8篇「闇忍び寄る声に震えて」

   ※   ※   ※   ※   ※



 迎賓館を出た俺達は、仕立屋したてやに向かった。


 伯爵邸を出る時、服がこの芋ジャージしかない、って云ったのをファムは気にしており、服を購入しに行く事になった。

 服屋でデートって、なかなかそれっぽいんだが、ナイトメア感覚のそれとは大幅に異なり、生地の専門店のような装い。

 どんなタイプの服にするか、デザインをどうするか、生地選びをし、採寸し、その後、製作に入り、 縫製、仮縫い、修正、本縫い、そしてようやく、出来上がる。

 この間、およそ1~2ヶ月。

 まさか、こんなに本格的なところで服を選ぶとは思っていなかった上、どうにもデイドリのファッションセンスが合わないってのもあり、今日のところは話をしただけで店を後にした。


 ナイトメアに戻ったら、ネットで検索し、デイドリでもそれ程浮かない恰好の服装を選び、プリントアウトして持ってくる事にしよう。



「カイトさん、海って知っていますか?」


「え?海?勿論、知ってるよ」


「ご覧になった事はありますか?」


「うん、もち…いや、この辺りでは見たこと無いよ」


「よかったら、海を見に行きませんか?」


「海って、ここから近いの?」


「ダリアは、港町でもあるんですよ」


 王都が港町だとは、全く気付かなかった。

 港特有の潮の香りが全然しなかったからだ。

 どうやら、現在地は王城や政府機関を中心とした箇所から東側、内陸側に位置した場所らしく、港は正反対にあるらしい。

 徒歩だと時間がかかってしまうとの事で、厩舎きゅうしゃに預けた馬を取りに戻ってから、港方面に向かった。


 ――ゲッ!さ、3時半。

 まさか、町の反対に出る迄、馬の脚で1時間半以上も掛かるとは思ってなかった。

 東京、中野間よりも距離あるぞ。

 これ、帰路は完全に日没、真っ暗になるな。

 通ってきた道、かなりの小径こみちだったけど、大丈夫なのかな?


 昼下がりの港――

 沢山の船が着けられている。

 この海は、『あぎと』、と呼ばれている。

 所謂いわゆる、地中海、同名のヨーロッパとアフリカの間に位置する海ではなく、海洋学的な意味での地中海であり、大陸に囲まれた海。

 陸路と海路に恵まれたダリアは、ドラコニアン・ワイルドにおいて最も豊かな都市の1つとして知られて、顎周辺都市の中では第二位の規模を誇る。


 ファムとは、他愛のない話をした。

 デイドリの事情や知識は最低限、そんな事よりも他愛ない、世界の秘密とは無縁の、なんでもない会話を楽しんだ。

 好きな花の名、好きな歌、楽しい思い出なんかを聞いた。

 俺も、楽しかった思い出を話した。


 彼女の言葉は、詩歌しいかのよう。

 微かな旋律を伴い、吐息でも吹き掛けられたかのように耳をくすぐる。


 不思議だった。


 違う世界、そもそも、、妄想の類の筈なのに、こう、深く深く心が通じ合う、そんな錯覚がぎる。

 彼女は確かに俺の前に存在し、その実在性は俺自身のそれを凌駕りょうがする。

 夕日に照らし出された彼女はどんな芸術品よりも美しく輝き、海のきらめきが彼女をそよぎ、神秘的なホログラムでも眺めているかのようだった。

 潮の香りより、彼女のかおりの方がほのかに匂い立ち、いつしか背中から肩にかけての痛みは消えていた。


「そうだ、カイトさん!」


「なんだい?」


「今度は、王者の泉に迄、足を運びましょう」


「王者の泉?それってどこにあるの?」


「ダリアから北に少し行った水晶川河口付近の中州にある大王崇拝の聖地なんですよ。川の女神や水の精霊も祀られていて、大変、素敵な場所なんですよ」


「そうなんだ!うん、是非、行こう!」



 王都を出立したのは、6時半を回っていた。

 王都を出る時点で既に日没。

 夜の帰路となった。


 集落の外を夜間過ごすのは初めて。

 満天の星空は、引っ繰り返した宝石箱のよう。

 今日は、2つの月が昇っている。

 なので、普段の夜よりは明るい。

 しかし、それでも都会育ちの俺からしたら、真っ暗。

 王都を出たばかりの頃は、町の明かりで見通しが利いたが、10分もしない内に闇の中。

 夜の闇がこんなにも深いものだなんて、今迄気付きもしなかった。


 ファムにとっては、大した暗さではないらしい。

 星明かりに加え、2つの月明かりがある今夜のような暗がりは闇とは云えず、松明たいまつなどの照明は全く必要じゃなく、よく見通せているらしい。

 どうやらファムは、初めから遅めの時間帯での帰路を考えていたらしい。

 とは云え、それでも予想より遅くなったと語った。


「そうだ、ファム。今迄、聞きそびれていたんだけど、月って2つあるじゃん?」


「ええ。どうかしましたか?」


「あれってのは、どっちがどうって名前付いていんだよね?」


「そうですね、お教えしてませんでしたね。月は、実は4つあるんですよ」


「!?4つ!4つもあるの?」


「はい。黒い月、青い月、赤い月、白い月の4つ。今見えているのは、青い月と赤い月です」


「へぇ~!全然知らなかったよ」


「赤い月は、まだ昇ったばかりの新しい月なんです。新しいダリアの町並みより歴史は短いんですよ」


「えっ!?数百年って事?」


「はい。また、白い月は、まだ、昇ってないんです」


「?どういう事?」


「昇る事が予言されているんですが、まだ、昇ってないんです」


「…そ、そうなんだ……なんか、凄いね」


 ――常識が通じねぇ~!


 聞けば、赤い月ってのは、ナイトメアの、俺のよく知ってる月に近いようだ。

 さくからぼう、要は新月から満月迄は、凡そ15日前後。

 月相は28で、満月の月相は常に14。月相と月齢は近しいものの、必ずしも一致するものではないらしい。

 青い月ってのが、ちょっと特殊。

 月相は46で、満月の月相は23。そして、隠れている時期、つごもりが45日程度ある。

 要は、3ヶ月の半分くらい青い月は見えず、残りの半分が見え始め、これが赤い月よりも長いスパンで満ち欠けするって感じ。

 ちなみに、黒い月ってのは、月相180で、満月の月相は90。つごもりが185日程度。

 併し、この黒い月ってのは、黒く光っているので、星が出ていないと、どこにあるのか探すのが困難らしい。

 太陽が昇っている時、黒い月の光は搔き消されて見えない。

 通常、星空が広がっているので、黒い月が昇っている時、不自然な星々の切れ目があった場合、そこに黒い月がある、と分かるらしい。

 この不自然な星々の切れ目、要は、黒い月による星隠しを“穿うがち”と呼ぶ。

 但し、青い月や赤い月でも穿うがちは起こるので、円状にすっぽりと穿つのが黒い月、との事。


 一番古くから知られているのは黒い月で、その次に昇ったのが青い月、だそうだ。

 赤い月が昇ったのは、凡そ350年程前。

 新政ダリアが400年の歴史を持つので、赤い月の方が歴史が短い、と云う奇妙な感じ。


 ファムいわく、今夜は黒い月は昇っていない、と。

 暖かい時期、黒い月は姿を隠す、要は、つごもり時期なんだと。



 乗馬しての移動に慣れてきた。


 慣れてきた、と云っても、それはファムの後ろにしがみついている、ってだけなんだが。

 なぜ、くらあぶみをつけていないのかサッパリ分からないが、太腿ふとももでの締め付け、これがかなりポイントになっているってのが分かった。

 常歩なみあしでの歩法ほほうで、馬の脚の動きは、右後ろ、右前、左後ろ、左前の順。

 大体、2、3本、地面に脚を着いており、若干速い時のみ、1本の脚で支える、と云う感じ。

 朝、初めて乗った時、上下前後に激しく揺さ振られる感触がしたのだが、あれは俺がおっかなびっくりバランスを取ろうとしていた為、自ら体を振りにいっていた、と分かった。

 太腿をしっかりと絞め、馬体を挟み込むようにし、馬の歩法の呼吸、リズムに合わせてやると激しい揺れはほとんど見られず、ごくわずかで緩やかな前後の揺れだけで済む事に気付いた。

 これに気付くと、疲労感がまるで違う。


 ファムは度々気にして、小休止しようかと尋ねてくるが、疲れがないので断った。

 勿論、これは感覚の問題で、実際には伯爵邸に着いて寝床に入った時、太腿の内側は擦れて痛み、至るところ筋肉痛な上、全身気怠けだるく、すぐに深い眠りにつく事になるのだが。


 馬旅に慣れ、相変わらず夜目は利かないものの、なんとなく星明かりで途次みちすがら辺りを見回せる程度になってきた時、不意に聞こえる。


 聞こえる、というのは語弊がある。

 聞こえるような、が正しい。


 何というか、当初、あまりの闇夜の暗さに、その音が聞こえてきそうな感じがした。

 しんしん――

 いや、違うな。

 しくしく――

 これも違う。

 もっと、金属的な高音。

 ――キィーン…

 違う。

 適当な擬音が見当たらない。

 ただ、なんとも説明しがたいが、粛々しゅくしゅくとした空気感がまとわり付き、体中を締め付け、皮膚の、毛穴の、細胞の、その全てが息苦しい、とさえ感じた。


 今、星明かりと夜風にそよがれ、その息苦しさは消え失せた。

 しかし、その代わりに、じめっとした不快な声が、どこからか聞こえた気がする。

 ――声?

 そもそも、声なのだろうか?

 音なのか?

 いや、音でもないのかも知れない。

 ファムとの会話中には、一切聞こえない。

 なんなんだ?

 この妙な違和感。


 ――あっ!

 また、聞こえた。

 聞こえた気がする。

 呼んでる?

 俺を、呼んでるのか?

 なんだろう、この妙な違和感。

 全身の細胞がザワつく感じ。

 気候的に全く寒くないのに、寒気がする。

 寒気がするのに、腹の奥が煮えたぎるような不快感。

 吐き気がする。

 そして、ふいに襲う頭痛。

 総毛立そうけだつ感覚。

 聞こえる、声が。

 耳元?

 いや、違う。

 ――脳。

 直接、脳に語りかけてくる。

 それとも、心に、か?

 なんだ、コレ!

 怖い!


「ファムッ!なんかっ、なんか聞こえるッ!」


「!?どうしたのですか?」


「なんか聞こえるんだよ、声がッ!」


「落ち着いてください、カイトさん」


「声がッ!おぞましい、ゾッとするような声がッ!辺りから、そこら中から、体中に、頭の中に迄、聞こえ、響くんだよ!頭が痛い、割れそうに痛い」


「!!分かりました!すぐになんとかしますから、少しだけ我慢してください」


 馬を速歩はやあしにさせながら、彼女はブツブツと独り言をつぶやく。

 どこかで見た事のある、彼女の独り言。

 ――そうだ。

 初めて、会った日。

 ファイデムの町で初めて俺に声を掛けてくれた時、同じように独り言を呟いていた。


 ――ボウッ…


 ファムの頭上に、光の筋が、光の帯が収束し、重なりあって織り成し、光の塊が現れた。

 柔らかい光。

 熱のない光。

 だが、冷たくはない、優しい、優しい光。

 なんとも幻想的な光景。

 光の球から蛍でも飛び交うかのように、光の筋が何本も何本も周囲を浮遊し、俺とファムと馬を包み込む。


「な、なんだコレ……」


 ――あ、ああっ!

 頭痛が、吐き気が、悪寒が和らぎ、恐れが遠退とおのき、落ち着きを取り戻す。

 一体、なんだったんだろう――


「落ち着きましたか、カイトさん?」


「……あ、ああ、うん。ビックリした…突然、気分が悪くなって…」


てしまったんですね」


、って?」


「怪異です」


「怪異?」


「先程のは、闇の精霊の仕業しわざです。ですから、光の精霊を呼び寄せ、払いました」


「闇の精霊?」


「はい。長らく闇の精霊にたせいで、恐怖に酔ってしまったんです」


「!?そんなことが?」


「はい。でも、そんなに頻繁にある事ではないんですよ。精霊はいつでもどこにでも存在してるんです。

 そもそも、感応力かんのうりょくが高くないと精霊の声は聞こえません。しかも、共感力エンパスが高くなければ、事はほぼありません」


 感応力?

 共感力エンパス

 なんだろ?

 霊感、みたいなもんかな。

 でも、俺、霊感とか全くないぞ。

 むしろ、霊感とか馬鹿にするタイプだし。


「その感応とか共感とかがあると、あんな目に遭うってこと?凄くな能力じゃないか?」


「そんな事はありませんよ。精霊の声が聞こえ、それを感じる事が出来ると云う事は、精霊とお友達になれるって事なんですよ。

 カイトさんは、精霊使いエレメンタラーの才がある、って事なんですよ」


「え!?精霊使いエレメンタラー?」


「はい。精霊にてしまう程に共感力エンパスが高いと云う事は、素晴らしい精霊使いエレメンタラーになれる可能性があるんですよ」


 ――精霊使いエレメンタラーか…

 なんか知らんが、凄いぞ!

 俺、魔術とか使えるようになれるのかな?

 ちょっと、テンション上がるよな。


「光の精霊達に着いて来て貰いますから、もう先程のような事は起こらないですよ」


「そっか、助かるよ。ファム、ありがとう!」



 ――それにしても。


 覚える事が膨大ぼうだい

 聞いた事、教えられた事、体験した事は、これら全てを記憶しておかないとマズイぞ。

 うっかりしてら命取りだ。

 デイドリを攻略しなきゃ、朝目覚めないかも知れない。

 気合い。

 んで、頭を使う。

 考えなきゃダメだ。

 上手くやるんじゃない。

 ただ、純粋に、やらなきゃいけない。


 よっしゃ、行くぜ。

 デイドリ、攻略してやんよ!



 そして、俺達は、伯爵邸を目指した――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る