第六章 絆の在り処

その25-2 反撃開始!


 同時刻、サヤマ邸一階廊下―

 

「いたぞ! こっちだ!」

「カッシー、前!」


 前方の突き当りから飛び出してきた二名の私兵の姿を視界に捉え、日笠さんは上ずった声で我儘少年に叫ぶ。

 わかっているといわんばかりに、カッシーは急ブレーキをかけ、十字路を右へと曲がった。

 彼とほぼ並走していた逃げ足だけは早いバカ少年も、青ざめながらぴょんと跳ね、壁を蹴って止まると、その後に続く。

 やや遅れてその後を走っていた少年少女達は、飛び込むようにして右へとその身を躍らせた。

 

「待ちやがれ!」


 前と後ろからそんな彼等を追って駆けてきた私兵達は十字路で合流すると、お互いを見合ってアイコンタクトした後、何故か三手に分かれて散開しだした。


「……よし、周りこめっ!」

「おーい、やばくねー?」


 何だ今の声は。なんだかやな予感がすんぜ。

 けど、どちらにしろ逃げるしかなさそうだけどなー?――

 ちらりと振り返った視界の先に、三手に分かれた私兵のうちの一組が、怒りの形相でこちらにやってくるのが見えて、だがそれでもクマ少年はぶれないのほほん声で呟いた。


「どう見てもやばいっつーの!」


 そんなこーへいのマイペースな声色に、カッシーは苛立ちを隠さず言葉に乗せて言い返す。


「ねえ、カッシーこれどこ向かってるの?」


 運悪く侍女に見つかり、逃げるが勝ちと戦略的撤退を決め込んだはいいものの、まるで迷路のように無駄な広さを誇るこの豪邸。

 彼等は完全に方向見失ってとりあえず捕まらないように、逃げ回るので精一杯だったのだ。

 そんなわけで我儘少年だって、今どこを走っているかなんてわかるわけがない。


「……」

「ちょっともう、黙らないでよ!」


 元々運動は苦手な上に、チェロを担いでの逃走劇――早くも息が切れかけてきたなっちゃんは、気まずい表情を一瞬浮かべて口を噤んだカッシーに気づき、珍しく焦りの表情を浮かべた。

 彼女だけではない。ペンダントの力を使用したおかげで既に体力切れが近い日笠さんも、相当にきついようだ。

 少女は肩を息しながら気力だけで必死に着いてきているような状況だった。

 このままではいずれ追いつかれるのは目に見えている。

 何とかしないとまずい。唸り声をあげカッシーは八重歯を覗かせつつ口元を歪めた。

 

「くそっ、こうなったらとりあえずマーヤと合流して――」

「んー、でもマーヤって今どこいんだ?」

「うっ……わからん」


 そういえば彼女がどこに案内されたかまではわからない。

 冷静なこーへいのツッコミに、カッシーはぐぬぬとまたもや言葉を詰まらせる。

 だめだこりゃ――なっちゃんと日笠さんはほぼ同時にがっくりと肩を落とした。


「マーヤって誰ですか?」

「ああ、もう浪川君それは後で話すから! ね?」

「ドゥッフ! カッシー道わかれてるヨー!」


 と、並走どころかやや追い越し始めていたかのーが、目の前に見えてきたT字路を発見してケタケタ笑いながら叫ぶ。

 こんな時でも楽しそうだなコイツ――と、どこまでもポジティブシンキングなバカ少年をちらりと横目で見ながら、カッシーは羨ましそうに溜息をついた。


 突き当りはすぐそこまで迫っている。

 背後からは追っ手。右、左どちらへ曲がるべきか。

 少年は決断を迫られる。

 

「カッシー、どっちに行くの?」

「右ですか?」

「んー、左のほうがよくね?」

「ムフ、目つむって決めれバー?」

「いいから早く決めて!^^;」

「だーもう、うっさいつーの! お前ら勝手なこと言いやがって!」


 背後から聞こえてきた無責任かつ好き放題な少年少女達の声に、カッシーはキレ気味に叫んだ。

 刹那、丁度T字路に差し掛かった少年は、右側の廊下から飛び出してきた人影に気づき、はっと息を呑む。


 しまった、敵か!?――

 少年は慌てて速度を落とすがもう遅い。


 ほぼ全力疾走だったカッシーは、飛び出してきたその人影と正面から勢いよく衝突し、そしてお互いにしたたかに腰を打ち付けつつ床に倒れた。


「いってぇ……」

「くっ……気を付けぬかバカ者め!」


 と、頭を抑えつつカッシーとその人影――サヤマは愚痴をこぼす。

 誰このお爺さん?と、後からやってきた日笠さんは床に倒れた老人を、目をぱちくりさせながらまじまじと眺めていた。

 

 と――

 

「サヤマ卿……?」

『ええっ!?』


 少年には珍しく、やや強張った表情を浮かべて呟いた浪川を振り返り、少年少女はぽかんとする。

 嘘だろ?――カッシーは聞こえてきたその声に耳を疑いながら、未だ苦悶の表情で腰をさする老人をまじまじと見つめていた。

 ややもってサヤマも自分を見下ろしている浪川の姿に気づき、不可解そうに顔を歪める。


「おまえは奴隷の! 何故ここに?」

「この人が……サヤマ?」

「おーい、マジかよこのじーさんがか?」

「ムフ、ただのハゲかけたジジーじゃん」

「無礼な、ハゲてはおらん! ……む、それよりお前達は何者だ!」


 厚顔不遜に各々感想を述べたカッシー達を睨みつけ、しかしサヤマはやにわに少年少女達が着ている警備隊の服に気が付くと、慌てて起き上がった。

 いち早く我に返ったなっちゃんは、表情を強張らせて老人を指差す。

 

「ぼさっとしてない! そいつを早く捕まえて!」


 だが彼女のその声に、一同がはっとしながらサヤマに飛び掛かるより早く。

 間一髪、老人は少年少女達の間をすり抜け逃げ出した。

 なにやってんのよもう!――なっちゃんは舌打ちするが時既に遅し。

 サヤマはこちらに向かって駆けてくる私兵達に気づくと一目散に彼等の下へ歩みよる。

 

「サヤマ様!」

「お前たち奴隷を奪われたのか情けない!」

「……申し訳ございません」


 荒い息を吐きながら、サヤマは口惜し気に浪川をちらりとみつつ、途端に強気になると口角泡を飛ばしながら私兵達を怒鳴りつけた。

 私兵達はむすっとしながらも、仕方なく雇い主である老人に頭をぺこぺこと頭を下げる。


「ところで何故こんな所に?」

「女王に事がばれた。しかもあの女狐め、こともあろうかワシを追って来ておる」

「なんと!では――」

「まあよい、さっさとあやつらを倒せ! 奴隷を奪い返すのだ!」


 そして今度こそ女王も亡き者にする――

 再燃し始めたどす黒い執念を再び瞳にたぎらせ、老人はカッシー達を振り返ると号令を下した。

 私兵達は腰に差していた剣を抜き放ち、少年少女達に向かって構える。

 

 サヤマと私兵の会話を聞いて、カッシーは辻褄の合わない現状に僅かに表情を曇らせた。

 今の話が本当だとしたら、上もどうやら揉めているようだ。

 だが、マーヤが追って来ているってのはどういうことだろう。にしては彼女の姿が見えないが。

 それにサワダさん達も一緒なのだろうか――

 

 しかしこれ以上マーヤ達の心配をしている余裕はなさそうだ。

 日笠さんとなっちゃんを庇う様にして二人の前に立つと、カッシーはブロードソードを抜き放ち、じりじりと迫ってくる私兵達へ構えた。

 相手は二、三人。これならなんとかなるかもしれない――そう思いつつ、手伝ってくれと言いたげに、少年は傍らのこーへいをちらりと見る。


 だが、こーへいはそんな少年の視線を受けて、フルフルと小さく首を振ってみせた。

 周りこめ! さっき奴らはそう言っていたのだ。

 彼の勘は既に大きな警鐘を鳴らしている。

 これはマジでやばい――と。


 なんだよその動き?――訳がわからないカッシーは、こーへいのその仕草に対し不思議そうに片眉を吊り上げた。

 はたしてクマ少年の勘は見事に的中し、カッシーはすぐに彼のその行為の『理由』を知ることとなった。

 

「カッシー……」


 やにわに日笠さんの怯えるような声色が背後から聞こえてきて、我儘少年は嫌な予感がしつつも彼女を振り返る。

 少女が見据える右側の廊下からは、数人の私兵が既に抜刀状態でこちらにやって来ているのが見えた。

 

「こっちもですね……」


 立て続けに今度は浪川の、こちらはいつも通りの落ち着いた口調ではあったが、しかしカッシーは勘弁してくれといいたそうに口をへの字に曲げつつ、左の廊下を向き直る。

 言うまでもなく少年の視界に映ったのは、やはり数人の私兵の姿がこちらへ駆け寄ってくる光景だった。


 最悪だ。

 あーつまりこの状況は――

 

「囲まれた……」


 カッシーの気持ちを代弁するように、切羽詰まったなっちゃんの呟きが聞こえて来て、一行はごくりと生唾を飲み込む。

 いかんともしがたいこの状況。

 もはや逃げることもままならない。

 

「なっちゃん、なんかいい作戦ないのかよ?」

「無茶言わないでよ……」


 こんな見通しのいい廊下では奇襲もできないし、既に三方を囲まれている状況だ。

 流石の聡明な少女といえど、この戦況を覆せるような良い案は咄嗟には浮かびそうもない。

 肩越しに聞こえてきた我儘少年の声に、なっちゃんは困ったようにかぶりを振ってみせた。

 

 くそっ、とカッシーは舌打ちする。

 こうなったらやるしかない。やるしかないが…正直厳しい。

 私兵は正面に三、右に二、左に三。

 対してこっちで戦えそうなのは自分とこーへい、かのーは…怪しいがこの際贅沢はいってられない。

 なっちゃんは武器を持っていないし、日笠さんもペンダントを使用したせいで、もう立っているのも辛そうだ。

 ああ、こんな時あの音高最強の風紀委員長様がいればなあ――

 勝ち誇ったように嫌らしい笑みを浮かべるサヤマを、恨めし気に睨みつけ、カッシーはブロードソードを握る剣に力を籠めた。

 

 

 と――

 

 

 三方を囲まれたこの緊迫した廊下に、何とも場違いな弦の音色が響きだす。

 それは、オーケストラ経験者なら誰もが一度は聞いたことのある音色。

 

 即ち、チューニングの際ヴァイオリンが奏でる『』の音――

 

「な、浪川君……!?」


 向き直った先で、顎でヴァイオリンを挟みながら、マイペースに調整を始めていた浪川を見上げ、日笠さんは顔に縦線を描く。

 こんな時に何をしてるのよ!――と。


 彼女だけではない。カッシー達も、そしてサヤマも私兵達も、突如として奇妙な行動にでた少年を見つめ、呆気に取られて固まっていた。

 だがいつも通りの涼しい顔で、浪川は立派な睫毛を二、三度瞬きさせると日笠さんを見下ろして首を傾げる。

 

「なんですか?日笠さん?」

「何って、貴方こそ何を?」

「もちろん演奏ですよ」

「……貴方ねえ、こんな時に何を考えて――」

「東山さんから聞いたのですが、僕達の楽器は不思議な力を得たらしいですね?」


 少女のややヒステリックなツッコミを遮るようにして、浪川は至って真面目な口調でそう尋ねた。

 刹那、日笠さんは言葉を飲み込み、はっとしながら目をぱちくりとさせる。

 カッシー達も彼の問いかけに、思い出したように目を見開いていた。


「違うのですか?」

「ええ、そうだけど……」

「なるほど」


 ならば納得がいく。

 あの日……つまりこの世界に飛ばされた日。

 何気なく奏でたヴァイオリンがとんでもない現象を起こした事にも――

 表情一つ変えず、少年は優雅に愛用のヴァイオリンの弦上へ弓を重ねた。

 

「でも一体どうする気なの?」

「試してみたい曲があります。茅原さん、ちょっと手伝ってください」

「そういうと思ったわ、任せて」


 と、日笠さんの問いかけに応えつつ、浪川が視線を向けた『微笑みの少女』は、彼の意図を読み取り、既にチェロをケースから取り出して構えようとしていた。

 悠長にチューニングをする時間はなさそうだがやむを得ない。

 なっちゃんはケースの上にいそいそと腰かけ、チェロに弓を添える。

 

 おのれ何をする気だ。あの奇妙な道具は一体。

 だが所詮は子供の戯言、この数には勝てまい――

 少年少女達の行動が読めず、サヤマは困惑するようにくぐもった声を喉の奥であげていたが、やがて意を決したように小さく頷き、私兵達を振り返った。

 同じく戸惑っていた私兵達は、こちらを振り返った老人に気づくと、憮然とした表情を浮かべてかしこまった。

 

「構わんやれ、奴隷以外は殺してよい」

『はっ!』


 その号令を合図に。

 私兵達は一斉に剣を振り上げ、六人へ襲い掛かる。

 



 根拠はない。全くない。

 だがしかし――

 何故か『道』が開けそうな気がする。

 瞳に希望の光を灯し、少年少女は負けるものかと迎撃の覚悟を決めた。




 刹那、『睫毛の貴公子』のヴァイオリンは、勇ましい戦争の音色を奏で始め――


 追従しだした『微笑みの少女』のチェロの音色と共に、チェロ村以来の『奇跡』をこの場にもたらしたのだった。

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