のっぽのマルクスと小肥りのニコラ(1)

 イレスダートの中心部である王都マイア。

 夢と希望に満ち溢れる聖の王国には、あらゆる知識と文化が集まり、富や名誉の象徴でもあった。この場所へと行けば、どんな望みでも叶うというのも夢物語ではなさそうで、だからこそ街の少年たちはロベルトに絡んできたのかもしれない。彼らが嫉妬や羨望を抱くのも自然だろう。ここはあまりに華やかであり、これまでロベルトが生きてきたせかいとはかけ離れていた。

 雑踏のなかでロベルトの足はうまく前へと進まずに、視線にしても右へ左へと行ったりきたりだ。

 母親と思われる女は、子どもとはぐれてしまわないようにしっかり手を繋いでいる。老人たちの足は軽やかに、並んで歩いている娘たちはどの顔も美しく、思わず見とれていたロベルトは露天を構えていた商人とぶつかってしまった。

 商人は叱りつけずにロベルトを見てにっこりし、焼き菓子をひとつ手に乗せてくれた。慌てて銀貨を取り出そうとしたロベルトからそれを受け取らず、商人はもう次の客へと声をかけている。ロベルトはその背中に向けて礼を言ってから歩き出した。

 季節の果物が入ったちいさなタルトはしっとりしていて、とても美味しい。侍女のマーラが焼くチーズタルトにも負けないくらいだ。

 もうすこし進んだところで次は女商人に呼び止められた。ロベルトは薔薇の砂糖漬けを頂く。砂糖の甘味と花のにおいが独特で、思わず変な顔をしたロベルトの肩を豪快にたたきながら女商人は笑う。王都の娘たちの一番人気でお土産にもぴったりだと言ったものの、女商人はそれ以上をロベルトに勧めなかった。田舎から出てきたばかりの少年だとわかっていたのだろう。

 王都に向かうとなればそれなりの格好をしていたつもりだった。けれども、王都に不慣れなのは一目瞭然で、ロベルトは急に恥ずかしくなって駆け足で露天を抜け出した。

 やがてたどり着いた噴水広場には肩を寄せ合う恋人たち、焼き立てパンを頬張る娘たちに、うつらうつらと居眠りをする老人など、どの顔も幸せそうに見える。南から来た伝道師が布教活動をしているが、誰も相手になんてしていない。イレスダートではヴァルハルワ教が多数を占めている。異国の神さまの話は誰もききたがらないのだ。

 おなじマイアの国内でも、ぼくの街とは全然ちがう。ベンチに腰掛けたロベルトはため息を吐いていた。王都はロベルトの想像以上に広くて、ちょっと歩いただけでもう疲れてしまった。まずは通行人の邪魔にならないようにするのも、それがなかなか難しい。

 アドリアンとは王都に入ってすぐ別れてしまったが、目的の場所をきいておいてよかったと、ロベルトは思う。まっすぐを行けば白の王宮、東に進めば大聖堂へと、その反対には士官学校がある。ロベルトが行くべきなのはひとつだけだ。

 白の王宮には許された者以外は立ち入ることができない場所であり、まだ少年であっても用事もなく近寄れば、衛士に誰何すいかされてしまう。大聖堂にしても敬虔な教徒ではないロベルトは、お祈りの順番を間違えて、それこそ司祭に叱られてしまいそうだ。そうこうしているうちに日が暮れるのも時間の問題で、なによりもここには遊びに来たわけじゃない。ロベルトは最後の干し杏子を口のなかに放り込んで立ちあがった。

 そこから先はただひたすらに西へと進んだ。

 商業区を抜けて居住区からも遠ざかれば建物は少なくなり、それでも緑や花たちの鮮やかな色彩はそのままに、ゆるやかな坂道を登ってゆく。擦れ違う人もまばらなもので、それもロベルトとは反対の方へとくだって行くから、ロベルトは次第に不安になってきた。本当にこの道で合っているのだろうか。

 いや、アドリアンを信用していないわけではない。一番大きな道を進めばいいと、教えられたとおりに行った。しかし小一時間近く歩いてみてもそれらしき建物は見えてこない上に、そろそろ喉が渇いてきた。そして、ロベルトの足がついに止まったとき、声はきこえた。

「ねえ、君。もしかして、士官学校に向かってる?」

 ロベルトは振り返る。そこにはロベルトより頭ひとつ分、背の高い少年がいた。ロベルトとちがってちゃんと声変わりもしているし骨格もしっかりしているから、ロベルトよりもひとつ、ふたつは年上なのだろう。けれど笑みを抑えた切れ長の双眸が気に入らない。あれは人を値踏みするときの目とおなじだ。ロベルトは無言でいる。

「ああ、いいよ。そうじゃないかって、すぐにわかったから。俺もさ、そこへと向かってるんだ。よければ案内してあげようか?」

 お節介なのっぽだ。ロベルトは口のなかでごちる。

 上級生が新入生に親切にしているつもりでも、こいつの物言いはなんだか気持ちが悪い。

「いや、いいよ。べつに」

 ロベルトは無表情でいて、のっぽの少年はちょっと驚いたような顔をする。ロベルトはもうそれを無視して、ふたたび前へと歩み出す。二呼吸のあとにのっぽの少年もそれに付いて来た。

 中心地からはどんどん遠ざかってゆき、そのうちに人の姿もなくなる。道がふたつに分かれていてもロベルトはただまっすぐを選ぶ。ロベルトは振り向きかけて止めた。のっぽは一定の間隔を空けて、ロベルトにつづいている。尾行されているみたいで気分が悪くとも案内役を申し出たくらいだ。もしも間違った道を進んだならば、そのときには教えてくれるはず、ロベルトは都合の良い解釈に変えた。

 それからさらに小一時間、やっと建物らしきものが見えてきた。

 はじめに目にしたのは白。それからおなじ色が何棟も連なっている。白の王宮もまた然り、王都の主要な建造物には白の色が使われているのだと、アドリアンの話をロベルトはそこで思い出した。市街地を一望できるこの場所に士官学校が屹立きつりつしているのは、白の王宮に身を置く王や王族のためだけではない。王都に住まうすべての人々を守る使命にあると、いかなるときも忘れぬように、そうして造られたのだとも。

 校門というよりは城門のように大きく、騎士が二人並んで佇立ちょりつしていた。ロベルトは背中をぶるっとさせる。怖じ気づいたわけではなかったが、やはり間近で騎士を見れば緊張するのだ。名簿に自分の名前を署名するなり逃げるようにそこから立ち去ったものだから、ロベルトはどこに行くべきなのかをちゃんときいていなかった。白の建物はいくつも並ぶ。校舎に学生たちの寮に、まずはどこへと入ればいいのだろうか。

「やあ、君も新入生だね」

 そこで話しかけてきたのは三人組の少年たちだ。上級生たちはロベルトよりも上背があり、顔つきももうすこし大人びている。

「ようこそ、士官学校へ」

「王都ははじめてかい? 迷わなかった?」

「あぁ、なんだ。マルクスが一緒だったのか。それなら大丈夫だ」

 物語の最初に出てきて案内役をしてくれる親切な人みたいに、上級生たちは勝手に喋って好きに笑う。マルクスというのは、ここに向かう途中に出会ったのっぽの少年のことらしい。別にこいつに案内してもらったわけじゃないのに。ロベルトは不満そうに鼻を膨らませる。

「マルクスは王都の生まれなんだ。良家の子息だし人望もあるから、期待の新人って、もっぱらの噂だよ」

「嫌だな。なんだか照れくさいですよ。俺は、ちょっと王都に慣れているだけですから」

 まるで旧友にでも話すときのように、上級生にも気さくに喋る。なんだ、おなじ歳だったんだ。ロベルトはのっぽをちらと見る。それにしてはロベルトみたいにチビじゃない。

「ここからは俺たちが案内するけれど、この先に何か困ったことがあればマルクスを頼ればいい。そうだ、君の名前は?」

 さすがに上級生に囲まれては無視できずに、ロベルトはしぶしぶ唇を開く。

「……ベルク。ロベルト・ベルク」

 上級生たちは顔を見合わせ、ちょっと考えるようなあいだを置き、のっぽのマルクスに至っては遠慮のない声をする。

「ベルクだって? それはどこの家? 出身はイレスダートのどこ?」

「まあ、いいじゃないか。それより、おいで。疲れただろう? 先に部屋を案内するよ」 

 ここで上級生があいだに入っていなければ、険悪な雰囲気になっていたはずだ。ロベルトが名乗った途端に、それまで友好的だったのっぽのマルクスはあからさまに態度を変えたのだ。

 あいつ、嫌なやつだ。ロベルトは無意識に拳を作っていた。

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