四頁:神災級

 エリカの眼前に二十センチほどの鏡の破片が迫ってきている。

 破片の向こう側には、朧のように透けておらず、赤黒い肉と埋め込まれた鏡の煌めき。顕現したワードの姿だ。

 虚を突かれた。

 避けられない。

 運命付けられたエリカの致命を拒むように、サンベリーナの背中が視界に割り込んでくる。

 彼女は、小さなその身体を盾に、鏡の破片を受け止め、


「涼葉さん!」


 胴を貫かれたサンベリーナは、血煙と化して消え失せた。

 涼葉とサンベリーナは、感覚を共有しており、痛覚も例外ではない。

 身体を串刺しにされる痛みは、最悪の場合、ショック死もあり得る。

 エリカを守るために、涼葉は、躊躇なく、死の危険を伴う苦痛を受け入れてくれた。


「この!!」


 想いは、無駄にしない。

 エリカが憤怒のままに放った炎は、獅子の鬣のように猛りながらワードを薙ぎ払った。

 一つの例外もなくワードを焼き尽くしてきた灰かぶり《シンデレラ》の炎の直撃。


 ――仕留めた。


 エリカの確信を嘲笑するかの如く、悪魔の鏡は、爆炎を涼風のように受け止めている。


「私の炎が効いてない!?」

「あいつは、悪魔の鏡だからだよ!!」

「薫君?」

「悪魔の持ってる鏡だから地獄の業火にすら耐えられるんだよ」

「だったら地獄よりも熱くしてやる!」


 もう一撃と、エリカが構えると、頭上から大量の放水が直撃し、手にしたマッチ箱を濡らした。


「マッチが!?」


 見上げると、そこにはスプリンクラーがある。

 エリカの放った炎に反応してしまったのだろう。

 エリカのグリムハンズ、灰かぶり《シンデレラ》の能力は、可燃性の灰を出す事。

 火種が無ければ着火出来ないし、これほど水気の多い場所では、着火出来ても火力は低減する。


 戦うための武器を奪われたエリカに、勝利を謳うかのようにワードは鳴くと、鏡の破片を三枚、エリカに飛ばして来る。

 けれどワードの攻撃が、エリカに届く事はなかった。

 正太郎のイバラが鏡を打ち落とし、続けて薫の血の犬がワードに食らい付いたのである。


「でかした亀城!」

「先生、決めてくれ!」

「任せろ!」


 赤黒いイバラは、知覚を許さぬ速攻でワードの身体を縛り上げると。急速に縮んで正太郎をワードの頭上へと運んだ。


「お前のあるべき姿ものがたりへ戻れ!」


 落下の慣性とグリムハンズの腕力によって振るわれた特殊警棒が、ワードの腐肉を切り裂き、鏡を打ち砕くと、異形は形を失い、水色の光球へと姿を変える。

 正太郎は、白紙の文庫本を開き、光球をページに収めつつ、書店の様子を窺った。

 ワードと洗脳された客が暴れたせいで、本棚は薙ぎ倒されており、床に散らばった本もエリカのグリムハンズで起動したスプリンクラーの水でぼろぼろに崩れている。


「片付いたのは良いが、派手にやっちまったな」

「どうしよう……」


 エリカの顔色は、雪の色が染みこんだように冷たかった。

 今回の惨事は、数百万円からの被害規模だ。

 とてもではないが高校生に弁償出来る金額ではない。


「エリカ、亀城。とりあえず俺達は逃げるぞ」

「え!? でも!」

「ここに居ても厄介な事にしかならねぇからな。監視カメラの方は、あとで何とかする。涼葉の事も心配だしな」


 この場を逃げた方が都合が良い事より、涼葉の様子が気がかりという点が勝って、エリカは、正太郎の提案を受け入れた。







 三人が書店から部室に帰ってくると、涼葉が濡らしたハンカチを顔に被せて椅子に腰かけていた。


「涼葉さん!」


 エリカの呼び声に、涼葉はハンカチを取ると破顔して、安息の息を漏らした。


「みんな無事だったんだ。よかった」

「涼葉さんは!?」

「大丈夫」


 涼葉は、腹を撫でながら苦笑した。


「貫かれた瞬間は痛かったけど、すぐにサンベリーナを消滅させたから」

「よかった……」


 涼葉が無事なら残る課題は、荒らしに荒らした書店の後始末だ。


「先生――」


 エリカが呼ぶも、答える声もなければ、正太郎の姿もない。

 薫は部室を出て、廊下を眺めてみるが、やはり正太郎は、何処にも居なかった。


「あれ? 一緒に帰って来たんだけどな」

「もしかして、一人で後始末に行ったのかな?」

「あれって、頭下げれば済むってもんでもないと思うんだけどなぁ……」

「そんなにひどい事になってるの? その本屋さん」

「うん。主に私のせいなんだけど……」


 自分のせいなのに、どうして一人で行ってしまうのだろう?

 正太郎が居てくれない事がエリカには、酷く寂しく思えた。







「今回は、派手にやったな」


 深更の頃、灰かぶり猫のワードが出没した上谷区の図書館に二人の男が居た。

 一人は、白髪に重苦しいひげを蓄えたスーツ姿の壮年の男であり、もう一人は如月正太郎である。


「なんとかなります?」


 反省していない風の正太郎だったが、男は小さな笑い声を零した。


「なんとかするのが仕事だ」

「助かります」


 正太郎が既に本が下ろされて空になった本棚を眺めていると、男は沈み込んだ声で言った。


「しかし……ワードの発生件数は増えるばかりだ。どうなってるんだかな」

「十年前に似てますね……」


 答える正太郎の声音には、強い悲しみと怒りの念が混ざっている。


「よしてくれよ正太郎。縁起でもない」

「案外と分からないですよ」

「じゃあお前は、信じているのか?」

「あの一匹で、もう二度とって事もないでしょう」

神災級ドラゴンクラスの再来か。もしもそうなったら――」

「俺が仕留めます」


 正太郎の宣言に、男が狼狽ろうばいする。


「またお前がやるのか? そこまでしなくても……」

「今度は上手くやります。十年前とは違う。犠牲を出さずに確実に」


 正太郎は、拳を握りしめると、肉の軋む音が夜半の漆黒に響いていく。

 男は、正太郎の肩を叩くと、灰かぶり猫討伐の際に破損し、ベニヤ板で簡易的に補修されたドアに向かった。


「すまん。配慮が欠けていた」

「いいんですよ。実際俺は……」

「言うな」


 男は正太郎の声を遮った。

 彼の心遣いに正太郎は自嘲を浮かべる。


「すいません。悪い癖でして」

「また連絡する」

「ええ。それじゃあまた徳永とくなが刑事部長」


 一人残された正太郎は、人差し指を噛み切り、イバラを作り出すと、


「俺は……」


 酷く恨めしげに眺め続けた。

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