三頁:復讐
復讐という単語が持つ意味は、よく知っている。
正太郎と出会い、灰かぶり猫のゼゾッラと相対する事で否応なく思い知らされた。
正太郎は、喧嘩という表現を使っているが、正確ではないと、エリカは察した。
恐らく、亀城薫の行動を諌めたが故の決別。
正太郎の倫理観において、子供であっても許せない事。
「誰に?」
「ワードにだ」
エリカもワードに復讐した。
半分は、自分の罪であるのに、まるで全てを押し付けるかのように。
それが正しかったのかは、今でも分からない。
七人の罪なき人々を殺した灰かぶり猫のゼゾッラを葬った事は、きっと正義なのだろう。
だが、火事でより多くの犠牲を出したエリカがゼゾッラに、その責任のいくらかを転嫁して、自分の心の重荷を下した事も事実だ。
「私もしたよ。ワードに復讐を」
「お前とは、ちっと事情が違う」
「何が違うの?」
正太郎は、語らなかった。
口を固く閉ざして、戸惑っている。
言いたくないというよりは、どんな言葉を選べばよいのか、迷っている風だ。
あまり見せた事のない表情は、新鮮だし、普段なら、もっと見てみたくて少し困らせてやろうとも思う。
けれど今は違う。
困らせたくないけど、聞きたい欲求が勝っていた。
「話してよ。こっちの事情には、ずかずか踏み込んできて、自分がそうなると壁作る訳?」
敢えてきつい言葉を選んだ。
そうした方が正太郎は、話してくれると思ったから。
多分自分が正太郎の立場なら誰かに背中を押してほしいから。
正太郎は、暫し思案に耽った。
しかしこれは時間稼ぎではないと察し、エリカは待つ事にした。
「あいつは……」
「うん」
だから頷く。
聞いているよと。
受け止めるよと。
「ワードに妹さんを殺されたんだ」
「殺された!?」
「妹さんが亡くなってる事自体、知らなかったのか?」
「うん。知らなかった……」
エリカは、初めてクラスメイトとの交流を遮断していた事を後悔した。
ここで今何を思おうと、たらればに過ぎないが、それでも考えてしまう。
「亀城君のご両親は?」
「健在だよ」
それだけが、せめてもの救いかもしれない。
家族の居ない寂しさは、並の孤独とは一線を画す。
選択する余地もなく一人を強いられる。
――けれど、だからこそ諦めの付く事もあるのかな?
家族が居るからこそ諦められないという事もあるかもしれない。
居るからこそ、より寂しく思うのかもしれない。
欠片すらなければ希望は抱かないが、欠片以外の全てが残っていたら、この上もなく、欠けてしまったものが愛おしいだろう。
この間まで隣に居たのに、この間まで一緒だったのに、と。
どちらが上や下という話ではない。
大切なものを失った悲しみは、万人にとって等しい。等しく人の心を壊していく。
割り切るには、きっかけが必要だ。
外野が復讐を願うな、等と正論を吐く方がよほど身勝手に思えた。
「それで亀城君は、原因となったワードを仕留めたの?」
「ああ。仕留めた」
仕留めたのなら何故拘る?
灰かぶり猫のワードと対峙して以降、エリカも迷いが消えたわけではないが、ある程度割り切る事は出来た。
それが、何故気持ちの整理を付けるどころか、何故正太郎との繋がるのか?
身勝手に動いたせいか?
または、正太郎の倫理観が復讐を拒絶するのか?
「仕留めたならなんで?」
「亀城の奴は、強制顕現させずに、強引にワードを倒しちまった」
ワードとは、どの物語の一節や言葉、単語であったかを正確に認識した上で、強制的に顕現させ、存在が不安定な状態で討伐する。
エリカも灰かぶり猫のゼゾッラを倒した際、そう説明されている。
強制的に顕現させるのは、ワードの力を弱体化させて倒しやすくするためだとエリカは認識していたが、どうやら違うらしい。
「顕現させずに倒すと、やばいの?」
「ワードを倒すって事は、形を得た揺蕩う力を形のない揺蕩う力に戻す事だ。でも戦う俺達が揺蕩う力をワードという形にしている単語や一節、物語を認知、認識していないと、完全には揺蕩う力に戻せない。お前も見た光球の状態に出来ねぇんだよ」
光球とは、灰かぶり猫のゼゾッラを倒した時、灰の中から現れた赤ん坊の拳大の白い光の球の事だ。
正太郎は、この光球を白紙の本に封印している。
そうしないとワードが復活してしまうとも言っていた。
「なんで倒しただけじゃ、光の球に出来ないの?」
「ワードを形作る根源が物語だからだ。その核の部分を認識しない限り、例えグリムハンズを用いても、ワードという存在の表層にしか干渉出来ない。雑草も根っこを抜かなきゃ何度も生えてくるだろ?」
「じゃあどんな物語から発生したワードか、突き止めた上で倒さないと、絶対に封印出来ないって事?」
「そうだ。ついでに一度倒されたワードは、学習する。もう倒されまいと、以前よりも力を増して蘇るんだ」
ワードという存在を読み解き、理解して破壊するからこそ、奴らをあるべき
闇雲に力を振るっても、何も解決しないし、事態を悪化させるだけ。
つまり亀城薫の選択は、終わらない永久の復讐。
憎悪の輪廻が生み出す結果が最良であるはずはない。
けれども亀城薫は、望んで修羅を歩み続けるのだろう。
亀城薫は、上谷区の北東の外れにある廃マンションを訪れていた。
取り壊しが始まっている事と殺人事件の現場という事で、周囲には規制線が厳重に貼られている。
付近は、再開発地区という事も手伝って、背の高い建物は殆どなく、人通りもない。
薫の頭上をカラスの群れが旋回しており、足元には、ブチや三毛の野良猫数匹がじゃれ付いていた。
主演級グリムハンズ・桃太郎。
薫の血液を経口摂取した犬、猿、雉を象徴する動物を半径二・五キロの範囲内で操作する事が可能なグリムハンズだ。
操れる対象は、厳密に犬猿雉という狭い範囲ではなく、犬はイヌ科の動物が所属する猫目。
猿は、人間を含めた霊長類。
雉に関しては、鳥類全般が対象となっている。
そのため薫は、この能力を使用する際、原典通りの犬猿雉ではなく、猫やカラスに対して使用し、彼等を操って情報を収集させていた。
動物は、人間より第六感覚に優れており、ワードの気配を本能的に感知出来る。
しかし人間のような物語と言う共通認識は持っていないため、気配を感じられても、ワードを正確に認知認識する事が出来ない。
故にワードの顕現を深めず、索敵が可能な薫の桃太郎は、世界的に見ても貴重なグリムハンズだ。
「よし。やっぱり僕を追ってきてるんだ」
しかし今回は、探すために使っているのではない。
敵の接近を確認するために能力を使用している。
「探すまでもない。向こうから来るんだ」
薫が誰へともなく呟くと、空中を旋回しているカラスの群れから一羽が薫の左肩に降り立った。
カラスが耳元でか細く一鳴きすると、薫の口元に笑みが灯る。
「ありがとう。もうお行き」
ここから先は死地となる。
動物達を巻き込めない。
猫もカラスの群れ、特に肩に止まっていたカラスは、一際名残惜しそうに薫の元を離れていく。
一番大切なものを理不尽に奪われたら、怒り狂うのが人の性だ。
『桃子! あそこで遊ぶのは、危ないって言ってるだろ!』
『怒鳴んなくてもいいじゃん!』
それすら失ってしまったら、きっと人ですらなくなり、血肉で象った人形に過ぎない。
『お兄ちゃんなんか、だいっきらい!!』
『僕も、お前みたいに言う事聞かない妹なんか大嫌いだ!』
亀城薫の身勝手で傲慢な復讐の時。
『怪我したって知らないからな! 勝手にしろ!』
誰にも頼らず、たった一人で――。
「桃子……」
果たした瞬間の、甘美を噛み締めればいい。
エリカは、薫のグリムハンズについて正太郎から聞かされ、朗らかに微笑していた。
「なんか、かわいい能力だね」
血という部分は、少々怖いし、解釈も広いが、やってる事は、絵本の桃太郎の通りだ。
わんこや鳥さん、お猿さん、それ以外の動物さんとも遊び放題。
動物好きなエリカにとっては、中々魅力的なグリムハンズである。
正直な感想をそのまま口にしたエリカに、正太郎は辟易として唇を歪ませた。
「人間も対象だって忘れてんだろ」
「でも亀城君って、利己的な目的で人間に使うって事だけはしないんでしょ?」
自分の欲望の為、人間を対象に能力を使えば、グリムハンズが主を見限るだろう。
何よりそんな人柄でないのは、正太郎の話から明らかだ。
「まぁな。問題は、索敵能力に差がありすぎて、こっちの裏をかくなんざ朝飯前な事だ」
「先回り難しいなら余計に仲直りしたほうがいいじゃん。連絡は取ってないわけ?」
「ここ一週間は、一方通行だよ。一応手は仕込んであって、家にいるのは確認済みだけどな」
その手とは?
エリカが訪ねようとした矢先、予鈴が鳴り響いた。
「とにかく教室に行くぞ。放課後になったら家まで行って、首に縄付けて、ここに連れてくる。お前の事も紹介したいしな」
気掛かりが晴れぬまま、エリカは正太郎と共に部室を後にして、一年C組の教室に向かったが、やはり薫は登校していなかった。
最前列の窓際の机は、主を失い、物憂げに見える。
「また亀城休みかよ」
「病気にでもなったのかな?」
「心配だねー」
クラスメイトの中でも、特に女子からは悲哀の声が上がっている。
エリカは、話題に参加する事なく、無言で自分の席に付いたが、正太郎は、生徒達には聞こえない声音で呟いた。
「また無断で休みか……やっぱ家に行っとくか」
正太郎が出席簿を教卓に置き、開こうとした瞬間、
カツン――。
コツン――。
教室の窓ガラスに固い音が響き亘った。
正太郎が見やると、窓ガラスの向こう側にカラスの姿がある。同じ高さを小さく旋回して飛んでおり、時折窓ガラスに近付いてくちばしで突いていた。
「カラス?」
エリカには理解出来なかった。
何故カラスがこんな所に居るのかも、どうしてこんな奇妙な飛び方をしているのかも。
しかし何者かの意図を感じる。カラスが自発的にする行動とは思えないからだ。
何か意味があると、エリカが確信に至ると同時に、正太郎は、教室を飛び出してしまった。
教室は、水を打ったように静まり返っている。
正太郎には、あのカラスの行動の意図が理解出来たのだ。
恐らくは、グリムハンズに関係する事。
学校に来ていない亀城薫。
グリムハンズ桃太郎。
そして自然では、ありえない行動をしているカラス。
エリカが机から飛ぶように立ち上がって、正太郎の後を追おうとすると、
「沙月さんどうしたの!?」
隣の席に座る女子生徒が引き留めてきた。
詳しく事情を説明する事も、言い訳を考えている時間もない。
「お腹痛いから早退する!! じゃあね!!」
口から出るに任せた言い訳を残し、エリカが走り出した。
「え!? めちゃくちゃ元気じゃん!!」
背後から上がる疑惑の声を無視して職員用の玄関口まで駆け降りると、ちょうど正太郎が靴を履きかえている現場だった。
「先生。私も行く」
「来るなって教師なら言う所なんだろうが、正直助かる」
正太郎の了解を得た所で二人は、駐車場に向かった。
そこには、真新しい青いセダンが停められており、正太郎が運転席に乗り込むのを待ってからエリカは、助手席に乗り込んだ。
「あのカラスって今朝の話と無関係じゃないよね?」
「あれは、亀城が良く使うお気に入りのカラスだ。特別賢い奴なのさ」
「じゃああれは、亀城君からのSOSって事でいいの?」
「違う。亀城は、一人でやろうとするはず。それを危険だと分かってるから俺を呼びに来たんだ」
「呼びに来たってどういう事ですか?」
「あのワードが発生したんだろうな」
「あのワード?」
エリカが問い返すと、正太郎に双眸に陰りが差し込んだ。
「俺が迂闊だったんだ。俺があの時もっとしっかり対処してれば、こんな事には――」
濃厚な後悔の気配。
ほんの数日前までエリカが浸っていた感情に、正太郎が囚われているように思えた。
正太郎は、逸る気持ちでアクセルを踏みながらエリカに事の経緯を語り始めた。
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