セックスをしよう(しない)

林檎亭みーすけ

第1話セックスがしたい女の子

 葉鳥紗友里はとりさゆりは思いました。


「セックスがしたい」


 急に訳が分からないとお思いでしょうが、彼女は真剣でした。

 彼女は真剣にセックスがしたいのです。

 原因は手元にある雑誌。

 その見出しにはデカデカと「SEX特集」と書かれていました。女性雑誌ではこの手の記事が必ずと言っていいほど定期的に掲載されます。

 20歳まで処女だった女性の生涯処女率80%! とか、ほとんどの女の子は中学で処女を卒業している! とか、根も葉もない記事が特集では書かれていました。もちろん実際はそんなことありません。……ありませんよ?

 しかし、その記事を鵜呑みにした彼女は焦り、自分が処女であることに危機感を覚えました。

 ただ、彼女がセックスをするには大きな問題がありました。


「でも、相手がいない……」


 そう、葉鳥紗友里は独り身でした。


「どうする……相手は適当にナンパでも……いや、私にそんなこと出来るわけないし……出会い系? それで変な犯罪に巻き込まれたら嫌だなぁ」


 葉鳥紗友里は悩みました。

 処女の彼氏ナシがセックスをするというのは、なんとハードルの高いことか。

 中学生くらいの時は「彼氏? そんなんその内できるでしょ」とか思っていました。出来ませんでした。

 高校生の時は「JKブランドさえあれば引く手あまたよ!」とか思っていました。引かれませんでした。

 大学に入学した当初は「華の大学生! 彼氏作ってバイトして、目一杯遊ぶぞー」バイトだけはしています。

 こうして青春の日々をひたすら待ちに徹した葉鳥紗友里は、彼氏のいないまま二十歳を迎え、さらに幾月が経ちました。

 この辺りになって、葉鳥紗友里は思いました。


「あれ? もしかして私、一生彼氏できないんじゃない?」


 出来る出来ると思っていたのに、こうしてみれば20年間彼氏なし。そりゃもちろん、それでも結婚したりする人もいるでしょうけど、葉鳥紗友里にとっては関係のないことでした。

 そもそも周りの人に流されたことも一因ではないかと思いました。

「さゆかわいいから、かれしなんてすぐにできるよぉ」「がっつくおんなって、みっともないよねぇ」「だんしってがきだよねー。あいてにしてらんなーい」

 葉鳥紗友里はその言葉を鵜呑みにしていました。私は可愛い……とは言わなくても、見られる容姿ではあるはずだ。それに同年代の男子は確かに子供っぽいし、がっついてると思われるのも嫌だ。

 ですが、そう言っていた友人たちはあれよあれよと言う間に同級生と付き合い、あっさりと処女を捨てていました。

「話が違う」とは思いませんでした。きっと彼女たちは素敵な出会いをしたのだろう。私にも待ってれば、その内いい出会いが来るはずだと。友人たちが抜け駆けして、お目当ての男子を捕獲していたなどとは夢にも思っていませんでした。

 葉鳥紗友里は今になって「ぐぬぬ」と唸りました。あの時の言葉は牽制だったのです。気付くのが4年ばかり遅かったのです。

 しかし、それをいま恨んでも悔いてもどうしようもありません。問題は過去にはなく、現在にあるのですから。だからこうして普段読みもしない雑誌を買ったのですから。

 葉鳥紗友里はさらに思いました。


「彼氏はまだいい。とにかく処女は嫌だ」


 そして悩みは冒頭に戻ります。


「相手をどうしよう――」




 葉鳥紗友里は悩みに悩んだ挙句、彼女的には最適解を導き出しました。

 目の前にあるボタンを押すと、軽やかな電子音が鳴り、続いて足音が聞こえました。

 間もなくして扉が開かれ、その部屋の主が顔を出しました。


「おっす、さゆ。よく来たね、あがんなよ」


 葉鳥紗友里と同じ年頃の女の子でした。表札には「カンナ」とカタカナで殴り書きがされていました。


「うん、おじゃましまーす」


 名取紗友里が招かれるままに部屋へ足を踏み入れました。

 1K洋室8畳間バストイレ別駅からは少し遠いため、家賃は程々。

 室内はサッパリしていました。いくつかの衣服と本が少々。真ん中のテーブルには飲みかけのコーヒーが一杯。


「ちょっと座っててよ。コーヒーいれっから。あ、さゆはコーヒーダメだっけ?」

「あー、うん。出来たら紅茶とかがいいなぁ」

「ほいほい。んー、あったかなぁ。お、あったあった」


 程なく、ティーバッグがそのまま突っ込まれたカップが葉鳥紗友里の前に出されました。

「ありがとう」とお礼を言いつつ、口をつけましたが、あまりの熱さにすぐに口から離しました。「もうちょっと冷めてから飲もう」

 カンナは向かいにどっかりと座ってコーヒーを一口飲むと「で、話ってなんなのさ」と尋ねました。

 葉鳥紗友里は言い出そうとして、止めて、言いにくそうにして、口をパクパクと喘がせて、一旦止めて、また何か言おうとして、首を振って止めて、言葉を探すように部屋の中を見回して、何処にも無いので止めて。

 その間、カンナはじっと葉鳥紗友里を見たまま、ときおりコーヒーを口にしながら待っていました。

 もうこのまま言わないかな、と思われた頃、葉鳥紗友里が決心をしたように鼻息を鳴らしました。


「お、男の子を紹介して欲しいの!」


 カンナの目が丸くなりました。




 カンナこと神南玲奈かんなれいなは葉鳥紗友里を恋愛に興味のない女だと思っていました。付き合いは大学に入ってからなので、それほど長くはありませんが、その間――2年ほど――一度も浮いた話を聞かなかったですし、葉鳥紗友里自身からそういった話を聞かなかったからです。

 本人の真面目な雰囲気も相まって、てっきり恋愛には然程興味のない人種だと思っていたのです。

 しかし神南玲奈は驚きはしましたが、軽蔑はしませんでした。むしろ喜びました。大学では最も仲が良いと言ってもいい友人である葉鳥紗友里と、これから恋話も出来るのだと。


「おお、構わないよ」


 神南玲奈は驚きで返事が遅れたものの、快く葉鳥紗友里の要求を受け入れました。この女の子の彼氏になるようなやつはどんな奴がいいだろう。自分のことではありませんが、少し心がときめくようでした。


「どんな奴がいい? タイプとかあるのか?」


 わくわくしながら聞いた神南玲奈は、


「ど、童貞がいい……かな……」


 次の瞬間凍り付きました。

 脳が情報を処理しきれません。オーバーヒートしています。ですが、友人の言葉を無視するわけにはいかない。彼女のそんな友情への矜持が、言葉を紡がせます。


「えっと、どうして……?」


 頑張りました。神南玲奈は頑張りました。塞がらなかったはずの口を無理やり動かしたのです。ですが、その頑張りはきっといらなかったでしょう。


「えっと、慣れてる人だと今までの人と比べられそうじゃない。そこに来て童貞なら、私が初めてでしょう。なら、私が基準になるわけだから安心かなーって」


 ぎりぎり。ぎりぎりですが、気持ちは分からなくもありませんでした。

 確かに、男は胸のが大きいだの小さいだの、くびれがどうこう、尻が太ももがと、これでもかと言うくらい女の体に注文を付けてきます。なら、お前はどうなんだと言い返したくなったことは、これまでに一度や二度ではありませんでした。

 おそらく葉鳥紗友里は男性経験がないのだから、そういった不安を抱くことはおかしなことではないなと、神南玲奈は自分を納得させました。


「わ、分かった。ど、童貞……だな。ちょっとカズキに聞いてみるよ」


 カズキとは神南玲奈の彼氏です。化粧っ気もなく、大雑把で明け透けな神南玲奈ですが、単純に素材がいいので男は寄ってきますし、彼女自身も人並みに恋愛感情はあるので、恋人だっています。


「それにしても、さゆが彼氏を欲しがるとはなー。恋愛に興味出てきたのか?」


 先程の衝撃から少し立ち直った神南玲奈は、調子を戻すために軽く世間話でもしようとしました。

 悪手でした。


「あ、違うの。彼氏はいらないの。セックスがしたいだけなの」


 神南玲奈の脳は今度こそ完全にフリーズしました。

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