第7話 新しいプロジェクト

二〇一三年七月二十五日午前十時


「おはよう、仁部長。資料はもう完成してる?」

「飯塚部長、おはようございます! はい、資料は完成してますが今佐倉リーダーと最終確認中です」



 飯塚部長は東京支部コミュニケーション部門の部長を務めていて、入社した年は自分の方が上だが、年上でぼくにとっての頼りになる存在だ。

 他にもスポーツ部門の部長の近藤さん、東京支社長の安部さん。そして、同じ部署の佐倉さんを合わせて五名が今回のプロジェクト東京支社チームメンバーである。

 明日の社内会議時に配布予定の資料がようやく完成したので、佐倉さんと資料に誤字や脱字がないかどうか確認中である。


 今回の新プロジェクト『自立教育プログラム』は今まで自社で提供していたサービスの進化版である。自社だけに限らず世間一般で広まっているサービスのほとんどが誰かがいることで成り立つシステム。

 そのときは上手く回るけれど、現状が変わっていくと自分たちだけでは対応できなくなって、そうするとまた頼りたくなるという構図が出来上がる。

 

 もちろんサービスを提供する側としてはリピートしてもらえることはいいことだが、結局頼る側と頼られる側という依存関係がますます強くなるだけではないか?

 そうアニキに問いかけたのが丁度一年前の今頃である。そうしたら、アニキから思ってもみない台詞が返ってきた。


「なるほどね、確かにそれは一理あるかもしれへんな。じゃあ、もし仁くんならどういったサービスを提供していきたいん? もし案があるなら企画書を書いてもらえるかな?」


 そういってもらえて大興奮して作成した案が見事通って、しかもその企画が全社一斉に取り組む一大プロジェクトになるという話だ。

 さらに、その総責任者になぜか自分が大抜擢された。東京支社の中では確かに古株の方だが、本社や他の支社には自分の尊敬する先輩方がたくさんいたので、今でも嬉しい半面恐縮する思いもある。

 それでも、「任されたからには最高なものにしてみせます」とみんなの前で誓ったからには、有言実行してみせたいと思う。



「そうなんだ。じゃあ午後からの打ち合わせを楽しみにしてるね、仁部長」

「はい、午後一時に二階の会議室で行いますので、よろしくお願いします!」


 そう言って、飯塚部長は笑顔で他のフロアに向かっていった。


「仁さん、いよいよですね!」

「ああ、本当にいよいよだよ! まだスタートは明日だけど、まずは地盤であるここを固めないとね」

「はい、そうですね! じゃあ、確定した分だけ印刷してしまいますね」

「よろしくね、佐倉リーダー! 残りの部分はもうすぐでチェックが終わるから」


 資料の確認もほぼ終わって、あとは午後からの話し合いに挑むだけである。


「何事もなく終われば、昨夜のこともあるから今日のところは早めに帰ろうかな」

「えっ? 仁さん、昨夜何かあったんですか?」

「ううん、何もないよ! ただ連日遅かったら、今日くらい早く帰ろうかなって思っていたところだよ」

「そうですね~、私も全体会議の前に行こうと思っていた美容院になかなか行けなかったですし……」


 ボソッと呟いたところに彼女に痛いところを突かれ心臓が飛び出そうだった……が、なんとか言い訳でごまかせた、か。


「そうなの? じゃあ今日のところは定時で上がりなよ! 明日が本番だから、最高の状態で挑みたいからね!」

「本当ですか、仁さん! で、でも……会議資料が……」

「会議資料のことは大丈夫! もし修正があっても、自分が責任を持って対応するからさっ」

「承知いたしました。では、お言葉に甘えさせていただきます!」


 そう言ってまたハキハキと準備をし始めた佐倉さん。本当によく働いてくれる。佐倉さんも自分と同じようにアニキとの出逢いがキッカケで立志社に入社することに決めたんじゃないかという話を、安部支社長経由で聞いたことがある。




***


 実際に佐倉さんとは、立志社に入社してすぐにアニキと一緒に出張した先の会社で出逢った。その会社は元々社長のワンマン会社で、行動力のある社長のおかげで急成長した会社だ。

 その反面、後先考えずに次々に新しいことをやるので、ついていけない部下が続出。それでも、会社として成り立っているのは、秘書の佐倉さんが裏で頑張っていたからと言っても過言ではない。


「秘書の佐倉みなみと申します。以後よろしくお願いいたします」


 アニキが研修に入ってからは社長も変わっていき、ぼくが研修で同行したのはそんなときだった。

 元気一杯の佐倉さんとはなぜか初対面のときから気が合い、研修が終わってからもいろいろ話をした。


「仁さんは、アニキさんと一緒に働いているんですか?」

「(すごい綺麗な人だ)は、はい、そうですよ! つい最近転職したばかりでして……」


 き、緊張してきた。

 手に汗が滲んてきたのがわかる。


「そうだったんですね!? 前職は何をやられていたんですか?」

「えっと、IT企業でシステムエンジニアとしてソフトを作っていました」

「IT企業から教育業界に転身されたんですね! それでは……」

 そういえば、いきなり質問攻めにあっていたことも思い出した。


 それからは毎回研修には同行させてもらい、二回目以降からは徐々に講師として前に立たせてもらえるようになっていた。



「仁さん、お疲れ様です!」

「あ、佐倉さん。お疲れ様です! どうでしたか、本日の研修は?」

「すっごい良かったです! あんな風に社長が自然にみんなのことを褒めている光景なんてこれまで見たことなかったですし、何より社長がみんなの話を真剣に聴こうとしてるなんて、「明日嵐になるんじゃないか!?」ってみんな笑いながら噂しているくらいです(笑)」

「それは良かったです! 社長、良い笑顔をされるようになりましたしね~」


 毎回研修が終わった後、佐倉さんとこういった話ができることが楽しみになっていた。


「そう、そうなんです! あ、そういえば社長から言伝があります。『再来月に会社の創業記念旅行があるから、アニキと仁くんもご招待しますので是非ご参加ください』とのことです♪」

「本当ですか!? って、御社では社員旅行があるんですね!」

「いいえ~! 設立してから初めてですよ~。もうその話を社長から聴いたときはみんなビックリでしたもんっ。しかも、ハワイですよ!?」

「ハワイ!? またすごい社員旅行ですね! なんか招待していただけて嬉しい反面恐縮してしまいます。ちなみに再来月の何日になりますでしょうか?」

「えっと、十一月十三~十六日になります」

「三泊四日とは贅沢な社員旅行ですね!? え~っと……あっ!?」


 仁が急いで手帳を確認みると、その日には赤字で予定が入っていた。


「どうされたんですか、仁さん? 何か予定が入ってましたか?」

「は、はい。実は昨日正式に決まったのですが、再来月から新しく設立される東京支社に配属になりまして。本日はお世話になった皆さまへの挨拶も兼ねていたのです」


 そうなのだ。

 配属は再来月だが、引き継ぎ等も含めると自分が主になって研修に関わることができるのが、今日が最後…なのである。


「東京に!? 随分急ですね……もう大阪には戻ってこられないんですか?」


(うっ!? そんな顔されるとーー)


 本当に悲しそうな顔をして質問してくる佐倉を見て、仁まで悲しくなってきた。


「そうですね……元々新しく東京に支社を設立するから、その設立メンバーの一人としてアニキに誘ってもらったのが、今の会社に転職したキッカケでしたので」

「引き抜きだったんですね!? いいなぁ。私も引き抜いてもらえないかなぁ」

「佐倉さんの人柄だったら、絶対にアニキに気に入ってもらえると思いますよー! 東京支社の人数も足りてないみたいですし」


 少なくとも、佐倉さんはアニキに認められているだけではなく、仕事もできるし、器量もあるし、それに…綺麗だし。


「本当ですかぁ? もし入社したいって言ったら、仁さんも歓迎してくださいますか?」

「も、もちろん! というか、大歓迎ですよ。でも……この会社には佐倉さんが……」

「あははは、冗談ですよー。さすがに今離れられないと思います。でも、そうやって仁さんに誘ってもらえて嬉しいです」

「ですよねー。では、もしまた気が向いたらぼくかアニキにご連絡くださいね」


 そんなやりとりをしてから、一年後本当に東京支社に佐倉さんが入社したのにはさすがにビックリした。


「佐倉みなみです! 前職では社長秘書をしておりました。講師や営業をするのは初めてですが、どうぞよろしくお願いいたします!」




***


二〇一三年七月二十五日午後一時


「それでは、自立協育プログラムのキックオフミーティングを始めたいと思います。まずは主要メンバーをご紹介したいと思います。支社長の安部社長。コミュニケーション部門からは飯塚部長。スポーツ部門からは近藤部長。そして、人材育成部門からは佐倉リーダーと、私を含めた計五名になります」


 午後になりキックオフミーティングがスタートした。本会議が始まるのは明日からだが、その前に支社内で情報を共有しようという話になったが発端だった。


「では早速ですが、自立協育プログラムの概要について佐倉リーダーから説明してもらいます。佐倉リーダーよろしくお願いします」

「はい、では私の方からご説明させていただきます。まずプログラムは、第三段階に分けて実施されます。第一ステージは『共有』、第二ステージは『自己表現』、第三ステージは『協育』です。

 今まで重要視してきたのは主に第二ステージでしたが、このプログラムでは第一ステージがメインになります」

「佐倉リーダー、なぜ第一ステージがメインになるのでしょうか? 社員を教育するなら、従来通り第二ステージがメインにはならないのでしょうか?」

「近藤部長、確かに私たちが教育するという場合は第二ステージが重要になります。しかし、今回のプログラムの目的が『それぞれが自主的に成長し合える場を創ること』なので、私たちがいなくても成長していけるような流れにはなるように、最初から流れを一緒に組み立てていく予定です」


 そうこのプログラムの最大の利点は、自分たちで成長し合える場を創れることにある。誰かがいたらとか、何か便利なツールがあったらとかではなく、今ある環境を最大限活用することに重点を置くので、現状を自分たちで把握できる力を身につけることが最優先となる。

 ちなみに、第二・三ステージも今まで提供していたサービスを使う訳ではない。すべてが初めての試みになるので、他者様に提供するためにはまずは自社内での連携が急務となる。

 実際に立志社はここ四年で一気に急成長して、支社も東京以外に名古屋、福岡に設立したばかりなので、体制が整っているかというとそうとは言い切れない。

 今はアニキの力でなんとかなっているが、これ以上人や仕事が増えたりすると破綻しかねないのが現状だ。

『だからこそ、アニキはこの新プログラムを皮切りにして、社内体制を一つにまとめようとしているのだろう』

 と、昇進授与式で安部支社長から教えてもらったが、あながち間違ってはいないとぼくも思っている。


「第一ステージでは、まず同僚内のコミュニケーションがどれだけできているかを把握することから始めます。今まででしたら私たちがわかっていれば良かったのでこの段階を飛ばしていましたが、自分たちでなにが出来ていて、何が出来ていないと感じているのかを共有する習慣をつくっていきます」

「なるほどね~、それにはどのくらいの時間を取る予定なの?」

「今のところ三ヶ月を目安としています。しかし、会社の規模に応じては多少前後するかもしれません」

「確かにそうだろうね。辺見薬局さんは規模は小さいから一ヶ月で良い感じになっていったと聴いているしね」

「はい、その通りです。その一方で、光恵さん……いえ、光恵社長の会社では人がどんどん増えていっているので、まだまだ次の段階に移るには三ヶ月以上かかる見込みとなっています」

「まぁ、そういった微調整があることは契約前にしっかり相手様にも話しておかないとね。そのときの確認資料とかはできているのかな、仁くん?」

「はい! 近藤部長にチェックしていただいて昨日ようやく完成しましたが、夜遅くで支社長の確認までお願い出来ずに誠に申し訳ございません!」

「いいよいいよ、今朝すぐに見せてもらえたしね。本社や他の支社への前もっての共有もしたいから、重要資料はいつ頃提出できそうか今度から事前に教えてもらえるかな?」

「承知致しました、安部支社長! 以後気をつけます!」


 安部支社長は、光恵さんと同様に立志社の創立メンバーの一人である。アニキや光恵さんが前面で活躍しているのに対して、安部支社長は陰ながらバックアップしてくれる存在で、立志社にとってはなくてはならない大黒柱だ。

 東京支社設立の際にも、細かな仕事についてはほとんど安部支社長から直々に教えてもらえたおかげで、すぐにぼくも前線で仕事を任してもらえるようになったので、そういった意味ではアニキ以上にお世話になっている大恩人でもある。




***


二〇一三年七月二十五日午後三時


「……以上、第三ステージまでの一連の流れをご説明いたしましたが、何かご質問はございますか? 飯塚部長はいかがでしょうか?」

「うう~ん、資料自体は完璧かな。必要な資料は揃っているし、試験導入事例の件もしっかりまとめられているしね。あと気になるところといえば……」

「気になるところがありましたでしょうか?」

「なんだろう? 具体的にはないっていうところが問題かな。何か引っかかるところがあれば質問もできるんだけど、情報が多すぎて何から手をつけたらいいのかイメージがつきにくい感じがします」

「確かにそれはあるかも。でも……それは実際に動いてみないと誰もわからないところだから、今は手をつけられない問題って感じがしますね」

「なるほど、勉強になります! みなさんにご指摘していただいた箇所についてはこれから再度見直して、明日の全体会議には間に合わせるように致します。皆さまには定時前にお渡しできるかと思います」

「あれだけの量を今日中に!? さすが期待のホープの二人ですねー。では、明日を楽しみにしていますね、仁部長、佐倉リーダー」

「「はい! ありがとうございます、支社長!」」

「それでは仁部長、最後の締めの言葉をお願いします」

「はい! では、自立協育プログラムキックオフミーティングを終了致します。ありがとうございました!」



「仁部長、お疲れ様でした! 最初の会議にしては良い手応えでしたね!」

「ありがとう、佐倉リーダー。ふぅ、ようやく始まった感じかな~」


 終わって、席に着いたらすぐに佐倉さんがお茶を出してくれた。こういったすぐに気が回る人が近くにいてくれるだけで、かなり大助かりである。


「でも、仁さん。あれだけ修正点があったら、とてもじゃないですが定時には終わりそうもありませんが……」

「あぁ、その件ね。これくらいのことは想定していたから大丈夫だよ。だから、佐倉リーダーはちゃんと定時にあがってね!」

「……わかりました。では、明日の朝は早く来て、最終確認をさせていただきますね」

「そうしてもらえると助かるよ! じゃあ、早速資料の修正を始めよっか」

「はい!」


 とは言え、これだけの量を定時までに終わらせるのはちょ~っと無理かな。残業確定だな、こりゃあ。





***


二〇一三年七月二十五日午後一〇時


「やっぱりこの時間かぁ。なんとか資料の修正は完成したけど……結局すぐに帰れなかったなぁ。咲夜からは連絡が返ってこないし……」

「お~、仁くんお疲れ様! 資料の修正は終わったかな?」

「あっ、飯塚部長、近藤部長、安部支社長、お疲れ様です! たった今終わったところです」

「そうか、さすが仁くんだね! 今から三人で、中華料理屋にラーメンを食べに行くけど一緒に行くか?」

「ラーメン!? いいですね! 是非ご一緒させてください!」

「じゃあ先にいつもの店に向かってるから、帰る支度ができたら駆けつけてきてな」

「わかりました! すぐに帰り支度して向かいますね」


 まぁ家に帰ってもどうせ料理は作ってもらえてないと思うし、連絡がつかないし、ご飯食べていっても問題ないよな。



「「「「カンパ~~イ!」」」」


 このお店は夜遅くまでやっていて、ラーメンだけでなく餃子も美味しいから、会社のみんなでよく食べに行くオススメのお店の一つだ。


「それにしても、仁くんも若いのに本当にしっかりしてるよなぁ! 人あたりもいいし、仕事の手際もいいし、新しいプロジェクトも順調に進んでるしっ」

「そうそう、あそこまでまとまってるとは思わなかったよ! 二人だけでよくここまでやったよね!」

「ありがとうございます! それはみなさんがいつでもバックアップしてくださっていますし、何より佐倉さん……佐倉リーダーが五人分くらいの働きをしてくれていますから。彼女なしではこのプロジェクト始動にはもっと時間がかかっていたと思います」

「それもそうだけど……でも、彼女は君のためだから頑張れていると思うぞ」

「え、そんなわけないですよ~。彼女はこのプロジェクトに興味を持ってくれているだけだと思いますし……」

「あははは、まぁそういうことにしておくか」

「???」


 よく言っている意味がわからなかったが、みなさんから絶賛してもらえたことはもの凄く嬉しかった。


「それじゃあ、仁くん。また明日もよろしくね。」

「はい!」

「飯塚部長、近藤部長、安部支社長、ご飯に誘って下さりありがとうございました! お先に失礼します!」



 三人は二件目も行くということだったので、先に帰らせてもらうことにした。明日のために出来るだけゆっくり休んでおきたいし。

 でも、プロジェクトはまだ始動したばかりだけど、順調にいってるよな。大丈夫、上手くいってる。ボズが言っていたように自分と向き合う必要なんてなかったじゃん。きっと時間が解決してくれるだろう。時間が経ってプロジェクトも起動に乗れば必ず咲夜にもぼくの考えが理解されるはずだ。


 そんなことを思いながら帰宅したが、やっぱり咲夜は寝室にこもりっきりのようだ。テーブルになんのメモ書きも残ってないし。

 そのまま仕事部屋に向かったけれど、そこにはボズの姿も見当たらなかった。


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