第一夜

蛍火

 私の友人に、結城ゆうき上代じょうだい(仮名)という男がいる。

 いわゆる視える人であるが、本人はあまり、それを公言したがらない。

 といっても、それは公然の秘密というやつで、彼に関係する人間は、多くのものがその事実を知っている。

 彼は、すこし偏屈なところがあるというか、うがった見方をすることがおおい。

 例えばそれは、海を訪ねたとある日に、顕著に表れていた。


 オカルトコミュの打ち上げ、あるいは二次会、あるいは単なる暇つぶしとして、私たちはその日、近くの海岸を訪れていた。

 主催者であるCさん(仮名)は、車を運転する必要がないものだから、すでに結構な量のアルコールを摂取していた。

 運転手以外のものは、ほとんどそうだった。

 オカコミュなんて言っているが、ようするに好きな話題で盛り上がり、酒を飲みたいというよくある集合に過ぎない。

 例外的に、あまりお酒に強くない私だけが、ちびちびとウメサワーを舐めながら、夜の海を眺めている。


 今回の話題は、この海に鬼火が出るというものだった。


「火というけれど、蛍火のようなものらしくってね、蛍光色のそれが、海面スレスレを走っていくんだというんだよ」


 Cさんはそんなことを言って、缶チューハイをあおる。


「結構な数の目撃例があってね、特にこの季節は多い。初夏というか、梅雨の前というか、6月ごろが全盛期だって話だけど」

「そんな特産物みたいな言い方、しなくとも……」


 私が微妙な表情で苦言を呈すると、彼女は楽しそうに笑った。


「実際特産物みたいなものだろう? やっぱりさ、わたしが探すんじゃないんだよなぁ、怪異のほうが寄ってくる」

「はぁ、そうですか」


 何十回と聞いた彼女のそんなセリフに、特にいうべき言葉が思い浮かばなかった私は、毒にも薬にもならない応対をして、またウメサワーを口にする。

 どこからか、ぷーんと、硝煙のにおいが鼻元へ届いた。

 みやれば、だいぶ遠い場所で、メンバーの何人かが花火を始めていた。

 花火だけには困らない県だ、どうせ誰かが遊びで持ち寄ってきていたのだろう。

 そこで、ふと私は思いついたことがあった。

 それを、Cさんに言ってみる。


「鬼火の正体って、花火なのでは?」

「えー、君がそういう夢のない話をするー?」


 夢がないもなにも、オカコミュでのスタンスは自由であった。

 オカルトを肯定してもいいし、否定してもいい。

 科学で分析してもいいし、意図的に現象を無視して陰謀論をでっち上げたってかまわない。

 そんな自由気ままなコミュニティーだからこそ、私も長居をしているのである。

 とはいえ、確かに面白味のない発言だったと後悔していると、背後に気配を覚えた。

 振り向くと、がっしりとした体形の、鬼太郎のような髪型の男が、体を小さく折りたたんで、私たちの横に腰を下ろすところだった。

 結城上代。

 その手には、コーラアップと発泡酒が握られている。


「C……追加だ」

「お、悪いねー、上代くん。どっちももらっていくよーん」


 節操なくお酒の飲み比べを始める、自由気ままなCさん。

 その姿を見つめながら、ぽつりと、結城がつぶやいた。


「花火では……ない」


 うん? と、私は首をかしげ、彼のほうを向いた。

 その瞳は、夜の海をまっすぐに見つめている。


「20年ほど前の、古い話だ……」


 彼は、静かに語り始めた。


「ありふれた……そうだ、ありふれた話だ……ある男女が恋仲に、なった。だけれど、周囲の理解は得られなかった。ふたりは結婚を望み、将来を誓ったが、しかし、それは認められなかった」

「自分たちの意見が最重要だよ、周囲なんて無視すればいい」


 Cさんは赤い顔でそんなことを言う。

 目がすでに据わっており、どうやらかなり酔いが回っている様子だった。

 結城は応じ、続ける。


「針のむしろの中で生きていくのは……つらい。常人ならば、なおさらに。だからふたりは、逃げることを選んだ」

「逃避行! それは素敵だ! 大好きだ! それで、どこへ逃げたんだい?」

「死の国に」


 結城の言葉が、その場に沈黙をもたらした。

 楽しそうに聞き身を立てていた者たちが、一斉に息をのむ。

 潮騒の音、遠くで花火を楽しむ者たちの歓声だけが、響いている。

 こわばった表情のCさんに視線を向け、彼は、静かに続けた。


「心中。安易な選択肢であると、本人たちが、一番よく……理解していた。それでも、彼らは選んだ。冷たい夜の海に、ゆっくりと足を浸す。靴の中にしみこんできた海水が、やがて生ぬるくなる──」


 絡みつく海原の一部。

 寄せては返す波に誘われようにして、ふたりはゆっくりと海の中へと沈んでいく。

 固く抱き合って、お互いを二度とは離れないよう、ロープで縛り。

 おもりを抱いて、そして沈んでいく。


「それ以来……この海では鬼火が見えるようなったという。ちょうどこのくらいに季節に……ふたつの鬼火が……絡み合うさまが」

「ヒッ」


 結城の物語に聞き入っているところで、誰かが、悲鳴を上げた。

 はっと視線を海へ向ければ、そこを流星のように走るふたつの明るい光があった。

 それは絡み合うような螺旋を描いて飛翔し、やがて夜陰のなかに消えた。

 その場にいた全員が、言葉を失っていた。


「花火さ……ただの、花火」


 やがて、結城がそう言った。

 呪縛が解けたように、私たちは安堵の息を吐く。

 固く詰まっていたのどを潤そうと、アルミ缶を傾けようとした私の耳元で。

 ぼそりと、彼がつぶやいた。


「本物は、消えることもなく……苦しんでいるから」


 彼はまっすぐに、暗い海の、その底を見つめていた。

 私は。

 海中で苦しげに身をよじる、ふたつの蛍火を、幻視した。



 第一夜 蛍火

 今宵はここまで──

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