第四節

「僕は、お師匠様の代わりとして、教会を守る義務があります! だから、絶対にここを守り切ろうと! ……でも、この教会は一村の小さな教会で、お金もなくて、お師匠様は人脈に優れていますが、僕には頼れる人もなく……もう、ここを追い出されるのは時間の問題で……」

 クリスはまたもじもじとし、うつむき、背中を丸め、徐々に小さくなっていった。

「情けない!」

 ルシェルファウストは「チィッ!」と強く舌を打つと、さきほどからしきりに揺すっていた足を、一度だけ力任せに踏み締めた。床を叩くその音に、クリスは、びくりと激しく肩を揺らした。

「で?」

 ルシェルファウストはにこやかな顔をし、その顔を近づけながら問いかける。

「そっ、それで、どうすればいいかずっと考えていて、とにかく、まずはお金を作らなければいけないと考えたんです! 誰かに助けてもらおうと思って。弁護士さんとか……。でも、うちは貧乏で、裏にある畑で栽培した野菜とか、村の方々からお布施として頂いたものを使って自炊し、とりあえず、明日か明後日の食べ物ぐらいはなんとかなっているんですが、お金は全然なくて……野菜を売ることで得た微々たる貯蓄はあるんですが、それも本当に微々たるもので……それで、何かお金に換えられないかと、教会にあるものを物色していたんです。ここはかなり古い教会で、話では何百年も前からあったらしく、もしかしたら、何かあるかも、と思ったんです。それでいろいろ探していたら、偶然地下室を見つけたんです! 地下室は元からあったんですが、それとは違う所に。僕も知らない地下室だったんです。そこは小さな部屋で、ほとんど何もなかったんですが、中央に台座があって、その上にこれが――」

 クリスはいままでずっと抱えていた一冊の本を差し出した。分厚い真っ黒な背表紙の本。その背表紙には金色の文字が浮いている。

「本だと?」

 ホコリにまみれた汚そうな本だと、ルシェルファウストはチラリとその本を一瞥した。触りたくもないし、近づきたくもないようだ。しかし、その本をしっかり目にした途端、彼の両目が急にパカッと見開いた。二度見している。

「ほ、ほう、金糸が使われているな。確かに、価値のありそうなものだ」

 ルシェルファウストはどこか冷めたような表情と目でその本を見つめ、顎に手をやり、軽く頷いてみせた。一見平然としている彼だが、その目は激しく泳ぎ、その手は小刻みに震えていた。たらりと汗も浮かべている。

(まっ、まさか、本物か!? いや、しかし、あれはまさしく黒の書! 黒魔術の真髄が記されているという幻の書……! もはや贋作ばかりだというこのご時世、よもやこんな所で目にするとは……!)

 ルシェルファウストの内心はいま、激しく揺れ動いていた。

「見たところ、とても古そうな本なので、きっとお金になるだろうと思いました。これを売れば助けを呼べるかと思って持ち出しました。本当はお師匠様にお伺いを立てなければいけないのですが、いまは余計な心配をさせたくはないので控えました。悪いことですよね……でも、これも教会を守るため。そのためなら、僕は罪を背負います!」

 クリスは本と同じくずっと手にしていた例の缶を足下に置くと、本を両手に持ち直し、表紙を開けた。

「本当はすぐに売らなければいけないのですが、この本にどんなことが書かれてあるのか気になって好奇心に負けてしまい、軽く目を通してみたんです。すると、なんだか不思議なことばかりが書かれてあって……最初は読めない文字だったのに、気づけば読めるようになっていて。こんなに分厚い本なのに、あっという間に本の内容が頭に入ったり。内容も不思議でしたが、それ以前に、不思議なことが起こって……」

 クリスは、一枚、また一枚とページをめくりながら、そう答える。その時、彼の目には見えていないものが、ルシェルファウストの目にはしっかりと見えていた。

 クリスが表紙を開けたその瞬間から、本の中からは大量の黒煙が溢れ出し、開かれたページはなんとも禍々しい光を放っていた。その禍々しい光に導かれるように、記されてある古代の文字がひとりでに浮かび上がり、彼の周りをゆっくりと飛び交っている。

「ふっ、ふーん……」

 ルシェルファウストは何気ない言葉を返す。

(間違いない! あれは黒の書だ!)

 ルシェルファウストは、いま、ハッキリと確信を得た。

「本に書かれてあることの中に、“願いを叶える方法”という項目がありました。どうしてそれを試してみようと思ったのかは僕にもわからないんですが、なんだか、導かれているような気がして、それで……」

 クリスはそっと本を閉じた。すると、溢れ出していた黒煙も、禍々しい光も、そして、宙を舞っていた文字も消えてしまった。

「それで試してみたと? 藁にも縋る思いって奴か?」

「はい。もしかしたら、なんとかなるかもしれないと思って」

 クリスは本を抱き、期待と不安の入り混じった複雑な表情で、真っ直ぐにルシェルファウストを見つめた。すると、彼は、途端にがっくりと肩を落とした。

「ハァ~……」

 ルシェルファウストは深く、そして、大きな溜め息を吐いた。

「だからといって、本当に悪魔を召喚するか……? おまえは聖職者なのだろう? それなのに……おまえには常識というものがまるでない」

 ルシェルファウストは呆れてうなだれてしまった。その表情には哀れみも混じっている。

「す、すみません……」

 ルシェルファウストの言葉に、クリスは軽く落ち込んでしまった。うつむいた顔のその目にはまたも涙が……。

「だあもう、いちいち目を潤ませるな! 気色の悪い! 召喚してしまったものはしょうがないだろう! 別に構わん! 俺様にとっては、相手が誰だろうと関係はない。客は客、契約は契約だ! そんなことをいちいち気にしたりはせん! ――それで、おまえはどうしてほしいんだ? その地上げ屋たちを亡き者にでもすればいいのか?」

 ルシェルファウストは苛立って言葉を荒らげた。すると、クリスの表情が一変する。

「そんな! なっ、亡き者にするだなんて……!?」

 クリスは血相を変えた。

「ぼっ、僕はただ、彼らを説得していただけないかと思って……それに、どんなに罪深き者でも人間です! きっと、話せばわかっていただけるはず! そうですよ! 皆、主の子なのですから……!」

 クリスは慌ててそう答えると、急に胸の前で十字を切り、首から下げてあった十字架を握り締めたまま両手指を組み、祈るようなポーズを取った。

「……」

 ルシェルファウストは仰け反った。全身に鳥肌が立ち、虫唾が走るような感覚を覚えた彼は、しきりに身体をさすっている。

「ええい、うっとうしい……」

 ルシェルファウストは顔を顰め、眉間にシワを作り、あまりにも純粋で、ひどく要領の悪いクリスを、なんとも怪訝そうな顔で見やった。

「まあ、それが契約者の申し出なら、こちらとしては従わざるを得んのだがな。それで、その地上げ屋たちを説得するとして、おまえはその代償として何を支払うんだ?」

「代償……ですか?」

 クリスは小首を傾げた。

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