第17話「異世界だけど知っている場所」

 浪は焦っていた。

 時計によると、地下道に入って四日目の夜を迎えている。タイムリミットが本当に一週間であるならば、今すぐにでも引き返さないと間に合わなくなってしまう。一刻も早く魔法使いと出会って、セレイナを助ける方法を聞き出さなくてはならない。

 当初の予定よりだいぶ遅れてしまっている。

 舟を漕ぐ手にも自然と力が入る。疲労も溜まっているし、ケガもしているから休んでいろ、とマルギットに言われたが、じっと舟にうずくまって寝ている気分ではなくて、漕ぎ手を代わってもらっていた。


「ロー、舟を止めろ」

「は? なんでだよ。間に合わなくなるだろ」

「いいから止めろ!」


 マルギットは冗談を言ったり、重要なところで邪魔をしたりするような人間ではないことはすでに分かっている。浪ははやる気持ちを抑えて、漕ぐのをやめる。


「ゴーレムか?」

「ああ。けっこう数がいる」


 獣人は人よりも感覚が鋭い。夜目も利くし、聴覚、嗅覚は人と比べものにならないほど高い。マルギットがここまで警戒するということは、それなりの数なのだろうと、浪は覚悟を決めて身構える。

 その気配を感じ取ったのか、負傷しているノエミも体を起こして、短剣を抜き放っていた。


 舟は漕ぐのをやめても、慣性で前方に流れていく。ゴーレムはいまだ姿を表さず、妙な静寂が漂っている。

 マルギットもノエミも声を出さず、身じろぎもせずに警戒を続けていたので、浪はこれがよほどの異常事態なのだと気づき、過度の緊張に捕らわれてしまう。前方の水面に穴が空くのではないかというくらい見つめてみても、ゴーレムらしきものを見つけられない。きりきりする緊張感に耐えきれず、出るのか出ないのか、はっきりしてほしいとすら思えてくる。


「囲まれた」


 静寂を破ったのはマルギットだった。


「え?」

「前、後ろ、両方いる」

「数は?」

「5か6。いや、10近くいるかもしれん」

「は? 多すぎるだろ……」


 これまで戦ってきたゴーレムは多くても一度に3匹ずつであった。数が同じであれば、浪が時間を稼いでいる間に、他の二人が担当分のゴーレムを倒し、3匹目を倒しに来てくれる。

 だが今回はその数倍いるかもしれないというのだ。どう対処すべきか、浪には見当がつかない。


「どうする……?」

「逃げるしかないな」

「どうやって? 逃げ切れるのか?」

「分からん。だがやるしかない」


 聞いてばかりで情けないとは思うが、戦闘に関してはマルギット任せたほうがいいのだ。だが、今回ばかりはよい答えを出せないようで、浪は急に不安に襲われる。


「正面突破する。舟が止まったら、ひたすら前に走り続けろ」

「それしかないな……」


 水面は穏やかなものである。舟以外、水面を波立たせるものは何もなかった。舟の下にはゴーレムが10体近くも潜んでいる。そう思うと生きた心地がしない。

 まともに戦って勝てる数ではないので、逃げるのが一番だと浪も思う。しかし気がかりなのは、ノエミが走れるかどうかである。前回の戦いで大けがを負い、自分一人では歩けもしないのだ。


「うちが奴らを食い止める。ローはノエミを連れて逃げろ」

「おい、それじゃお前は……」

「全滅するよりかマシだ」

「ダメだよ、マルちゃん。そういうのは一番足手まといのあたしがやる」

「馬鹿! これは一番動けるうちが適任なんだよ!」


 マルギットとノエミは譲らない論議をするが、こんなときだからこそなのか、浪は冷静に事態を考えてしまう。

 ここでノエミが残れば確実に命を落とすだろう。マルギットだったらもしかすると、生き残る可能性もあるかもしれない。しかし、いろんな選択肢がとれるはずだが、浪は自分自身が残るという選択肢を入れることができず、冷たい人間なんだなと自分をあざけり笑う。


「ここはマルギットに任せよう」

「え!? ロー、何言ってるの!? 本気!?」

「ふっ、物わかりがいいじゃないか。……ロー、ノエミのことは頼むぞ」

「……ああ、引き受けた」


 自分ではゴーレムを倒せない、できるのはノエミを連れて逃げることだけだ。何がなんでもノエミを無事に脱出させなければ、マルギットに対して面目が立たないと、浪は覚悟を決める。


「ちょっと二人、勝手に決めないでよ! あたしだって戦えるんだから! ……

って、えっええっ!?」


 マルギットは有無を言わず、ノエミの体をひょいと持ち上げていた。


「ロー、男を見せろよ」

「分かってらあ! ……って、俺もかよ……!?」


 マルギットはノエミとローを両腕に抱え、前方の水面に向かって投げ飛ばした。


「強引すぎだろーっ!?」


 ノエミは空中で身を翻して華麗な着地を決める。ケガをしていても猫としての矜持があるのかもしれない。だが、普通の人間である浪は頭から川に突っ込んでしまった。


「マルちゃん!! どうするのさー!!」

「こんな奴ら、うち一人で充分だ! すぐ追いかけるから、先行ってろー!!」

「無理に決まってるじゃん、そんなことー!!」

「ノエミ……マルギットを信じるんだ。それしかない……」


 ローは目でノエミに訴えかける。ノエミが言いたいことは分かるが、こうなってはマルギットに任せるしかない。自分たちは先に魔法使いのところへ行って助けを求めるのが最善策なのである。


 ゴーレムたちが水中からついに姿を現す。マルギットのいる舟を取り囲むように10を越える水柱が上がった。


「早く行けーー!!」


 マルギットは絶叫すると、槍を振り上げ、ゴーレムとの戦闘を開始する。


「うう……マルちゃん……」


 ノエミは自分自身をなんとか納得させようとするが、なかなか踏ん切りがつかないようであった。

 浪はノエミの肩を抱えて、強引に先に進ませようとする。


「ロー、ダメだよ……」

「ああ、分かってる……。だけど進むしかないんだ……」


 マルギットが槍で突進を繰り返しているのが見える。一匹ずつ地面に倒し、距離を取りながら戦っているのだ。一対多において有効ではあるが、一番体力の消耗が大きい戦い方である。

 友達を見捨てて自分だけが助かるなんて、ノエミには死んでもできないことなのだろう。そのつらさは浪が感じている何倍、何十倍以上に違いない。

 幸いゴーレムはこちらを認識していないようだった。浪にできることは、マルギットの信頼に応えて、ノエミを無事に魔法使いのところへ連れて行くだけである。できる限りの力でノエミを引っ張って歩かせる。


「ああ……やだよ……マルちゃん……」


 ノエミはようやくその場に留まることを諦め、ローに抱えられながら川の中を強行軍で歩くが、時折後ろを振り向いてはすでに見えなくなった親友を案じた。




 重傷のノエミを抱えて水をかき分けながら歩くのは、浪がこれまで経験したことがない重労働であった。もともと連日の戦闘で浪の体力は削られていたし、ケガも負っていた。

 息は上がり、充分な酸素を体に供給することができず、頭は何も考えられなくなり、体の感覚もだんだん失われていく。ただ前方を見つめ、重たい足を前へ前へと動かすことしかできなかった。

 ノエミも息が細くなり、前よりも体重を浪に預けるようになっている。重傷なのに無理に動いているのだから、体力の消費は著しかった。普通の人間であったらすでに倒れ、水中に沈んでいたことだろう。


「ノエミ、大丈夫か?」


 ノエミを励ますように声をかけるが、ノエミの耳は倒れ、返事をしなかった。

もしかしたら、あまりに疲れすぎて、声にならなかったのかもしれない。いや、声をかけようとして、かけなかったのかもしれない。浪はそれすらも分からなくなってきていた。




 もうどれくらい歩いたのだろうか。足の感覚もだんだん失われ、自分が歩いているのかも定かではなかった。


(……もうダメだ……。倒れたい、そこら辺でぶっ倒れたい……。ああ、川に体浮かべれば楽かもな……。川に流れがあれば試してみたいもんだけど……ここじゃ前に進まないからダメだな)


「ノエミ、もうちょっとだぞ。頑張れ」


 魔法使いの住処がどこにあるかなんて当然浪は知らない。これはもうちょっとで着けばいい、早くこのつらさから解放されたい、という願望に過ぎなかった。

 ノエミの返事はなかった。どうやらもう足は動いていないようだった。浪の肩にもたれかかり、足を引きずっている。


「どうした、ノエミ。もう音を上げるのか」


 ノエミは音すら上げていない。


「ほら、軽口叩いてみろよ」


 浪はただ一人で話し続けた。しゃべるのをやめたら、歩くのもやめてしまいそうだったのだ。


(重いな……。肩か? 腕なのか? いや、足も何もかもが重いんだ。全部放り出しちまおうか。そうすりゃ楽になるよな)


 浪に残っている疲労感だけであった。だるくてつらい、その感覚があるから、浪は自分が生きているということを認識できていた。


(ああ、ダメだ……。もう終わりにしようか……。セレイナごめんな、助けてやれそうにない……。ノエミ、マルギット、迷惑かけちまったな……。あ、そういうこと言わないって約束したんだっけか。……はあ、結局俺は何もできないんだな……。やるって宣言しといて、口だけじゃねえか。でも、しょうがねえよな。こんな世界、普通の人間が生きられるところじゃないし……。何だよ、あのモンスター。石の塊が動くとかおかしいだろ……)


 浪の脳裏に剣を腰に下げた男の姿が思い浮かぶ。


(ショウとか言ったな、なんとか騎士団の奴……。あいつならこんなゴーレムも倒しちまうのかな。あいつ、何でもできそうだからなあ……。いいよな、すごい家に生まれて、腕も立って、偉い役職に就いてて俺とは全然違え……。顔もいいしな……)


 浪は平凡な高校生である。サラリーマンの家庭に生まれて、普通の学校に通い、普通に大学受験をする。顔がいいわけでもないし、成績が特別いいわけでもない。少しでもいい会社に入るために、少しでもいい大学に通いたい。大学合格のためなら神頼みだってするのだ。


(神頼みか……。祈ったら助けてくれんのかな……。神様助けてください。…………………………。ま、何も起きないよな。……神様、助けて。神、助けろ。おい、なんとかしろ。お前すごいんだろ、助けてくれたっていいじゃねえかよ……)


 人が必死に問うのに神は何も答えてくれない。自分自身では問題を解決できず、神も救済してくれない。このまま歩き続き、やがて死んでいくのだろうと、自分の惨めさに涙が出てくる。


(なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ……。おかしいだろ。俺が何をしたっていうんだ。意味の分かんねえ世界で死ぬとかナシだろ……。いったいなんの仕打ちだ。納得できるかよ……。許せるかよ……)


 顔面に何かをたたきつけられた。

 浪はそう思ったが、そうではなかった。浪の膝が折れ、立っていられなくなり、地面に向かって倒れ込み、顔を打ったのである。


(あ……終わりか……。体が動かない……や……)


 浪は目の前に見える自分の手を見つめる。

 指を動かそうと力を入れているはずなのだが、目には動いている様子を捉えることができない。

 本当に指が動いていないのか、目が正しく機能していないのか。


(このままのたれ死ぬんだな、俺……)


 浪はついに死を受け入れ、目を閉じる。

 世界が真の闇になる。

 しかし、目にちらちらに光が入り込んで来るのが気になって仕方ない。


(もういい……眠らせてくれよ……)


 顔を動かして光が入らないようにしたいが、顔を動かすことができない。


(くそ、なんだよ……)


 浪がうっすら目を開けると、光を放つものの正体が分かる。

 首からこぼれたネックレスであった。

 結婚の交換品としてセレイナから送られたネックレス。母の形見で、とても大切なもの。


(セレイナ…………)


 浪の指が動き、ネックレスに触れる。


(ダメだ……ダメすぎるだろ、俺……。何勝手に死のうとしてるんだよ。俺一人死ぬんじゃないんだぞ……)


「彼女を死なせるものかよ……」


 浪が残った力を絞り出し立ち上がる。そして壁に体をもたらせながら一歩ずつ前へと進んでいく。




「あ……ここは……?」


 浪が朦朧とする意識のまま歩き続けていると、いつの間にか見知らぬ場所に出ていた。いや、よく見知ったというのが正しいだろう。

 目の前には木造の建築物がある。赤い柱に金の装飾。茅葺きの焦げ茶色の屋根。この和風の建物は神社であった。

 無論、浪が飛ばされた異世界にあるはずのものではない。元々いた世界にあるべきものである。


「神社……? なんで?」


 状況が分からぬまま、神社の階段を上って中に入っていく。木製の床がぎしっと鳴る感覚はとても懐かしいものであった。


「戻ってきたのか……?」


 内部は板張りの広い空間が広がっている。辺りを見回すが、誰かがいるような気配はない。


「帰って来られたんだよな? ここはあの神社だよな? そうだよな? な?」


 浪の問いに答える者はおらず、神社の広い空間に声は溶けていく。

 浪は祭壇の前までやってきた。壮麗な装飾品の中に大きな鏡が飾られている。この神社ではこの鏡を祭っているようだった。


「よっしゃあ……。これで意味の分かんない旅も終わりだ……」


 やけくそなところもあっただろう。浪は苦しみからの解放に安堵した。

 気が緩んでしまったためか、急に力が抜けて、うつぶせになるようにぐったりと倒れ込む。


(ああ……気持ちいい……)


 床のひんやりした冷たさが疲労感を和らげてくれる。


(少しだけ。ほんの少しだけ休もう……)


 やらなければならなかったことがある気がする。誰かに約束し、果たさなければならないことがあった気がする。誰かを置いてここまで来てしまったような気がする。だがそれがなんであったか思い出せなかった。

 浪の意識は電源ボタンを押したかのように、一瞬にして切れた。

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