三頁:滅びの足音

 二手に分かれての討伐作戦は、急きょ中止され、一行は全員で新しい現場を訪れる事にした。

 想定外が起きた以上、戦力を分散させるより、集中した方が堅実であるという正太郎の提案によるものだった。

 遺体が発見された下水道には、刑事である冴木と倉持、グリムハンズの代表として正太郎が行く。

 戦闘能力を考慮するならエリカやマリーが行くのが定石だが、


「なるべく子供達を危険な目に会わせたくない」


 と、冴木からの強い要望があった。

 そしてこれに正太郎と倉持も同意したのである。

 エリカは、少々不服そうであったが、冴木の提案というのが効いたのか、駄々をこねる事はしなかった。


「酷い匂いだな」


 正太郎は、右手のペンライトで下水道の天井を照らしながら、残った左手のハンカチで口元を覆っている。

 ワードを追って下水道に入るのは初めてではないが、この匂いに慣れる事はない。

 対する倉持と冴木は、臭いの方は我慢出来るらしく、これと言った臭気対策もせず、ライトで足元を流れる汚水を照らしていた。

 下水道は、数年前に作られたばかりの物であり、直径が約八メートルと二階建ての一軒家ぐらいなら収まってしまいそうである。

 遺体は汚水に浸かっていたらしいが、鑑識作業の終了と同時に外へ運び出されている。


「被害者は?」


 正太郎が尋ねると倉持は、メモ帳を取り出してライトで照らした。


「越前浩太三十七歳。会社員。既婚者。子供は二人。身元は、免許証で分かったそうだ。発見したのは、補修作業中だった水道局の職員だ」

「家族が居たのか。かわいそうに」


 暗闇の中で冴木が沈痛な表情を浮かべているのが微かに読み取れる。

 正太郎もあわれに思わないわけではない。

 しかし感情の矛先は、被害者への気遣いではなく、犯人ワードへの怒りに向いていた。


「死因は、後頭部を強く打った事による脳挫傷だっけ?」

「ああ。下水管の底に肉片が付着していたそうだ」

「じゃあここで殺されたのか。頭を打ち付けられて」

「だろうな。鑑識に調べてもらったが首に針を刺したような跡はなかった。死後一時間経過している」

「前の犯行から間がない。ハイペースだな」

「次が起きてもおかしくない」

「しかし――」


 正太郎と倉持の推理に、冴木が割り込んできた。


「マリー嬢ちゃんの教えてくれた、ならずものだっけ? あれとは、一致しない手口だな。ワードとは関係ないのかもしれんぞ」

「じゃあ冴木さんは、事故って思うのですか?」

「いや倉持、事故とも思えんさ。こんな場所を歩く理由がこの男にはないし、人間ならわざわざここじゃ殺さんよ」

「妙ではありますね。となるとこれは別のワードの仕業か?」


 倉持が意見を求めるように、ライトの光を正太郎の顔に向ける。


「被害者に接点がないし、同一とは言い難いかもな。つってもこの事件もワードの仕業なのは、間違いない」

「どうしてだ?」

「天井見てみろ」


 正太郎が天井を照らすと、そこには人間の足の倍ほどもある足跡と手の跡が残されていた。

 形状は、人間の物に似ているが、指の跡は、掌や足裏の倍ほどの長さがある。


「あそこに足跡付けられる生物は、ワードぐらいだろう」


 職業柄、非日常の光景を見慣れているはずなのに、冴木は言葉を失っている。

 一方でワードの存在を知って長い倉持は、平静さを保っており、足跡を訝しげに凝視した。


「同じ場所にワードが同時発生するなんて相当珍しいんじゃないか?」

「だから同じ種類と考えるのが妥当だろうな」

「とすると、マリーの推理が外れていたと?」

「多分な。俺も、これはと思ったけど、こうも物語から行動がずれるとな。ならずものと下水道に因果関係は、ねぇし」


 こちらの推理が外れていたのなら問題は、ワードがどの物語から発生したかだ。

 一人は、針で首を刺されて殺され、もう一人は、下水で頭を打ち付けられて、殺されている。

 被害者両名とも男性である以外に共通点はない。

 正体を判断するには、情報が曖昧すぎる。


「現状では、正体は分からないな。すまん、倉持」


 現在ある証拠での推理を断念した正太郎とは対照的に、


「如月さんよ。ワードってのは、一定の法則に沿って動くんだな?」


 冴木は、諦める素振りを微塵も見せなかった。

 ベテラン刑事故の真実に対する執着心からだろう。


「ええ。奴らの行動は、物語に縛られます」

「って事は、俺達は、気付いてないが、被害者同士に、何かしらの接点があるって事じゃないのか?」

「可能性は、もちろんありますが……」


 少なくとも正太郎には、男性である以外、二人の被害者に接点は見付けられない。

 単身者と既婚者。

 職業にも共通点はない。

 一見しただけでは気付けないような、小さな共通点か?

 これもワードの習性を考えると難しい。

 物語に行動が縛られる以上、被害者同士の繋がりは、相応に明確な物であるはずなのだ。


「大きな繋がりだとは思いますが。倉持、二人の接点って?」


 倉持は、ライトで照らしながらメモ帳をめくり、眉根を寄せて嘆息を吐いた。


「まだ遺体が見つかって間もないから、今後は分からんが、今のところ目ぼしいものは、見つかっていない。勤務先のホテルと商社も業務上の取引はないようだ」


 正太郎の直感では、被害者の共通点は、個人的な知り合いであったとか、仕事先が一緒だとか、そういう事ではない。

 恐らくは、二人を象徴する、もっと根源的な要素。

 そして被害者以外にも頭を悩ませるのは手口だ。


 ワードの行動は、物語に縛られるためワンパターンだ。

 灰かぶり猫のワードは、ゼゾッラが母親の首を折って殺した展開がワード化しているため、被害者は全て母親で、手口も首の骨を折るか捩じ切るかで共通している。

 桃太郎のお爺さんとお婆さんのワードが凶器に使ったのは鉈。

 シャーロック・ホームズの悪魔の足は、LSDによく似た成分の幻覚剤だ。


 ワードが人を殺す時に使う手段は、いずれも物語の象徴的な要素でもある。

 今回のワードの手口は、酒場の近くで首に針を刺して出血死させると、下水道で頭を打ち付けて殺すの二種類。

 刺殺と撲殺では、手口が違いすぎる。

 違う手口を同じワードが使っている事こそが重要なヒントになるはずだ。


「針に下水ね……この手口にも繋がりがあるはずなんだが……」


 解明出来ない謎ばかりが増えていく中、正太郎達がひとまず下水道から地上に出る事にした。

 悪臭の中では、回る頭も回らなくなる。

冴木・倉持・正太郎の順で下水道からマンホールを通って地上に出ると、エリカが一番に出迎えてくれた。


「どうだった先生? ていうか、くっさ」

「うるせぇ、慣れろ。間違いなくワードの仕業だ。ただ、ならずものがモチーフじゃねぇな」


 正太郎の結論を聞いたマリーは、叱られた子犬みたいに、しょげてしまった。


「ごめん正太郎。的外れだった……」


 正太郎がマリーに歩み寄り、慰めようとする。

 頭の一つも撫でてやれば、少しは気がまぎれるかもしれない。

 しかし正太郎が一歩踏み出すと、マリーは一歩下がり、二歩踏み出すと二歩下がった。

 一定の距離を保ち、それ以上近付かせてくれない。


「マリーさんよ……」

「ごめん正太郎。さすがにちょっと」


 慰めるつもりが、思いがけず刀を返され、袈裟切りにされた気分である。

 萎れそうになった心を奮い立たせ、正太郎は片頬を上げた。


「お前の推理には、説得力があったよ。それに引っかかりも感じる」

「引っ掛かりってなに?」

「うまく言えねぇんだけど、お前の推理が的外れじゃない気がするんだ」

「どういう事?」

「だからうまく言えねぇんだよ」


 マリーの予想は、当たらずとも、真実から遠くはないはず。

 正太郎が今まで読んできた物語の記憶、どこかに正体へ辿り着くための鍵があるはずだ。

 あと一つピースが嵌れば、思い出せる。

 もどかしさが正太郎を苛んだ。


「なにか引っかかるんだ。針と下水。刺殺と撲殺――」

「先生!」


 正太郎が記憶の奥底まで潜ろうとした瞬間、涼葉の声が上がり、正太郎の肩が跳ね上がった。


「なんだ……涼葉?」

「もしかしたら」


 何か思い当たったのだろう。

 涼葉は、思案に耽り始めた。

 正太郎の人物評では、童話研究会で一番頭が切れるのは、涼葉である。

 ベテラングリムハンズの経験値という要素を除けば、正太郎ですら叶わないと感じる事も少なくない。

 彼女の推理は、いつでも事件の芯の部分を突いてくる。


 このような反応を見せるのだから、何かしらある、そんな期待感を持たせてくれる。

 エリカ達、童話研究会の面々はもちろん、冴木と倉持も刑事の直感から涼葉が持つ天性の物を悟ったらしく口を噤んでいる。

 全員が沈黙し、涼葉の答えを待っていると、


「あの倉持刑事」


 涼葉は、不意に倉持を見やった。


「なんだい?」

「数日以内に、この近辺で爆発事故か、火災が起きてませんか?」

「爆発か、火災?」


 涼葉の考えが倉持は、もちろんの事、正太郎にも掴めなかった。

 しかし何かある、と思わせるだけの説得力が涼葉の気配が醸している。


「調べてみよう」


 倉持は、スマートフォンを取り出し、操作を始めると、


「あった」

「見せてください」


 涼葉が画面を覗き込み、表示されている内容を読み上げる。


「七時間前にレストランの厨房で爆発事故。一名が死亡。被害者の名前は、渡啓介。年齢は四十三歳。被害者の名前も渡、松葉、越前……やっぱり」

「涼葉さん?」


 エリカが声を掛けても涼葉は、推理に熱中しているのか、反応を返さない。


「これがどうかしたのかい?」

「涼葉の嬢ちゃんは、名前が今回のヤマと関係あると?」


 倉持と冴木の質問に、涼葉は、ようやく頷いた。


「さるかに合戦じゃないですか? モチーフになってるの。栗が囲炉裏に入って猿をやけどさせ、ハチが針で刺し、牛糞がこけさせ、臼が最後には猿を潰して殺す」


 涼葉の出した結論は、正太郎にとっても納得のいくものだった。

 レストランの爆発事故が爆ぜた栗。

 針による刺殺が蜂の針。

 下水道で後頭部を打って死亡は、牛糞が猿をこけさせる。

 被害者の共通点は、霊長類である事。

 つまりは猿と同じ霊長類である人間が、ワードにとって猿の象徴という事だろう。


「さすが涼葉だな。いい推理だぜ」


 正太郎の賛辞に、涼葉は、何故か釈然としない様を露わにした。


「いえ。違うんです」

「違う?」

「これが不思議なんですけど……渡・松葉・越前。これ全部、猿じゃなくて蟹を意味する言葉なんです」


 涼葉の推理に、エリカは、訝しげに首を傾げた。


「蟹? あの蟹」


 エリカが両手でハサミの形を作ると、涼葉は頷いた。


「そうよ。ワタリガニ。松葉ガニ。越前ガニってね」

「ほんとだ! でも猿を懲らしめるように頼むのは、蟹の方だよね? なんで蟹が猿を退治した方法で殺されるの?」


 エリカが正太郎に尋ねようと、視線を向けると、正太郎の頬を汗が一筋伝い落ちた。

 涼葉の疑問の答えを正太郎は、知っている。

 禍々しさも。

 危うさも。


悪役級ヴィランクラスワード・復讐型リベンジタイプ。物語の悪役が受けた苦痛を、主人公を象徴する者へ仕返しする特殊なワードだ」


 復讐型の発生例は、あまり多くない。

 正太郎も今までに一度しか討伐した経験はなかった。

 彼等の発生には、ある特殊な条件が必要となる。

 そしてこの条件が何より悍ましくも、危ういもの。


「じゃあ今回は、猿が受けた苦痛を、蟹を象徴する人に返してるって事?」


 何も知らないエリカは、正太郎の解説を言葉通りに受け取っている。

 正太郎も、敢えて補足はしなかった。

 出来る事なら今は、知らないままでいる方が幸せだろうから。

 正太郎は、一息ついて呼吸を整えてから続きを語った。


「それに引っかかりも分かった。さるかに合戦に類似した童話は、世界中で確認されている。有名どころは、ブレーメンの音楽隊。ならずものも、その類型に属するという説がある。原型が似てる話だから俺もマリーも勘違いしたんだ。でも涼葉の推理で正しい物語に辿り着く事が出来た」

「いえ。私は、別に。これぐらいしか出来ませんから」


 涼葉は謙遜し、正太郎の賛辞を素直に受け取ってくれない。

 理由は、正太郎にも分かっていた。

 涼葉は、自分が役立たずだと思っている。

 確かにグリムハンズ親指姫サンベリーナは、戦闘力こそ低い。

 部員の中で唯一ネクストページに覚醒してもいない。

 だが補って余りある才能を涼葉は持っている。


「お前は、誰よりも賢い頭と勇気を持ってるじゃねぇか」


 正太郎からしてみれば、涼葉の聡明さは羨望の的だ。

 彼女の半分でも賢ければ、あの時、間違う事はなかったのに――。


「自信持て。お前が居なくちゃ童話研究会は、回んねぇんだ。メンツを見てみろ。俺が抜けたらイノシシ女とヘタレ男とトリガーハッピーしか居ねぇんだぞ。誰が手綱持つんだよ」

「先生。けっこー前から、私のことバカにしてるよね?」

「僕は、ヘタレじゃないやい!」

「正太郎。私は狙った的は外さないけど、乱射はしない」


 生徒達から不平の声が上がったが、正太郎は怯まない。

 涼葉には、リーダーの素質がある。

 だからこそ自信を持っていてほしいのだ。


「でもお前等だって、涼葉が居ないと主に頭脳面で何も出来ないのは分かってんだろ?」

「それはまぁ、涼葉さんはすごいけどさ」

「僕も同意だけどさ」

「私も涼葉はすごいと思う」


 生徒達を導いて欲しいから。


「先生。みんな。ありがとう……ございます」


 大丈夫。

 涼葉ならきっと出来る。

 それを証明するためにも最後の臼による犠牲者が出る前にワードを叩き、食い止めなければならない。

 問題は、被害者となる人物の居場所だ。


「なぁ如月さんよ」


 この問題を提起したのは、冴木であった。


「蟹に関連する名前の人物を襲ってるとして、どうやって探す? 方法あるのか?」

「任せてください。俺の生徒は、優秀なんです。そうだろう亀城?」


 突如振られた事で、亀城は、戸惑いを露わにした。


「え? 僕?」

「今日活躍してないんだから、ちっとは気合見せろ。ヘタレの汚名返上だ。動物達に探索させてんだろ?」

「いや。それ僕の気合の問題かな?」


 薫が首を傾げた途端、左肩に一羽のカラスが舞い降り、耳元で囁くように二声鳴いた。


「本当に? ありがとう」


 薫の表情が臨戦態勢を整えていく。


「見つけた! ここから東に五百メートル」

「ワードか?」

「それだけじゃない! 誰かを追ってるって」

「行くぞ!」


 正太郎の掛け声とともにカラスが飛び立ち、全員でカラスの後を追って駆け出した。







「助けてくれ!!」


 若い男が悲鳴を上げながら暗い路地を走っている。

 混迷に任せて、足を回転させ、呼気と共に涎を流し、時折背後を見やっては、ビルの壁を蜘蛛のように這って追い縋る異形の姿に絶望した。

 一見すると猿であるそれは、身の丈三メートル近くもある、霞のように曖昧な像であった。


 頭頂部の頭蓋骨が割れており、動く度に瑞々しい脳しょうを零し、毛皮の半分が糞尿に塗れ、もう半分が焼け爛れている。

 身体中の至る部分に針で開けたような穴が開き、糸のように細い血が止めどなく溢れていた。

 針金のように細い腕は、巨大な臼を片手で軽々と抱えている。

 男性を狙い澄ます金色の眼は、月光を染みわたらせたような輝きであり、あらゆる死を寄せ集めて形にしたような容貌の中で、唯一美しい部位と言えた。


 男は、察していた。

 あの巨大な臼で自分を押し潰すつもりなのだろうと。

 生き残りたい。

 けれど互いの速力には、圧倒的な差が存在している。

 男が懸命に駆ける十歩を、猿は一飛びで詰めていた。

 そしてついに猿が男の頭上へ辿り着き、


「うわああああ!! 助けてくれ!!」


 異形の猿が臼を構えて落下してくる光景がスローモーションに映る。

 じわり、じわり、と死が近付いてくる。

 目前に迫った運命を回避する術は、男にはない。

 ここで全てが終わり。

 そんな男の覚悟を砕くように、閃光と銃声が迸った。


「なんだ!?」


 男が銃声のした方向を見やると、そこには対物ライフルを構える赤いマフラー姿のマリーと、正太郎達が居り、頭上に居たはずの猿は、男の背後で蹲っている。

 男は、正太郎に駆け寄ると、困惑をぶつけるように声を荒げた。


「なんなんだあいつ!」

「動物園のゴリラが逃げ出したんです」

「あれどう見てもゴリラじゃないんだけど!?」

「じゃあ……新種の猿」

「じゃあって何!?」

「とにかく早く行って。猛獣で危険です」


 正太郎が言うと同時に男は逃げ出そうとしたが、正太郎は、男性の腕を掴んで静止する。


「まだ何か!?」

「ちなみにお名前は?」

「蟹江ですけど……」

「ビンゴ。涼葉ちゃんやっぱ凄い」

「何の話?」

「こっちの話」

「は?」

「行っていいですよ」


 正太郎が手を離すと、男は戸惑いながらも、修羅場から去っていった。

 残されたワードは、蜜柑大の穴が開いた腹を抑えながら、マリーを睨み、黄色い牙を剥いている。


顕現けんげんせよ! さるかに合戦の猿!」


 正太郎が叫ぶと、ワードの姿がより鮮明となり、初めて見るワード顕現の瞬間に、冴木は、静かに驚嘆していた。


「これがワードか……」


 しかし、


「グリムハンズ! ネクストページ!」


 冴木に数拍の感慨を抱く暇すら与えず、エリカの繰り出した輝くガラス状の粒子がワードの頭上に振り撒かれ、


「灰かぶり《シンデレラ》!!」


 エリカの放ったマッチで灰に引火すると、灰は、爆発的に体積を膨張させ、巨大なガラス塊を形成し、ワードに降り注いだ。

 ワードの機動性なら、重力落下に任せただけのガラス塊は緩慢な蟹よりも遅い歩み。

 避けるのは、眠るよりも容易かった。

 しかしマリーから受けた対物ライフルの傷が、電光石火の機動力を奪っていた。

 立ち上がろうともがき、飛び退こうと身をくねらせる。

 しかしエリカの射程外に逃れる事は、ついに叶わなかった。

 成す術なくガラス塊に押し潰されたワードは、猿としての形を失い、揺蕩う力へと昇華していく。


「臼じゃないけど、最後は押し潰されて死ぬ。あんたには、これがお似合いね」


 ワードが黄色い光球へ変ずると共に、ガラス塊が砂のように崩れて、光に染められながら空へと昇っていく。

 その様は、重力という枷から放たれた雪の饗宴のようであった。

 けれど、幻想的な光景を見つめる正太郎とマリーの目に、感動はない。浮かぶのは、強大な存在への純粋な畏怖と憎悪だった。


「正太郎」

「ああ。復讐型まで出て来たとなると、いよいよだな」


 復讐型は、ある一定の条件が揃わなければ出現しない。

 悪役が受けた制裁を主役に返す、本来の物語ではありえない展開。

 物語という概念の根本が歪まなければ、発生し得ない。

 それは、ある災厄の兆候としてグリムハンズに畏れられている。

 復讐型の発生は、究極の体現が顕現する合図とされた。


神災級ドラゴンクラスの復活だね」

「ああ。それも奴は、この日本のどこかに居る」


 人にとっては神にも等しき、異形の王、神災級の目覚め。

 世界の終焉が幕を開けるのだ。

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