第3話 帝と幕府と悪党と

 正成はまた動き出す。

 むろん、その間も情報だけは細かく集めている。

 情報収集は「悪党として生きる基礎である」と、正成は思っている。

 悪党は、権力そのものに対して逆らっているのではない。

 土地に根を張り田畑を耕す百姓。

 その百姓が土地を守る為に武器を取り生まれた武士とは、生い立ちが違うのだ。

 悪党は散所の民の代表のようなものである。

 もちろん名主をかしらにした悪党もいるが、少なくとも楠木は百姓を支配する悪党ではない。

 確かに土地を支配し正成自ら田を耕しはするが、収穫したものを流通させ商う事で活計たつきが成り立っている。

 だから生産物を有無を言わせずこそぎ奪って行く者に逆らうのだ。

 流通させる物、売る物がなくては商いが出来ない。

 楠木は結果として権力に逆らうのである。

 流通させられるだけの生産物を、売れるだけの生産物を取り残してくれるであれば、あえて権力に逆らう悪党もいないだろう。

 そこが悪党と野盗の違いだと、正成は思ってきた。

 権力に逆らうという事は、権力と争うという事にもなる。

 河内では有力な豪族となった楠木ではあるが、鎌倉幕府と真っ向から争える程の武力がある訳でもない。

 そこで悪党はより多くの情報を手に入れる事でその情報を有効に利用し、幕府と直接ぶつかる事を避けて来たのである。

 これまでに集めた情報を基に正成なりに整理すると、鎌倉では得宗高時が相変わらず退廃的たいはいてきな日常を過ごし、政務も滞りがちのようである。

 正中の変の折りの沙汰も、高時が宮方と事を構えるのを嫌って穏便に済ませた節がある。

 その一方で、みかどは倒幕をお諦めになられたご様子がない。

 今、皇室はみょういんとうだいかくとうという両統が、十年ごとに皇位を継ぐというお約束になっている。

 もとをただせばただの家督相続の争いなのだが、事は万世一系とされる皇室の問題である。

 世の乱れを心配した時の執権北条時宗ときむねが提案したのが「文保ぶんぽうの和談」と呼ばれるこの両統迭立てつりつである。

 制度として無理のある事も次第に明らかになっては来ていたが、今上の帝はこのやくじょうが北条氏の介入によって作られたという事が気に入らないご様子で、為に倒幕をお考えになられているという側面も見て取れる。

 しかし、既に万民の為にならなくなっている幕府よりは、朝廷の掲げるご新政に賭ける方がいくらかよい。

 まして、帝を奉ずるのは大義中の大義である。

 それに今上の帝のご親政を見ると、民の為をお考えであるようだ。

 旱魃かんばつの際には困窮者に穀物を分配したというので下々の者に慕われてもいる。

 やはり民草の為に私心を捨てて尽くすに足るのは、今上の帝をおいて他にはなさそうである。

 正成の本質は、優れた為政者である。

 万民がいかに平穏に日々を過ごせるかを考えて行動していた。


 元弘げんこう元年に彗星の如く現れ、わずか六年という短い歳月で後の世に中国の名軍師諸葛しょかつりょう孔明こうめいと並び称され、軍神ともあがめられるような人物の前半生が、なぜこれほど謎に包まれているのか。

 これは勝手な推察だが、一つには律令制の崩壊と職業の多様化、散人などの流動によって住人の把握が出来なかった時代性があろう。

 都に比較的近い地理ではあっても、当時の河内はひらけた地ではない。

 よくな河内平野はあくまでも荘園領地であり、穀物生産地である。

 そんな地域では父母の名でさえ不確かな出自の土豪などなかなか文献に名をとどめる事は難しかろう。

 しかし、当時の近畿地方は「悪党」の横行する騒がしい地域でもあった。

 本拠地赤坂は辰砂しんしゃ(硫化水銀を含む鉱物)の採れる利権地であり、楠木氏とて争いに巻き込まれた事は一度や二度ではあるまい(因みに古来よりと呼ばれ、朱色の顔料として利用されたり、朱砂しゅしゃたんなどと呼んで漢方薬として用いられる。もちろん精製して水銀も作られた)。

 実際、数少ない文献には幕府の命を受けていくつかの豪族を討っていると言う記述がある。

 また自らすすんで悪党働きもしたであろう。

 事においてだいの軍略家楠木正成が活躍しない訳がない。

 でなくば多聞兵衛の官位などさずかりようもなく、宮方から声の掛かりようもないというものだ。

 そんな楠木の名が、良きにつけ悪しきにつけ文献になかなかあらわれないというのはまことに不思議としか言いようがない。

 おそらく正成は、細心の注意を払って出来得る限り目立たない努力をしたのではないだろうか。

 戦に及んでは抜群の功をあえて立てず。

 また決して大敗もない。

 領地経営では目立った行動を取らずにひたすら民の中にいるというような。

 そのような中で地力を養い、気付いたら勢力が拡がっていた。

 他所からはそんな風に見えるような細心の経営。

 正成なら出来そうに思えるのだ。

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