第2話

 女の人は花妹かまいさんと言って、楊老ようろうさんというお兄さんのおうちに居候している人だった。

 凄いなこの人。居候の分際で人を呼んだの? その図太い神経を少し分けて欲しい。

 楊老さんは担ぎ込まれてきた子ども(つまり僕)を見て初めは目を丸くしたけど、「花妹さんのお友達?」と聞いてきた。流石だ。この位の神経ではないと花妹さんと同居は出来ないだろう。

 僕はそこまでの神経は持っていないので、よくもこの状況を見てそう思えるな。頭湧いてんのか。と頭の中で毒を吐くのが精々だ。

 師匠は全く同じ言葉を口に出したけど。

「えっそうなんですか? では一体」

「誘拐だ誘拐。児童誘拐。役所に突き出すぞ」

「花妹さん、誘拐するのは良くないよ。この子とお兄さんに謝らないと」

「良くなかったわ。ごめんなさい」

 僕、知ってる。人の話を聞いているようで聞いていない。こういう人種は関わると一番厄介なんだ……。



 楊老さんは僕らが宿なしだってことを知ると、快く自宅を提供してくれた。優しい。

 寝具の用意をしてきますね、と奥に行った楊老さんを見送った花妹さん。彼女は僕たちに寄ってきて、一応言っておきますけどね、とその時ばかりは真声で僕たちに言った。

「楊老は誰にでも優しいの。勘違いしないでね」

 それから僕は、あの女は頭がおかしい、あの女め、という呪詛にも似た愚痴と一緒に眠りについた。その日、熟睡した僕は特に夢は見なかった。良かった。師匠と花妹さんが夢に出てきた日には、疲れなんて全く取ない。

 鶏ではなく猫の鳴き声で目が覚めた僕は、いびきをかいている師匠を起こさないようにして裸足でペタペタと部屋を出た。そこで机に突っ伏している楊老さんを見つけた。

 人の気配に気付いた楊老さんはむくりと起き上がって、僕におはようと声をかけた。

「良く眠れた?」

「はい。あの、ありがとうございました。僕ら赤の他人なのに」

「子どもがそんなこと気にしなくて良いんだよ。それに、赤の他人ではないよ。こうやってお話をしている時点で縁は結ばれているんだから」

「……あのう、花妹さんとはご夫婦ではないんですか? 花妹さんは居候って言ってましたけど」

 僕は昨日から気になっている疑問を呈した。妙齢の二人が同じ家で暮らしていて、うち一人は居候っていうのは、何かしらのわけがあるに決まっている。

 おっとりとした雰囲気のある楊老さんは、一瞬何を言われているのか分からなかったらしいけれど、すぐに首を降った。

「まさかまさか。花妹さんから聞いていないのかい? 花妹さんは迷子なんだよ」

 まぁた、不思議なことを言いだしてきたぞこの人。僕くらいの年齢ならまだしも、花妹さんの年齢で迷子は無いだろう迷子は。花妹さんが幾つか知らないし、おばさんっていうのは流石に失礼だとしても、自分の家位は分かるだろう。

 それとも何。人生の迷子ってこと? うっ。師匠みたいにはなりたくないけれど、僕もその種の言葉には良い印象を抱けない。

 なんて、僕が考えていることを知らない楊老さんは続けて言った。

「花妹さんはね、記憶喪失なんだって」

「記憶喪失」

「うん。不安だろうから、思い出すまでは僕の家にいても良いよって言ったんだ。だけど、まだ思い出す気配がないみたい」

 もしかして、ずっとこうなのかなぁ、なんて楊老さんが言う。もしかして、今日の天気は雨なのかなぁっていうような口調で。

 あの能天気そうな花妹さんがそんな重い過去を背負っているなんて思ってもいなかった。

 ――なぁんて、嘘! あは! とでも言いそうだ。 

 いやぁ、それは流石に花妹さんに失礼かな。

「記憶喪失ねぇ。花妹さんに出会ったのは翠水ですか?」

「あれ、呂明さんもおはようございます。そうなんです。よくお分かりですね」

「翠水って湖は人じゃないものに出くわす場所だろ。記憶喪失の村民じゃない女が出るなんて言ったら、そこしかありえないじゃないか」

 頭をかきながら欠伸を一つ。呂明こと僕のお師匠様はだらしのない恰好をして出てきた。

 そして、いつも通りの皮肉っぽく口角を片方だけ上げた笑いで続ける。

「俺たちも、翠水で村民に出会えば、人外になれたかもしれんな。死人か。鬼か、はたまた天人か」

「おや、そういうの流行ってるんですかね」

「そういうの?」

 僕は鸚鵡返しに尋ねる。

「鄭さんの――あ、この村の地主さんのおうちなんですけど、そこの息子さんがね、天女様を見たって言うんですよ。その人をお嫁さんに貰いたいって」

「天女様?」

「“見た”ってことは面識はないわけだろ。それで嫁に欲しいってことか? 図々しい奴だな」

 師匠は辛辣。

「そうよ。図々しいわ」

 いつの間にかいた花妹さんも辛辣。

 この人いつからそこにいたの? 寝起きも寝起きの花妹さんは、だらしのない恰好をしていた。僕らも人のことを言えないんだけど、女の人の寝起きのだらしない恰好なんてあんまり見たことがない。

「成程ね、それで天女様にいかれて騒いでるわけだ。花妹さん、あんたがはっきり振ってやったらいいんじゃないか」

「師匠?」

「わたくしではないわ。呂明さん、あなた本当に何も分かってないのね」

 今度は花妹さんがねめつけるように師匠を見あげる。呆れ半分、悲し気半分。すぅと息を吐くと、厳かに言った。

鄭重ていちょうってやつが探してるのは美しく、たおやかで、はかなげ天女なの。それでどう? わたくしが天女に見える?」

 暫く見つめ合った師匠と花妹さん。何か思うところがあったらしい師匠は眉をピクリと上げ、口を開いたけれどすぐに閉じた。

「確かに見えない」

「それが全てよ」

 花妹さんは自嘲するように言った。

 段々話が見えてきた僕は、どきどきしながら楊老さん反応を伺った。この人欠伸して全く人の話を聞いていなかった。

 はぁ? 何この人。全く、やっぱりこういう人種はよく分らない。








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