七頁:微睡に誘う鐘の音

 城嶋市・香宮町。

 人口は、二万五千人。

 土地の安さと最寄りの城嶋駅から新宿まで四十分というアクセスの良さから県内では、彩桜市に次いでベッドタウンとして人気のある町だ。


 城嶋駅は、駅ビルとショッピングセンターを中心にいくつかの商業施設があるものの、駅から五分も歩くと閑静な住宅街に様変わりする。

 煉瓦造りの駅広場は、日曜日という事もあって人通りも多く童話研究会の面々は、行き交う人の群れを見つめていた。


「先生。本当に神災級ドラゴンクラスが居るの?」


 神災級という異物を抱えながら、変わらぬ日常が流れている。

 エリカには、それが却って不気味に思えた。

 しかし正太郎にとって、これは僥倖ぎょうこうである。


「居るのは間違いない。まだ輪廻に囚われてはいないってだけだ」

「良い兆候ってこと?」

「多分な。今の状態なら何とか倒せる――」


 ゴウーン――。


 ゴウーン――。


 僅かに生じた希望を掻き消すように、重い鐘の音が大気に波紋を広げていく。

 音を聞いたのは正太郎だけでない。生徒達も、道行く人々も、どこからともなく聞こえてきた鐘の音に首を傾げている。


 ゴウーン――。


 ゴウーン――。


 鐘の音が鳴り続け、やがて群衆のいくらかが糸の切れたように崩れ落ちた。


「なんだ!?」


 正太郎は、一番近くで倒れた若い女性に近付いた。

 彼女は、地面にうつ伏せになり、寝息を立てている。

 再びの鐘の音が空気に染みわたると、今度は、広場に居る人々の半分ほどがドミノみたいに倒れていく。


「先生、これって?」


 涼葉の推測に頷く事は、世の滅亡を認めるに等しい。

 けれど認める以外にあるまい。

 三度目の鐘の音は、ついに童話研究会以外の人間全員を地に伏させたのだから。

 喉元に突きつけられる超常は、紛れもなく、


「ウロボロスなのか」


 これほど多くの人々に影響を与えられる存在は、それしかありえない。

 だが、以前のウロボロスとは、力のあり方が違う。

 顕現が浅い故なのか、それとも復活した事で在り様が変わったのか。


「先生どうするの?」


 エリカの焦燥に呑まれまいと、正太郎は歯を食いしばった。

 どんな状況にあっても平静を貫かなければならない。

 十年前とは立場が違う。

 がむしゃらに戦うしか能がない子供ではなく、教師として守るべき生徒たちが居るのだから。


「亀城、涼葉。周辺の偵察頼めるか? もしかしたら奴が近付いて来てるかもしれんし周囲がどういう状況か知りたい」


 まずすべきは、周囲の状況がどうなっているかだ。

 能力の範囲がどこまで及び、あるいはウロボロスが近くに居るのか。

 とにかく今正太郎たちの付近がどのような状態になっているかを知る必要がある。

 薫と涼葉の能力を組み合わせれば、グリムハンズ版のドローンとも言うべき監視装置が仕上がり、偵察にはうってつけだ。

 しかし正太郎の指示に、薫は、申し訳なさげに声を上げた。


「僕は、無理だよ。鳥達も眠らされてるみたいだ」


 薫が見つめるのは、駅広場に植樹された一本の銀杏の木だ。

 枝からポトリポトリと、雨粒みたいに小鳥達が落ちてきている。


「まいったな。涼葉のサンベリーナは、亀城のファーストページとのコンボがないと視認範囲が狭い……」

「すいません。役に立てなくて」


 俯く涼葉に、正太郎は、ようやく自身の失言に気付いた。

 生徒を傷付ける言葉を無自覚に吐いてしまう。

 冷静さを欠いている証拠だ。

 焦ってはいけない。

 年長者である正太郎が、ブレない芯を持っていないと、生徒たちが動揺してしまう。

 何より優先すべきは、失言によって揺れている涼葉に対するフォローだ。


「そんな事ねぇよ。前にも言ったろ? お前は俺より頭が回るし、能力の使い方だって上手い。変な言い方して悪かったな」


 世辞の類ではなく、以前から抱いている本音だった。

 涼葉の頭脳なら、いざという時、正太郎では、思いつきもしない突破口を見出してくれると、信じている。

 それを感じ取ったのか、涼葉に光が戻ってくる。


「いえ。とんでもないです」


 あと、もう一押し。


「涼葉は、この状況どう思う? どう考える?」


 涼葉に自身を付けさせるのが半分、実際に知恵を借りたいのが半分だ。


「以前もこんな事が起きたんですか?」

「いや、眠らせるなんて能力はなかった。でもそういう生態じゃねぇとも言い切れない」


 正太郎は、曖昧な答えしか言えずに、もどかしかった。

 しかし神災級に関しては不明な点が多く、何かを断言出来ないし、憶測を根拠に断定してしまうのも視野を狭めてしまう。


「神災級は、出現数が少ないから詳しい事が何も分かっていない。同じ神話から発生した存在でも、前回と同じ行動を取るかどうかも定かじゃねぇんだ」

「でも物語に行動が縛られるのでは?」

「相手は、物語じゃない。神話の存在だ。解釈は、物語の比じゃないほど幅広い。当然行動規範も並の物語を逸脱する。伝承ってのは、そういうもんだからな」


 人類が文明と言う概念を生み出してから数千年、連綿と語り継がれてきたのが神話だ。

 時には、生活の拠り所として。

 時には、為政者による支配の道具として。

 時には、争いの種として。

 誰が綴ったのか、いつごろ生まれたのか、真実か、虚構かすら定かでない。

 どんな人物に寄り掛かれたか明確な記録が存在し、発表から数百年程の物語とでは、揺蕩う力に与える影響力は、格段の差がある。


「だが、悪い事ばかりじゃない」


 本来なら人間の深層意識に膨大な影響を与える神話から生じた神災級は、人類全体が相応の痛手を負わなければ倒せない。

 今までも倒した際に放出される膨大な揺蕩う力により、人類の歴史に大いなる爪痕を残してきた存在。

 けれど、正太郎は、眼前に横たわる神災級の業に、希望を見出していた。


「今なら、倒せるという確信出来た」

「どうして?」


 エリカは、困惑を露わにした。

 強大な敵を前に、余裕を見せる正太郎が訝しく思えるのだろうが、この自信には、根拠がある。


「ウロボロスの影響が及んでいるのは、現状この町だけだ」

「なんでそんな事分かるの?」


 エリカの問い掛けに、正太郎は、スマホを手にして笑みを浮かべた。


「世界中のSNSが更新され続けてるんだよ。うちの学生のアカウントにも書き込みがある。もちろん日常を綴った普段通りのな。つまりウロボロスの影響を受けてるのは、この近辺のみ。発生したばかりでまだ力を付けていない」

「私達だけでも倒せるの?」

「ああ。おまけに俺が前に見た時は、町一つを覆い尽くす大きさだったが、今は空がちゃんと見える。前に戦った時よりも、遥かに弱体化してる」


 油断するつもりはないが、過去の記憶に振り回されて、敵を過大評価する必要もない。

 今のウロボロスなら童話研究会のメンバーだけでも十分に対処出来る。

 ウロボロスと相対した経験があるからこその確信だった。

 しかし顕現は、今も進行しているはず。一刻も早く討伐しなければ――。


「ふぁー……」


 ――なんだ?


 正太郎の喉の奥から、大きな欠伸あくびが上ってくる。

 何故欠伸なんてと自問しようにも、思考しようとする脳に霞が掛かったように曇り、回転が鈍い。


「この状況で、よくあくびできるね……あふぅ」


 正太郎を咎めるエリカも、語尾を欠伸で伸ばしている。

 伝染するように薫と涼葉も欠伸をし、気だるげに目を擦っている。


「先生、急に眠気が……」

「僕も、ちょっとだるくなってきた……」


 グリムハンズは、ワードの起こす現象に対して、抵抗力がある。

 しかし今回の相手は、あのウロボロスだ。


「俺達にも、効果があるのか?」


 いくらグリムハンズでも相手が神災級ともなると、その影響力を完全に無効化するのは難しい。

 今回も例外ではないだろう。

 ウロボロスの影響下に長居をすれば、いずれ香宮町の人々同様、深い眠りが待っている。

 眠った後に、何をされるかなんて、想像するまでもない。


「でもなんでだ? 前戦った時は、こんな能力……」


 輪廻の象徴。

 死と再生。

 顕現が浅い故に、死と再生を司る事が出来ずに、眠りと覚醒を司っているのだとしたら、まだ影響力が低いから死を与えるまでは、行かないのかもしれない。


「睡眠と覚醒。眠らせるのが精一杯って事か?」

「じゃあいずれは、みんな起きるの?」


 エリカの推測通り、以前と同じならある一定に周期で眠りと覚醒を繰り返すはずだ。

 しかし問題があるとすれば、一つ。


「ただ、眠った連中が起きるとして、普通の気持ちいいお目覚めとは、思えねぇけどな」


 エリカと薫が戦った雪の女王の魔法の鏡のように、人を操る能力を持つワードもいる。

 ウロボロスも、自身の円環に捕えた人間を操作し、正太郎達を襲わせた事があった。

 眠らされた人間が覚醒した時、その覚醒もまたウロボロスの影響下によっておこる事象だ。

 前回同様、操られる事も考えられるし、他の影響が出ないとも限らない。


「どうなるの?」

「悪いなエリカ。断言は出来ねぇ」


 神話の解釈は、地球上に存在する人間の数だけ異なっていると言っていい。

 ウロボロスがどのような解釈から、どのように力を行使するのか、見当をつけるのは不可能だ。

 勿論、正太郎達に幸せを運んでこない事だけは間違いない。

 どうなるにせよ、彼等が目を覚ます前に、事を片付けるのが最良だ。


「急いでウロボロスを探すぞ。俺達は、グリムハンズだから抵抗力があるが、いつ眠らされるか分からねぇ」

「薫君も涼葉さんも索敵出来ないんだよ。でもどうやって探すの?」

「任せろ。大得意な知り合いがいる。前に話したな。ワードの気配を探知出来る使い手は、希少だって」

「うん。覚えてるよ」

「居るんだよ」


 この世界にたった一人だけ、確かに存在している。


「ピンポイントに、ワードの居場所を探れるグリムハンズが」


 正太郎は、左耳にヘッドセットを付けると、アリスと共に後方で待機しているコープランドへと電話を掛ける。

 一度目の呼び出し音が鳴り終わるより早く、通話が繋がった。


『正太郎か?』


 コープランドは、グリムハンズではない。彼が通話に出るという事は、遠方には、まだウロボロスの影響が出てない。

 どれほど広く見積もっても、前回、最初に現れた時同様、町一つ分を円環に飲み込むのが精々のようだ。


『アリスは?』


 そしてウロボロスを探し出す手段がグリムのグリムハンズ継承者。

 彼女なら世界に揺蕩う力にアクセスし、ウロボロスの気配を辿る事が出来るはずだ。


『今探知を始めてくれている。恐らくは北の……町の外れだな』

「現状は、死と再生じゃなく眠りと覚醒の状態です。抵抗力のない人間がウロボロスの影響下に入ると眠らされます。グリムハンズなら多少耐えられますが、何分持つか」

『撤退するか?』

『ダメ!』


 突如電話口で、アリスから悲鳴のように声が上がった。

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