第5話 法親王

 対面した若者は、親王とは思えぬ容貌ようぼうであった。

 意志の強そうな太い眉の下で瞳が強く輝いている。

 そのあらほうのような姿形に宿る魂は激しい衝動を抑えかねているようだった。


「楠木多聞兵衛と申したな」


「はい」


「その方、鎌倉の幕府をどう思う」


 随分と単刀直入なものいいだった。

 生まれの高貴さが生来の性格を野放しにしている。

 正成にはそんな感じに思えた。


「さて、それはどのような意味でございましょうか」


「なに」


「将軍を含めた鎌倉幕府そのものを論じればよろしいのですか。それとも執権職北条一門について、どう思っているかという事でございましょうか」


 正成はしっかと大塔宮の目を見据える。

 凛とした緊張が対面の間を支配していたが、やがて大塔宮のごうな笑い声がそれを破る。


「俺の聞き方が悪かった。改めて問い直そう。今の鎌倉幕府の現状をどう思う。このまま北条一門に実権を握らせ続けて民は幸せか」


「坂東の事は判りませぬが、少なくとも畿内の民は幸せとは言い難くありましょう。でなくば悪党などは生まれぬかと思います」


「では、その方も幕府は倒すべきと考えておるのだな」


 正成はそこで一呼吸、間を取った。


「残念ながら少々違いますな」


「ほう、幕府を倒す必要はない。と」


「下々の暮らしの中に身を置けば、日々の中には朝廷も幕府もない事が知れましょう」


「朝廷がないだと」


「お恐れながら、万民は帝の存在を知りはしても帝の尊さを知りません」


 それは紛れもない事実であった。

 日常的に貴人と接している都の人々や朝廷と馴染みの深い寺社、名のある御家人といった知識階級の者はともかく、地方で日々の暮らしを営む民にとっては天皇の高貴さなど推し量りようもない。

 当時の庶民にとっての朝廷とは、存在以上のものではなかったのである。

 大塔宮は腕を組みしばらく考えていたようだが、やがて続きを促す。


「しかし、幕府は倒すべきである。違うか」


「執権家北条一門の専横が民の幸せを奪っているのであって、幕府が民を不幸にしている訳ではございません。北条氏を討つ事で結果として幕府が倒れる事はあるかも知れませんが、倒れないかも知れません。何せ幕府とは本来征夷大将軍がものであり、北条氏はその執権職にあるに過ぎないのですから」


「しかし、父なる主上は御自らのご親政を望んでおられる。その為には討幕せねばならぬではないか」


 大義に殉じる決意をしている正成の、それは唯一といっていい憂い事であった。

 帝のご英邁なことは聞き知っている。

 しかし、英邁なだけでは政はうまく行かない。

 民が何を欲しているのかを知らなければ、間違った御決断をしないとも限らない。

 かといって帝が御自ら下々のもとを訪れる事などあろう筈もまたなかった。


「下々の為になるのであれば幕府があっても構わない。なければないでもまた、一向に構わない。それが正成の考えにございます。ご主上が、討幕せねば民に幸せが訪れない。とお考えなのであれば、正成はこれにご賛同致します」


「そうか。楠木正成の大義は、民の中にあると見える」


 それは、ずばり正成の核心を突いていたのかも知れない。

 官位の都合でたちばなすえを自称してはいるが、本当のところ正成自身怪しんでいる。

 そんな素性定かならぬ出自の楠木の血統故に、彼の胸の奥に宿っていた思想とも言える。

 この国の至高の存在としての天皇に忠するのではなく、その本質は万民の幸福の為に政を行おうという今上後醍醐天皇のお言葉を信じて、忠義する気になったのだろう。

 正成は自身でも気付かなかった心の内を言い当てられ、かえって正直に笑う事が出来た。


「その方の存念は判った。だが、俺はやはり幕府は倒さねばならぬ。そう思っている。幕府御家人は得宗北条高時を『鎌倉かまくら殿どの』と呼んでいるそうだ。それはつまり鎌倉の幕府は北条の幕府であると認識しているからではないか」


「かも知れませんな。私も北条高時殿が討たれれば、鎌倉の幕府は倒れるだろうと思っております」


「では、その方何故幕府は倒れぬかもしれん。などと言うた」


「あくまでも、可能性でございます」


「可能性とな」


「北条氏に代わる実力者が、幕府を引き継ぐ可能性もござりましょう」


「代わりになる実力者……な。誰がおる」


「さぁ……あくまでも、想像の事にござります故、そこまでは……」


 とは、正成の嘘である。

 鎌倉の様子まで手に取るように調べ上げている彼が、北条氏に代わり得る人物に目星を付けていない筈がない。

 武士の間には「平氏世を乱る時は源家これを鎮め、源氏かみおかす日は平家これを治む」という説が信じられている。とすればと調べてみると、主な所でも下野しもつけ足利あしかがまたろう高氏たかうじ(後の足利尊氏たかうじ)を筆頭に上野こうずけ新田にったろう義貞よしさだ近江おうみには婆娑羅バサラ大名として有名な佐々木ささきどう高氏たかうじといった源氏傍系の名が出てきた。

 おそらくそれぞれが「我こそは源氏の嫡流ちゃくりゅう。いつの日か、平家北条氏に代わって」と日々を忍んでいよう。


「ときに楠木殿」


 と、大塔宮は正成を呼んだ。


内裏だいりでは廷臣どもが戦を算術で計っておるのだが、これをどう思う」


「算術とは」


「幕府が御家人に指図して動員できる兵が三十万騎。うち、誰それを宮方に誘えば何千が鎌倉方から消え、主上おかみの兵となる。だから誰それのもとへりんつかわせ……などというのがそれだ」


 正成は苦笑するしかない。


「俺はここで僧兵と共にある。兵には一人で十人力の者もあれば戦う前に逃げ出すような者もいる。それを算術で見極められるものとは到底思えぬのだ」


 正成はしばし沈思した後、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「算術で、勝ち負けを導き出せない訳でもございません」


「何、出来るのか」


「始めから十人力の兵がいると知れておれば、十と数えられましょう。十人の中に一人おる事が知れておれば、十九と数えておくのです」


「なるほど」


「しかし、その者も常に十人力とは言えぬでしょうな。腹も下せば怪我もする。さて、腹を下している時が何人力で、怪我をしている時は何人力になりましょうか」


「なんだ。結局は算術では計れんではないか」


「法親王様」


 と、今度は正成の方から話しかける。


「ご主上は本当に、倒幕を実行するおつもりなのでしょうか」


「する。それも近いうちと見ている。両統迭立の約では、十年毎に天皇を替えねばならない。君は一系であるべきだと、主上はそう思うておられる。そして政を敬愛する醍醐、村上帝の御代みよを範として親政を行おうというお心積もり。となれば、残り少なき在位の内に何としてもとお考えであろう事が知れると言うものだ」


 正成はこれを最後に河内に腰を落ち着けた。

 決起の準備の為である。

 彼は散所を利用しての流通、通商に一層の力を傾け、河内以外の地域と地域の流通に手を伸ばしていた。

 これにはこの時代に芽吹きつつあった商人階級の先駆者としての側面が多分にある。

 しかし、それ以上に楠木領内の余剰生産のすべてを来るべき戦の備えにするという戦略意図を持っていた。

 船や牛馬を使って集められるのは物品ばかりとは限らない。

 重要な情報もかえって探るよりも早く得られるという事があった。

みかどほん」の報せも第一報は散所からもたらされたものだった。

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