第13話 服従の姿勢

「ずっとここにいなさい」

 神の加護を失ってもなお生きるつもりがあるならば、不道徳を為してでも、佳也子を押し潰さねばならない。

「この部屋に鍵をかけましょう。外からかけられる鍵を。貴方が私の許し無しに外へ出されないよう私が廊下からこの部屋に鍵をかけてあげるの。鍵は貴方がずっとしていたように私も鎖をつけて首からさげるわ。私の首を切り取って外さない限り誰にも鍵を奪えないようにする。そうしたら貴方は恐ろしい下界へ出なくても済むでしょう。誰も私から貴方を奪えないようにするのよ」

 佳也子の白い干からびたような手が、祐の胸に触れた。

「何をするのでも私に声をかけるように仕向けましょう。私が貴方を管理してあげる。私が貴方を養ってあげる。私が貴方を守ってあげる」

「どうしてそこまでするんだ?」

「貴方を買い取ったのは私なのですもの。私が最後まで責任をもってきちんと見てあげなければ」

 ブラウスの上から佳也子の腕をつかんだ。佳也子の華奢な橈骨が軋んだのを感じた。

 佳也子が初めて顔をしかめた。

 祐は知らず口元に笑みを浮かべていた。

 佳也子が痛みを感じている。

 自分も佳也子に痛みを与えることができる。

 ブラウスの襟首をつかんで引いた。

 佳也子が「ひっ」と喉を詰まらせた。

「お前らが欲しいのは野秋家を存続させるための子供だろ」

 佳也子の黒い瞳が大きく開かれた。

 動揺している。

 可笑しかった。

「必要なのは俺じゃないんだ野秋家の跡取りなんだ代わりがいないから俺にこだわってるんだそうだろ」

「た、たす――」

 佳也子の襟首をつかんで佳也子の身体を自分の身体のすぐ傍まで引きずった。佳也子は短く喉を鳴らしただけで言葉らしい言葉を発さなかった。

「そこまで言うなら相手をしてやる」

 自分の中の昂りを感じる。

 自分を支配していた佳也子を征服する。

 どうしてもっと早くこうしなかったのだろう――そう思うほどには気分が良い。

 簡単なことだった。

 佳也子は今までに触れた誰よりも軽かった。

 襟首を離さず、身体だけを突き飛ばしてベッドの上に放り出した。ブラウスの裂ける音がした。佳也子の身体がベッドの上に転がった。

「お前さ、子供の作り方って知ってる?」

 佳也子はベッドの上で上半身を跳ね起こし手首だけで這いずってベッドの端へ逃れようとした。

 佳也子の長い髪をつかんだ。

 佳也子はやはり喉を詰まらせたような短い音を発しただけで声らしい声を出すことはなかった。

 長い髪を手元に手繰り寄せた。弱い髪は千切れるように抜けた。手の平に残った。手首を振って手の平に張り付く髪を除けようとした。気持ちが悪い。

 ベッドの上で両手両足をついている佳也子が、這いつくばっているように見えた。

 それは服従の姿勢だ。

 自分の上に君臨し続けていた佳也子が、自分へ服従の姿勢を見せている。

 快感だ。

「とっとと済ませてやるよ」

 顔を上げた佳也子と目が合った。

 その目が何を訴えているのか祐は汲み取ろうとしなかった。

 佳也子は三年もの間汲み取ろうとしなかったのに、何ゆえ自分が汲み取ってやらねばならないのか。

 押し潰せ。

「そうすれば俺は解放されるんだろ」

 こんなに容易いことだとは思ってもみなかった。

 佳也子の右の手首をつかんで上体を引き上げた。そうして起き上がった胸を突き飛ばした。佳也子の頭が壁にぶつかって鈍い音を立てた。

 すぐさま佳也子の足首をつかんだ。手前に引きずるとスカートがめくれ上がり日にまったく当たらずに伸びた白い脚が目に入った。

 ベッドの上に身を乗り上げた。

 足首を離した左手で佳也子の右肩を押し、右手で破れたブラウスの合わせ目をつかんだ。

「ああ」

 短い切れ切れの息の中で佳也子が発したのは、そんな、唸るような声だった。

「や、め」

「うるさい黙れ」

 左手で佳也子の顔の下半分を覆った。押さえつけるように黙らせた。佳也子の小さな顔を隠してしまうにはそれで充分だった。

「今までさんざんお前の好きにさせてやってきたんだ、たまには俺の好きにさせてもらってもいいだろ」

 佳也子が沈黙した。

 長い前髪の下、大きく目を見開いたまま、動かなくなった。

 宙を掻いていた白い手が敷布の上に落ちた。

 強く握り締め過ぎたせいで再度裂けてしまったブラウスを見下ろした。

 その時、だった。

 祐は、途端に後悔した。

 ブラウスの下、薄絹に守られた佳也子の胸は、肋骨が浮いていた。このまま強く押し続ければ折れると確信できるほどには、骨と皮しかなかった。

 胸のほぼ中央辺りに、白い傷痕が見えた。手術の縫合痕だとすぐに分かった。

 左手を離した。

 佳也子の唇は、色を失うどころか、青紫色になっていた。

 悲鳴を上げなかったのではない。悲鳴を上げられなかったのだ。

 祐が身を起こすと、佳也子は胸を押さえて短い呼吸を繰り返した。全身が小刻みに震えていた。

「……あ……」

 佳也子がベッドの上でうずくまる。胸を押さえて荒い息を繰り返す。

「坊ちゃま?」

 階下から家政婦の鈴木の呼ぶ声が聞こえた。

 祐は大きく肩を震わせた。

 どうしたらいいのか、分からなかった。

「坊ちゃま、何やら大きな音がしましたが、何かございましたか……?」

 階段を上がる靴音が聞こえる。

 祐には何もできなかった。

「坊ちゃま? よろしいですか?」

 咄嗟に出た言葉が、これだった。

「助けてくれ」

 鈴木はすぐに部屋へ入ってきた。

 何が起きたのか、彼女はすぐに理解したようだった。一度口元を押さえて小さく悲鳴を上げたが、その後の対応は迅速だった。すぐにベッドへ駆け寄り、佳也子の肩を抱き起こして、「お嬢様、お嬢様」と声を掛け始めた。佳也子が返事すらできないことを確認して、「救急車を呼んでまいります」と言ってベッドから離れ、「坊ちゃまは何もなさらず、そのままで」と指示する。

「あ……」

「大丈夫です」

 鈴木も青い顔をしていたが、その言葉は毅然としていた。

「旦那様には、坊ちゃまがご一緒だったことについては何も申し上げませんので、ご安心ください」

 その瞬間、

「俺、」

 自分がしたことの重大さを知る。

 鈴木を見送る視界が、次第に暗くなっていった。けれど祐の頑丈な身体は、倒れることすらしてはくれなかった。


 汝、姦淫するなかれ。

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