クレープみたいな
朝食の時間が終わり、すでに店の中はがらんとしていた。
リンゼイ親子が普段働いているという宿屋は、この辺ではかなり大きめな店構えだった。おそらく大店の商人などにも対応した豪華な部屋も用意できるだろう。
大体の宿屋は、一階に酒場や食堂がある。泊り客はもちろん一般の客も利用できるものだ。
冒険者や商人の朝は早い。よって、今の時間になるとこのように空いてくる。お昼時になるとまた混んでくるが、それでも夕方以降の賑わいの比ではないので、準備こそあるが宿屋にとっては日中が一息入れる時間になるのである。
「おや、ノアじゃないか?」
宿屋の女将さんらしき人が、気配を感じて厨房から出てきた。いかにも女将さん、という感じの包容力のありそうな女性だった。
ノアがいきさつを話しすと、陽気に了承してすぐにお茶を出してくれた。ゆっくりしていっていいよ、といってまた厨房へと引っ込んだ。
この世界でも茶葉は普通にあるが、どうやら茶葉を煎じたハーブティが主流である。女将が出してくれたお茶も、すっきりとしたミントに似た風味のお茶だった。朝にはぴったりの清々しいのど越しである。
こうなると、ホントになにか食べたくなる。ビスキュイのようなものは家でも見たことがあるが、あれも朝食の時だったのでデザートではない。なにより甘くなかった。
「ねえ、くれーぷってなに?」
「……え、あれ、声に出てた?」
美味しいお茶を飲んでて、甘いものが食べたいとは考えてたせいで思わず呟いていたようだ。
スイーツの説明からするべきか、クレープ単体の説明をするべきか迷ったが、小麦粉で作った生地にフルーツなどを包んだものだと簡単に説明した。
そして、気が付いた。
(そういえばクレープって、ツナや野菜を巻いた食事っぽいのもあったよね、だったら……)
思いついたその案を、リュシアンはお茶のおかわりを持ってきてくれた女将さんに話してみた。
「へえー、面白そうだね。確かにウチにも似たような料理があるよ。もちろん甘くはないけどね」
女将さんは、思った以上に興味深々でリュシアンの話を聞いてくれた。
参考にと作ってくれたのは、魚や肉、野菜を刻んだものを、穀物の粉を溶いて焼いた皮で包んで揚げるという料理だった。餃子と生春巻きを足して二で割ったような料理、というか生春巻きを揚げたような代物だった。
そうすると、案外簡単にクレープは作れそうだ。ただ、今の時間は丁度朝食が終わって生のフルーツとかはないらしい。お昼はフルーツを出さないし、夕食用のは夕方に仕入れるそうだ。
この世界にも、驚いたことに冷蔵庫はある。もちろん魔石や魔力が動力なので、それらがない人達には残念ながら普及していない。魔力がない場合、魔石があれば代用できるのだがこれがまた高価なのだ。この宿にも冷蔵庫はあるが、それほど大きくないしフルーツなどはその都度買う方がいいらしい。
ただ、ミルクと卵はたくさんあるという。一日でだいたい使い切るので、朝仕入れて常温で管理しているというのだ。
「……できるんじゃないかな、甘いクレープ」
そう、この材料があればカスタードクリームが出来る。
なにしろ卵と小麦粉、砂糖、牛乳があるのだ。慣れないとダマができたりするけど、味がカスタードなら多少の舌触りは我慢するしかない。
昼の仕込みを旦那と息子に任せて、女将はすっかりこっちにつきっきりになった。女性という生き物は、遺伝子レベルで甘味の虜になるようにできているのか、すっかり夢中になっている。
リュシアンは菓子職人でもなければ、料理研究家でもなかったので、手順はうろ覚えではあったがそこはさすが女将さん。拙い説明を聞いて、試行錯誤しているうちにそれぽいものになった。
そして出来ました、夢のカスタードクレープ。
クレープ生地に、ただカスタードをたっぷり塗って、折り畳んだだけ。
けれど、その薄い生地からはみ出るトロッとしたクリームがなんとも魅惑的である。
(久々の、ガッツリ甘いデザート!)
あらためてハーブティを淹れなおしてもらって、女将さんもちゃっかり一緒になって座っている。
いざ、スイーツタイム!
なぜだかイソイソとチョビが頭から降りてきた。リュシアンは驚きながらも、ほんの少しだけ取り分けてテーブルに置いた。チョビがカミツキガメのような口で、柔らかい生地にかぶりつくのと同時に、リュシアンもクリームをたっぷり含んだそのクレープを口に放り込んだ。
(うっ、うま~…!)
リュシアンはもぐもぐと口を動かしながら、たまらずプルプルと震えた。
甘くておいしいものをたべると、どうしてジタバタしてしまうのか。久々のスイーツにちょっと涙が出そうになった。比較的裕福なリュシアンの家の食卓にさえ、お菓子らしきものは出たことはなかったので、菓子文化はあまり発展してないのかもしれない。
フルーツはあるし、朝食にパンケーキのようなものも見たことがあるが。
こちらの文化に下手に踏み込むつもりはないが、個人的に趣味で作る程度は構わないだろう。簡単な物は、これからも積極的に試そうと決意したリュシアンだった。
ピエールやリディに意外なお土産ができた。
ノアや女将さんが喜んだんだところを見ると、きっとこの世界にもお菓子は受け入れられるだろう。余談だけど、チョビもとても喜んで食べていた。
(お腹、壊さなければいいけど……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます