訓練


 バレリアは耳を疑った。えっ、今、こいつ。なにを言ったのだろうか。襲撃……おおよそ、学院の中では使われない言葉だ。


 疲れているのだろうか。


 いや、そうに違いない。この特異過ぎる生徒を、どうやって扱おうか、眠れぬ夜を過ごす毎日に疲れてしまっているのかもしれない。きっと、そうに違いない。


「あの……ヘーゼン君。申し訳ないが、なんて言ったのかな?」

「カク・ズを襲撃させると言いました」

「……っ」


 幻聴ではなかった。


「そ、そ、そんなこと! あの心優しい生徒がやるわけないだろう!?」

「やらせてみせますよ」

「……っ」


 なんだろう。


 絶対に、やらせそうな気がする。


 もう、この生徒を更生させることはあきらめた。だが、善良な生徒を巻き込む訳にはいかない。バレリアはめいっぱい凄んだ表情で、ヘーゼンを睨む。


「ふ、ふざけるなよ? 教師を襲撃して退学にならないとでも思っているのか?」

「大丈夫です。勝つ算段はついてますから」

「万が一負けたとしても退学にする! 当たり前だろう?」

「いいですよ。その代わり、『生徒に負けて腹いせに退学にした教師』というレッテルを、他の学院に言いまくります」

「……っ」

「当然、学長……怒りますよね?」


 この少年。完全にヴォルドの性格を把握している。学院のモットーは弱肉強食。当然、学長は大の負けず嫌いだ。


 バレリア自身、鳴り物入りの実力を買われて引き抜かれたので、襲撃とは言え、生徒に負けることなどあれば即クビだろう。


 加えて、再就職も阻もうとする性格の悪さ。


 総じて、最悪である。


「わ、わかった。朝の5時に15分だけ付き合おう。だから、もう帰ってくれ」

「そんな短い訳ないでしょう。1時間」

「……っ」


 朝の15分がどれだけ貴重か。思わず職を辞してぶん殴りたい衝動を必死に抑える。


「30分! 私相手にカク・ズがそこまで持つわけないだろう!?」

「1時間。当然倒されるでしょうが、彼の体力は無尽蔵です。すぐに回復します」

「40分! そうだとしても、私は寝たいんだよ! 毎日11時過ぎまで仕事してて、クタクタなんだよ!」


 女性の肌ツヤは睡眠が命なのだ。特に、27歳。だいぶ、年齢にデリケートな年頃になっているのだ。


「1時間。僕の睡眠時間は3時間なので、むしろ、教師のくせに甘えが過ぎます」

「……っ」


 こいつ。


 1ミリも、譲る気がない。


 バレリアは大きくため息をついて頷いた。


「わかった」

「ありがとうございます」

「了承の意味じゃない。明日、私は全力でカク・ズと戦う。それで、1時間立っていられたら、これからも付き合おう」

「わかりました」


 ヘーゼンは頷く。


 カク・ズの実力は知っている。その膂力が異常になりつつあることも、すでに承知している。しかし、それでもバレリア相手には5分と持たないだろう。


「言っておくが、君は手を出しちゃダメだぞ?」


 バレリアは何度も念押しする。力対力では、まだ彼女が勝つだろうが、この策士は抜け目がない。毒など盛る可能性だってある。


「わかってますよ。と言うか、カク・ズを見たら気が変わりますよ」

「……なんでだ?」

「優秀だからです」

「はっ! 天才など山ほど見てきた」


 それこそ、目の前にいるヘーゼンこそ、そうではないか。誰もが認めるダイヤの原石。異常で異質。天才さえも霞むほどのドス黒い光と比べれば、誰だって凡人に見える。


「まあ、戦ってくれればわかります。明日、5時。草原で待ってます」


 そう言い残して、ヘーゼンは去って行った。




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