第四章 追究 ~つきとめたくて

その15 小心に大過なし

東地区、リタルダンド卿サヤマ邸 二階大廊下端―


 時刻は深夜過ぎという事もあり、東地区の中でも特別立派で豪勢なこの屋敷も今は静まり返っている。

 燭台の心もとない灯りが彩る長い廊下に時折聞こえてくるのは、見張りが巡回の際に放つ、コツコツという足音のみだ。


「異常はなし」

「ご苦労」


 十字廊下の中央で敬礼をしあい、男二人が別れていったのを確認すると、サクライは廊下の端から顔を覗かせ周囲の様子を窺う。

 そして傍らに控えていた少女を振り返ると、目で合図を送り廊下を静かに走り抜けた。

 東山さんも遅れることなく彼の後に続く。

 ここまでは順調だった。

 門を飛び越え中庭をつっきり、屋敷の裏手から鍵をピックでこじ開けて侵入。

 本職の盗賊も感心するのでは?疑うほどの無駄のない動きに、この人は本当に王様なのだろうか、と東山さんは少し呆れていた。

 だが屋敷に入ってからは巡回する者達の姿が、ちらほらみてとれるようになった。

 恐らく私兵だろうが自宅に警備を置くとは、流石は元宰相。

 裏を返せばそれだけ用心深く、そして用意周到な性格であることが伺える。

 サクライは面倒くさそうに眉根を寄せて警備の様子を窺っていたが やがて見事に彼等の死角をついてなんなく二階まで到達したのだ。

 そして今に至る。


 廊下を端から端まで大胆に横断し、丁度屋敷の東側までやってくると、サクライは手ごろな小部屋の前で耳を澄まして中の様子を窺った。

 そしてドアノブを回してゆっくりと扉を開けると、中に誰もいないことを確認してから東山さんを手招きする。

 東山さんがコクリと頷き、中に入るとサクライは静かに扉を閉めた。

 部屋の中は灯りもなく薄暗い。だが今夜は満月だ。

 窓から差し込む月の蒼銀色の光だけでもお互いの顔を確認するくらいの明るさはあった。

 

「平気かい?」

「問題ないです」


 見栄を張るわけでもなく、少女は涼しい顔で即答する。

 異世界組の中でもダントツの運動神経を誇る東山さんは、ここまでサクライに後れをとることなくしっかりと彼の後をついてきていた。

 大したものだ――そんな少女を内心称賛しながら、サクライはニコリと微笑む。


「でもなんて広い屋敷。こんな広いとは思ってなかったわ」


 下手な博物館や美術館よりよっぽど広い。何とも骨が折れそうだ。――

 辟易したように眉を顰め東山さんは呟く。

 実際その通りでサヤマ邸は個人の屋敷にしては相当な広さの『豪邸』であった。

 ただ、この屋敷の『趣き』について感想を尋ねられたら、少女のセンス的には即座に首を振るものだった。


 ここまで来る途中に見かけた、高そうな骨董品も、深紅の紅い絨毯も、そして壁に掛けられていた絵画も、全てなんというか『成金』くさいのだ。

 昼間見たヴァイオリン城の歴史と由緒あるあの雰囲気とは比べ物にならない。ただ広いだけの、中身のない張りぼて屋敷。

 東山さんはこの豪邸にそんなイメージを抱きつつある。


「なんとなく品がない屋敷ですね」

「宰相時代に貯めた金で作ったらしい。もっとも、まだまだしこたま貯め込んでいるという噂だけど――」


 老後の貯えはばっちりといったところか、あの強欲翁め――

 不快そうに口元を歪め、サクライは懐から長方形の紙を取り出すと、それを窓に押し当て月光の下に晒す。

 月の光に透かされ、紙面には薄ぼんやりと何かの図面が浮かび上がっていた。

 

「なんですそれ?」

「この家の見取り図だ」


 と、あっさり答えたサクライを東山さんは訝し気に向き直った。

 どこでそんなものを?

 少女のその表情はそう尋ねている。


「城で一定以上の官職に就いた者は、自らの所有する不動産の見取り図を国へ提出すること――マーヤが定めた条令だ」


 東山さんの顔を視界の端で確認しつつ、だが目は見取り図上を忙しなく動かしながらサクライは答える。

 何か起こしたら遠慮なくこれを利用させてもらうから?――

 女王としての意志をはっきりと示した、貴族達の叛乱に釘を刺す為の条令であった。

 

「一度城に戻って拝借してきた」

「って、待ってください。それって――」

「職権濫用も甚だしい? この際これくらいの王族特権は黙認してほしいな」


 言うと思った。生真面目な子だということは短い付き合いだが十分わかっている。

 眉間にシワを寄せ、説教を始めようとしだした東山さんに先手を打つように、サクライは被せ気味で反論する。

 この屋敷は城を除けばおそらく城下町で最も広い私邸だ。サヤマ邸といえば城下町に住む者ならほとんどが知っているほどである。

 そんな広大な屋敷の一部屋一部屋をしらみつぶしにして浪川探していたら時間がいくらあっても足りないのだ。

 はたして、そんな彼の言い分がわかったのか、正義の風紀委員長は放とうとしていた言葉を飲み込み、不承不承ながらも口を真一文字に結んだ。

 やれやれとサクライは苦笑する。

 

「ちゃんと返しておくんですよ?」

「わかってるさ、それよりナミカワ君の居場所だが、ある程度目星はついている」

「本当ですか?」

「彼は今のところ、サヤマにとっての切り札だ。だからそれ相応に丁重な扱いをされているはず」


 サヤマという男は体裁を人一倍気にする男だ。その辺いかにも貴族らしい性格であるといえるが。

 だから自らが擁立しようとしている『前王の息子』をいかに敬い、いかに自分が臣下の礼を尽くしているかを対外的に見せようとするはずだ。

 と、なれば――

 

 若い頃、何度となく目にしてきた、かの老人の上っ面だけの政治手法を思い出しながら、サクライは虫唾が走る思いと共に地図上に指を走らせる。


「そうだな……例えばこの部屋とか」


 そう言って、王は見取り図にあった一部屋の上で、動かしていた指を止めた。

 東山さんは彼の傍らに歩み寄り、サクライの指さした部屋を覗き込む。

 月光の光を受けて鈍く照らし出された、見取り図のその部屋は――


「三階来賓用客室……」


 サヤマ邸で最も南にあり、そして最も広い客室。

 そして間取り的にも謁見ができそうなスペースがある。

 ここから少し遠いが、行けないことはないだろう。

 地図から目を放し、傍らにいた少女を見下ろすとサクライは首を傾げた。

 いってみよう――

 その表情はそう言っている。

 東山さんは無言で一つ頷いてみせた。



♪♪♪♪



同時刻

サヤマ邸 三階私室――


 深夜にもかかわらず、この豪邸の家主である老人は、珠玉で装飾された椅子に腰かけ、年代物のロゼワインを堪能していた。

 今宵はすこぶるいい気分だ。

 一重瞼の奥の三白眼は未だ衰える事のない野心を灯し、歳のために痩せこけた頬を歪め。

 血管が浮き出た枯れ木のような手に持つグラスに揺らし、そして一人静かに微笑むその老人の顔は。

 今年で七十を越えたとは思えぬ、枯れぬ野望を秘めた『奸臣』と呼ぶに相応しい人相をしていた。


「入れ……」


 ノックされたドアに対し、老人――リタルダンド卿ススム=サヤマは、しわがれた声で返事をする。

 しばらくして、黒い礼服に身を包んだ執事らしき男が入ってくると、一礼してサヤマに歩み寄った。


「まだ起きてらっしゃいましたか」

「今宵はとても気分が良い……寝るにはもったいなくてな」


 口の中で含めるような笑い声をあげ、サヤマは男に答える。そして残りのワインを飲みほした。

 男はその言葉を受け、再度頭を下げるとサイドテーブルにあったボトルを手に取り、空になったグラスに静かにワインを注ぐ。

 液体が注がれる涼しい音色が部屋に響いた。

 

「あの奴隷はどうしている?」

「ご指示のとおり客間に移動しました。汚れておりましたので、風呂に入れ食事を取らせた次第です」

「今は丁重に扱え。彼は近い将来この国の王となる者だ。たとえ下賎な奴隷の血が流れていたとしてもな」

「仰せのままに……」


 男はサヤマの指示に一際深く頭を下げながら答える。

 老人は手にしていたグラスをサイドテーブルに置くと、ひじ掛けに頬杖をついた。

 そしてつい先刻対面した奴隷少年のことを思い出し、高揚しながら口元に笑みを浮かべる。

 きっかけはあの奴隷商人からの手紙であった。


『今のリタルダンド卿にうってつけな商品奴隷がございます』


 金目当てに押し掛けてくる商人など毎月後を絶たない。

 またか。どうせまた下賤な商人風情の口八丁であろう。

 今更奴隷など買い求めて何になる。

 手紙の半ばで、サヤマは辟易したように唸り声をあげていた。

 しかし、一応目を通そうと続きを読み進めた老人の三白眼は、やがて大きく見開かれることとなる。

 

 前ヴァイオリン王。

 アルマート公。

 酷似している。

 隠し子ではないか。


 手紙にはその商品奴隷の容姿の特徴が事細かに記されていたのだ。

『――あとは貴殿次第です。是非ともご検討を』

 

 そう最後に記された手紙をそっと机の上に置き。

 手紙を読み終えた老人の頭の中に一つの策が産声をあげる。

 もちろん、貴族が再び権力を奪還するための起死回生の策だ。


 これはもしや、天啓かもしれない――

 老人はここ数年燻っていた、いや諦めかけていた野望の炎が心の奥底で再燃していくのを感じていたのだ。

 だが焦ってはいけない。

 まず商人の言っているその奴隷が本当に前王そっくりなのかを確認する必要がある。

 それに万が一にも自分を嵌める罠だったとしたら。

 事実、ここ数年で忌々しい女王の貴族に対する締め付けはさらに厳しくなってきていた。

 そう考えた老人は慎重を期して、まず部下と商人を合わせた上で確認した後会うことにしたのだ。

 だがそれは杞憂であった。

 部下が屋敷に連れて来た商人が『商品』として提示したその奴隷少年を見て。

 彼は確信した。

 我が策は成った――と。

 父の跡を継ぎ、彼が宰相に就任した際に謁見した、前ヴァイオリン王の若き日の姿。

 脳裏に今も残るあの時の前王とまったく変わらない、瓜二つな姿をした少年が目の前に現れ、サヤマは思わず感嘆の声を漏らしたのである。

 

「あの商人、名はなんといったか?」


 先刻、代金として袋一杯のストリング金貨を渡した際、満足そうに笑みを浮かべて頭を下げていた若い商人を思い浮かべ、老人は傍らに控える男に尋ねた。


「は、ウエダです」

「ウエダか……確かパーカスの商人だったな?」

「はい」


 執事が静かにそう言ってお辞儀をすると、サヤマは含み笑いと共に満足そうに頷く。物の価値がわからぬ男だ。所詮は下賤な商人。僅かな金で満足して帰っていった。

 だがおかげで金貨一袋で国が買えることとなったが――

 

「いい買い物をした」

「……まったくで」


 仰々しく頭を下げた男をちらりと一瞥し、サヤマは立ち上がる。

 そしてゆっくりと窓辺に歩み寄ると、じっと満月を見上げた。


「もう無理かと思っていたが……また一花咲かせることができそうだ」

「我ら貴族の時代が再び来るのですな」

「うむ……」


 女王、あなたの命運ももう少しだ。

 我等貴族を軽んじた報いを受けてもらおう――

 老人はぎょろりと三白眼を細め、どす黒い野心に満ちた笑みを浮かべた。

 


♪♪♪♪



三十分後

サヤマ邸、三階来賓用客室前廊下―


 見張りがいる――

 曲がり角からそっと顔を覗かせ、廊下の様子を窺ったサクライは、客室前に直立不動で佇む二名の私兵の姿を確認し、眉を顰めた。

 二人は動こうとする気配を見せず、あの場から去る気配を見せない。

 他の巡回している者達とは様子が異なるようだ。

 だがそれが何を意味するか。

 

「どうですか?」

「どうやら当たりのようだ」


 見張りがいるということは、あの部屋に何かがあるということだ。重要な物か或いは重要な人物か。

 状況から判断すると後者と考えるのが妥当だろう。

 背後から東山さんの様子を尋ねる声が聞こえ、サクライは顔を引っ込めると確信したように答えた。

 王の返答に少女は表情を明るくし、そして意気込むように口元に期待の笑みを浮かべる。


「じゃあ――」

「だが見張りがいてこれ以上は近づけそうにないな」


 廊下はまっすぐで見通しが良いうえに、目当ての部屋まではやや距離がある。

 隠れてこれ以上近づくのは至難の業だ。

 意気込んで拳を握りしめた東山さんに、サクライはかぶりを振って答えた。

 

「なら正面突破しか」

「それはちょっと待ってねエミちゃん」


 と、さっそく腕を鳴らして廊下に飛び出そうとした少女の肩を掴み、落ち着いてとサクライは苦笑する。

 案の定東山さんは不満げに眉間にシワを寄せ、自分を制した王様を振り返った。

 

「どうして止めるんです?」

「騒ぎになると脱出が難しくなる。万が一を考えて実力行使は最後の手段だ」

「でも、他に方法がないでしょう? 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』ですよ」

「だが『小心に大過なし』ともいうだろう?」


 あの男達だけなら素早く近寄って無力化することもできるだろう。

 サクライと東山さんの腕ならばたやすいことだ。

 だが後のことを考えるとこの手は避けたい。ここから抜ける時はナミカワ君という少年も増えるのだ。

 万が一他の私兵に見つかった場合、脱出は一気に困難になるだろう。

 捜していた仲間が傍にいる。そのことで少女の逸る気持ちは十分に理解できる。

 だからこそとここは、とサクライ慎重論を唱えた。

 訴えるようにじっとサクライの目を見ていた東山さんは、ややもって仕方なく構えを解く。

 そして腰に手を当てて、苛立たし気に息をついた。


「それじゃどうするんです? ここにずっと隠れててもしょうがないですよ」

「今考えてる」


 正面からは無理、となる迂回して何とか部屋に侵入するしかない。

 だが見た感じ迂回路はなさげだ。

 どうしたものか――

 壁に寄り掛かり腕を組むとサクライは思案を巡らせる。


 と――

 

 肩の上にちょこんと座っていたリズザルがちょいちょいとサクライの頬をつついた。

 彼はなんだろうと親友の顔を覗き込む。

 クリクリした丸い瞳を輝かせ、リスザルは廊下の窓を指差し――

 然る後、くるんと弧を描きながら今度は上を指差した。

 そして最後にニカっと歯をむきながら笑い、どうだといわんばかりに首を傾げる。

 

 親友リスザルの言わんとすることを理解しようと、サクライは眉根を寄せつつ天井と窓を交互に見やっていた。

 そして時間にして約数十秒の思案の後――


「なるほど……やってみよう」


 サクライは口元に笑みを浮かべつつ、リスザルの頭を撫でる。

 王の親友は嬉しそうに短い鳴き声をあげ窓辺にぴょんと飛び移った。

 後に続くようにして彼も廊下の窓を開け、桟に足をかける。

 

「王様? いったいなにを――」


 と、訳が分からず怪訝そうに眉を顰めた東山さんに――

 

「エミちゃん、君高い処は平気?」


 蒼き騎士王は右手を差し伸べたのだった。

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