて倒れたと見るのが筋だろう。


 腰まで届こうかというくらいに長い金髪。大きなワインレッドの瞳。面持ちは幼く、中学生くらいに見える。着ている服はいわゆるラフなパーカーで、その姿から考えても、俺が元居た世界とそう文化は違っていないのかもしれない。


 俺が少女を助け起こそうとすると、


「……そういうのはいいから」


 か細く可愛らしい透明感のある声で少女は俺の手を拒否する。


 そして、少女はこの混沌とした世界の中で大きく澄んだ双眸を俺に向ける。


 少女のみずみずしい唇はゆっくりと動いて、俺に言葉を告げる。


「お願いがあるの……。そのために、私は貴方を呼んだ……」


「君が今回の俺の召喚者だったか」


 だとするとこの子は時空踏破の力を持った高位の召喚士なのだろうか。

 少女は、まるで熱に浮かされたような震える声で俺に告げる。


「私を助けて……」


 少女の助けを求める声。その声で俺の中にある何かに火がつく。それは幾度となく味わってきた感覚。数多の異世界に召喚され、その度に求められたもの。


「ああ、任せろ」


 それに応えるのに理由が必要だろうか。

 それを拒むことは正しいことだろうか。

 そんなもの答えるまでもない。


「さあ、俺に何をしてほしいんだ? この魔境を打ち払えばいいのか? それともこの世界はこの部屋の向こうまでこんな混沌が広がっているのか?」

「違うの……。私が貴方にやって欲しいことは、ただ一つだけ……」


 少女は俺がこれから残りの人生できっと生涯忘れることができないであろう「願い」を口にした。


「棚の上に置いてあるマンガをとって……」


 このクソくだらない「願い」を、俺はきっと死んでも忘れないだろう。


「えっと……すまんな。もう一回言ってくれるか?」


 俺は聞き間違いだということに一縷の望みをかけることにする。


「棚の上にあるマンガを取ってって、言ってるの……」


 先程よりもどことなく険のある声。倒れていると思っていた彼女の姿勢も、よくよく見るとただ床に寝ころんでいるだけのような気がしてきた。頭の裏に手を回したりしてるし。


「君は俺を異世界召喚した召喚士に相違ないか?」


「そうね。呼んだわね」


「……君は俺をわざわざ異世界から呼びだして何をさせようとしているんだ?」


「さっきから言ってるのに……」


 少女は子供のように唇を尖らせて言った。


「棚の上にあるマンガを取ってって、言ってるの」


「………………………………」


「君はマンガを取らせるためだけに異世界から俺を召喚したのか……?」


「そのとおりよ」


「いや、おかしいだろ」


 だんだん腹が立ってきたので、意図的にやや丁寧にしていた言葉遣いを崩すことにする。


「異世界召喚って大変なんだぞ。世界を管理する女神とか、魔法を極めた大魔法使いクラスじゃないとできない奇跡なんだぞ? それをなんだ、棚の上のマンガを取る? そんなことのために使うなんておかしいだろ。なんか、『人々を苦しめる魔王を倒して』とか『惑星に終焉をもたらさんとする外来生命体を止めて』とか、そういうことのために使うのが普通なんじゃないのか?」


「なにそれ中二病?」


「ちげえよ」


 いや、確かに召喚勇者歴は長いからそういう方向に流れた時期もあったけど。


「私にとっては自分で起き上がってマンガを取るより召喚する方が楽なのよ」


 いや、そんなはずはない。いかに卓越した技術を持つ召喚士といえど、異世界召喚というのは一大儀式であり、少なくともこんなところで自堕落に寝ころんだまま行えるような代物ではない。ましてや、自分で起き上がって棚の上のマンガを取るよりも楽なんてことは絶対にありえない。


「ありえねえ。さすがに信じねえぞ」


「……まあ、確かにこの問答の方がめんどくなってきたのは確かね」


 未だに寝転んだままの少女は一つ小さく溜め息をついてから言う。


「じゃあ、解りやすい証拠を見せましょうか」


 その瞬間だった。


「な?!」


 俺の首に繋がっている不可視のパスが熱を帯びているのを感じる。パスを介して彼女のオドが俺の魂に注ぎ込まれていることが解る。


 それが示すことは――


「リリナ・ステルフスキの名において命ずる――」


 彼女が俺を召喚し、使役する術者であるということ。


「――『棚の上のマンガを取れ』」


 彼女の言葉に縛られた俺の身体は、自分の意志に反して、一人でに動き出す。


「これでわかった?」


 ここまでされては信じる他ない。

 この女は紛れもない超一流の召喚士であり、


「あ、そのワンピ○スの一巻ね」


 超ド級のめんどくさがりだ。






「友永、男なら助けを求める者を見捨てるようなことはするなよ」


 子供の頃、父さんはいつもこんなことを言っていた。


「友永、よく覚えておけ」


 父さんは真剣な表情で言う。


「助けを求めている人っていうのは、助けてほしいと思っているんだ」


「うん、当たり前だよね」


 父さんはいつもこんな頓珍漢な調子だ。


「トモくん、お父さんはね、昔、お母さんを助けてくれたときからすごくかっこよか

ったんだから」


 いつまでも小学生みたいな見た目の母さんは、いつものろけている。


「友永、おまえならどんなものだって救えるさ」


 父さんは豪快に笑って言った。


「なんたっておまえはの父さんの息子なんだからな」


 母さんはおしとやかに笑って言う。


「そうよ。そして、トモくんは父さんを召喚したである母さんの息子でもあるんだから」


 召喚勇者の父親に、世界を見守る女神である母親。


 要するに俺は生まれた家からして普通ではなかったのだ。


「お願いです、『時の勇者』様! 我々の世界をお救いください!」


「あなたが今回の『適合者』ですか……。計算通りです。貴方ならこの惑星を奴から守り抜けるでしょう」


「げっ! 何よ子供じゃない。本当にこいつが『ラグナロク』を終わらせる『予言の子』なの? ……せいぜい足を引っ張らないでよね」


「%◆○OX?¨$?Z jd%$【"^@⑮ΠΕ$♪【?」


 剣と魔法の世界に、近未来的SF世界、神々の闊歩する上位世界に、言葉の概念すら違う情報世界。ありとあらゆる世界に、俺は召喚された。俺にとっては召喚など日常茶飯事であった。


 召喚された先で行うのは救済だ。人々は助けを求めて俺を呼ぶのだ。だから、それは当然のことだった。魔王を打破し、惑星外生命体を排除し、邪神を討伐し、情報破壊因子を浄化した。


 異世界など、俺にとっては近所の公園程度の距離感だったし、そこで行われる戦いも公園を掃除する程度のことだった。


 要するに俺はマンガなんかでありがちな「ごく普通の」召喚勇者だったのだ。


 履歴書の自己PRに「自分の視野を広げるために異世界を渡り歩きました」と堂々と書ける程度には異世界慣れしている俺だったが、さすがに今回の様なケースは想定外である。


「やっぱおかしいだろ……」


 現実の理解に頭がついて行かず、俺がそう呟くと、


「やっぱり、おかしいわよね」


 少女はマンガから顔を上げて言った。


「ああ。おかしいね」


「シャン○スはあんなに強キャラなのに、近海の主程度に腕一本持っていかれたっておかしいわよね?」


「ワン○ースの内容については話してねえよ」


 このままでは埒が明かない。俺は少女に向かって言う。


「きちんと説明しろ。じゃなきゃ納得できん」


 すると、彼女は俺の顔を見て、あからさまに顔をしかめる。


「面倒だわ。説明なんて知らない人からの『フォローありがとうございます』っていうダイレクトメールよりも面倒だわ」


「めちゃくちゃ面倒じゃねえか」


 ていうか、この世界にもSNSあるんだな……。


 少女は大きなため息をついて言う。


「こんな暑苦しいハズレキャラ引いちゃうなんて私の腕も鈍ったわねえ。昔は単発でSSR当てるのも余裕だったんだけど」


「ソーシャルゲームのガチャ感覚で召喚してんじゃねえよ」


 なんかこの異世界、俺の世界の文化と丸被りのような気がするんだが……。


「はい、もう君の出番は終わりなんでお帰り下さい」


 そう言った次の瞬間、俺の足元に穴が開く。下にあるのは、波のようにうねる時空奔流。


「な?」


 彼女は時空奔流に繋がるゲートをいともたやすく開く。

 魔道具や霊装も使わなければ、詠唱すらなし。目の前で見ていなければとても信じられないような奇跡。

 こいつは本物……!

 天才と呼ぶことすら生ぬるいほどの超越者……!


「バイバイ。私も時の波で遭難させるほど、鬼じゃないわ。ちゃんと元の世界には返したげるわよ」


 その言葉を聞きながら、俺は時空奔流に呑まれていく。

 確かにこれほどの卓越した術師ならば、俺を元の世界に送り届けるのも容易だろう。このまま、文字通り流れに身を任せれば、俺は元の世界に帰れる。

 だけれど――


「そんなもん納得できるかあ!」


「え?」


 いきなり世界を越えて呼ばれて、棚の上に乗ってるマンガを一冊取って終わり。もうこの世界でやることないからサヨウナラって、ありえねえ!


「なめてんじゃねえぞ!」


 俺はまだ、おまえの口から名前すら教えてもらってない。

 俺はまだ、おまえに名乗ってすらいない。

 そんな最後、俺には到底納得できない。


「うおおおおおお!」


「うえええええ?!」


 俺が単純な魔力解放によって、自分にまとわりつく時空の波を魔術的に振り払う。


「何? 何? あんた何者なの? 私の召喚ブレイクを破ろうとしてるの?!」


「俺が何者か、だと?!」


 俺は引きが強くなっていく時空奔流の波に抗うために、魔力のみならず霊力、気力も開放する。情報素子操作によって、それらのエネルギーに指向性を持たせ、より的確に相手の力に抗う。


「よく覚えとけ……!」


「うわああああ! すべての『首輪ネックレス』を展開! 全力を持ってこの男を『拘束ロック』せよ!」


「俺は世界を救う召喚勇者だ!」


 たまに思い返すことがある。

 俺はこのとき、大人しく元の世界に帰っておくべきだったんじゃないかって。そうしていれば、俺は今も、「ごく普通」の召喚勇者として異世界を救っていたことだろう。

 しかし、それは意味のない仮定に過ぎない。

 俺は彼女の召喚術に抵抗し、彼女は抵抗する俺を抑えるために自分の持っている力のすべてを使ってしまった。

 それが意味していることは――


「はあ、はあ、はあ……」


 さすがの俺も三重解放は堪える。俺は荒い息を吐く。

 しかし、その甲斐あってか、まだ召喚された汚部屋に俺は留まっていた。


「信じられない……」


 少女は目を丸くして俺を見ている。心なしか少し涙目にもなっている。それを見て、俺は少しばかり罪悪感を抱く。


「悪い……。でも、いきなり何の説明もなく強制退去させられそうになったら抗うのは普通のことだろ」


「そんな……ことよりも……」


 俺は少女の手元が光っていることに気がつく。それは魔力の光だ。しかも、尋常ではない莫大な魔力。


「『首輪ネックレス』全部使っちゃったじゃない……」


 彼女の言葉で俺はようやく気がつく。

 彼女の手にある莫大な魔力がすべてということに……。


「ん……? これは……」


 魔力が俺の首回りに何重にも巻きついている……? それは何年も放置したままのゲームのコントローラの配線のように尋常ではない複雑な絡みつき方をしている。


「そんな風に魔力のパスが絡まってしまったらもう解けない……」


 少女は震える声で呟いた。


「私はもうあんたしか召喚できなくなっちゃった……」

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