第5話 勘兵衛と孫作 闘い

孫作らが何らかの火計を用いたのは明らかだが、手が読めない。

敵の手の内もわからねば、下手に助けに行っても二の舞を演じるだけである。

 事態が変った。このままでは秀綱が先陣を見殺しにしたと責められかねない。秀綱の焦りを某は感じ取った。

 某は五郎佐にさらに話を聞くべく、彼の両肩に手を掛けた。

 ――何だ、この滑りは――

 某は両手に気色悪いぬめりを感じ、五郎佐から思わず手を離した。掌の光沢に気づき、臭いを嗅いだ。

 ――この臭いは……――

 華蔵に右手を差し出して、臭いを嗅がせた。華蔵も頷いた。

「臭水(石油)だ」

「おそらく、門内に無造作に垂れ下げられた陣幕に臭水を染み込ませていたのだ。突っ込んだ先陣の兵の甲冑に臭水がつく。そこに鉄砲の火の粉が散って、具足が発火したに相違ない。火に驚き、暴れ回る。さらに、火矢を放てば、陣幕に燃え移り火炎地獄となろう。これで敵の火計の絵は見えた」


「なるほどのう、勘兵衛、華蔵。されば、陣幕は既に燃え尽きていよう」

 某の報告に秀綱は力強く頷き、采を頭上に高く掲げた。

「これより、わが軍は郭の中に入る。先陣の兵を助けて、退くことを目的とする。無駄な戦はするな。深追い無用。よいか」

 応と咆哮が木霊する。秀綱は、采を振り下ろした。火計を見破った秀綱勢は、門内に雪崩を打って攻め入った。

 推測通り、臭水を滴らせた陣幕は燃え尽きていた。しかし、郭内には、焦げた骸や刀槍を受けた死骸が転がり、凄惨であった。

 某は、一瞬怯んだ。さらに目の前には、黒備の一〇〇あまりの兵が、秀綱勢の乱入を待ち構えていた。

「待ちかねたぞ、鮭延越前守殿。共に冥途への旅と洒落込もうぞ」

 孫作であった。無地漆黒赤縅の具足に黒鉄の筋兜、前立には鮮やかな朱塗の炎の前立。顔には憤怒の表情を浮かべた不動明王の面頬。長身の上鎌十文字の槍を、秀綱に向けて構えた。

「そこにおるは、小野寺孫作殿か。怖ろしき武者ぶり、感服仕った。されば、我ら、先陣・松岡土佐守殿の援軍仕る」

「ほう。こやつは土佐守と改めておったのか。知らなんだわ」

 孫作は、首級を秀綱に投げつけた。紛れもなく盛政の首であった。

「裏切り者には死を。土佐守と嘉助が首を挙げて、まず溜飲を下げた。次は越前守殿の首級を挙げ、地獄の閻魔に自慢してくれるわ」

「我ら、先陣と違い、そう易々と討たれはせぬ。者ども、懸かれ」

 秀綱と孫作、ほぼ同時に槍を振り下ろし、突撃を命じた。両軍、弓鉄砲は使わず、真正面からぶつかり合った。槍と槍、長刀と刀など将兵の得物が鬩ぎ合い、力及ばぬ者が、地面を朱に染めていく。

 ――孫作はどこだ。孫作さえ討てば、戦は終わる――

 某も敵兵の槍を躱し、前に進む。向かい来る敵に足を掛け、倒した。起き上がろうとする敵兵を突き伏せる。断末魔を耳に入れず、某は次に当たる敵を探した。その視線の先に、焦土で舞う不動明王を見た。孫作であった。

 頭上で大身十文字の槍を回し、兵を近づけない。背後の兵の顔面を石突きで潰す。正面の兵には、十文字鎌で、首を抉る。

 頸動脈を切られた兵は、声すら上げられない。血飛沫を飛ばし、力なく倒れ伏した。孫作の戦振りに兵らは尻ごみし、怖気づいた。

 ――いかん、味方が飲まれ始めておる――

 死兵と化した小野寺勢は手強い。加えて孫作の戦振りは修羅の如し。秀綱勢の気力は削がれている。そこに小野寺勢は嵩に懸かって攻めてくる。寡兵の団結の前に多勢を恃む味方は混乱に陥ろうとしていた。

 このままでは危ない。秀綱は、後退する兵を叱咤し、自らが孫作に斬りかからんばかりであった。

 ――仕方ない――

 某は覚悟を決めた。孫作は、倒れた兵に止めを刺している。某は、その隙に脇から槍を突いた。躱した孫作は、憤怒の形相で某を睨みつける。

「鮭延越前守が臣、鳥海勘兵衛推参。御首級(みしるし)、頂戴仕る」

 名乗ってすぐ、某は突きを繰り出した。孫作は軽くあしらう。間髪を入れず、鋭い突きが某を襲ってきた。辛うじて躱したが、孫作は某を充分に突けるまでに間合いを詰めてきた。

 ――いかん、やはり、腕も器も違う――

 今さらながら孫作に懸かったを後悔した。獲物を丸飲みにする蛇のように、ジリジリと孫作は間を詰める。後退する某、前に詰める孫作。勝負は決していた。

「お主は、昨夜、某を案内した者だな」

 孫作は意外なほど優しい声をかけてきた。だが、某は頷くのが精一杯だった。

「緊張ゆえか、恐怖ゆえか、要らぬ力が体を固くしておる。斯様なざまでは満足に動けまい。お主、死ぬぞ」

 孫作は、さらに一歩詰める。退いた某は、左脇の味方の雑兵と接触した。

 刹那、孫作の槍が雑兵を襲った。ギヒッと少し間の抜けた悲鳴が聞こえた。目をやると、雑兵が血泡を吹いて絶命していた。

「目の前の戦いに心を奪われると、左右に気付きにくい。戦に七分、周囲に三分、心を割かねばならぬ。わかったかね、勘兵衛殿」

 ――今さら戦の心得を説かれてもな――

 絶体絶命であった。某を追い詰める相手が、戦における身の処し方を某に説いてくる。皮肉な状況に苦笑するしかなかった。

 すると不思議なもので、笑みの効果か、多少の余裕も生まれてきた。面頬の奥の孫作の目も笑っているように見えた。

「少し、状況を見詰める余裕が出てきたな」

 某と孫作の腕には大きな差があった。だが、あえて孫作は動かない。某は孫作の考えが分からなかった。

「なぜ、某を討たれぬ。嬲り殺すつもりなら、勘弁願いたい」

 某の問いを意に介さず、孫作は相変わらず動かない。目はしっかりと某を正面に捉えている。某は、次の動きを全て読まれるようで、金縛りに似た心もちであった。

「似ておるな……」

「何に似てござるか」

 某の問いに応えず、孫作はまただんまりを決め込んでいた。

 どうやら、某が動かなければ、孫作も動く気はないらしい。だが、次の動きが将棋でいう詰みになる気がして、下手に動けない。

 ――万事、休す――

 そう思っていると、某の視界に孫作の背後に倒れていた兵が息をふき返したのが見えた。

 彼の兵は足元に落ちていた鉄砲を手にした。微かな煙が見える。火縄は、まだ生きている。兵は力を振り絞って、鉄砲を構えた。

 孫作は、某の視線に気付き、背後に目をやった。鉄砲兵を認めた孫作は、足元の槍を拾い上げ、投げつけた。

 轟音と孫作の呻き声が交錯した。孫作は、膝を折って崩れていた。鉄砲兵は、槍が腹に命中し、後ろに退き倒れていた。

「気を付けよと申した己が背後をとられては世話がない。がははは」

 孫作は豪快に笑い飛ばした。しかし、足元には血が溜まっている。弾が左肱に命中したらしく、甲冑の籠手が赤黒く光っている。

 黒備の兵たちは、主の異変を察し、孫作の許に駆け寄ってきた。某に怒りの視線を向け、斬りかかってくる者もいた。某は相手の刀を躱して、槍の柄で顔面を殴り上げた。

 一人を気絶させたのが潮になり、三人五人と某を囲み始めた。だが、斬りかかる人数が多くても、負ける気がしなかった。

「止めよ。そなたらが束になって懸かっても徒に屍を増やすのみよ」

 孫作は麾下の兵を制し、右手を上げて退却を指示した。小野寺勢は、続々と本丸に引き上げていく。

 某は周囲に気を配りつつ、焼け焦げた樫木門から退いた。

 

 本丸から兵を退いた秀綱は、某に兵の数を数えさせた。

 先陣の討死は二〇〇余り。秀綱も五〇余の兵を失った。一方の小野寺勢は、討死は三〇余り。いかに劣勢であったのか、改めてわかった。

「総大将がお見えだ」

 陣内がざわつく中、楯岡豊前守満茂が姿を現した。護衛の馬廻り衆より、頭一つ抜きん出ている。

 某は戦前に、一度面会した。優しい眼差しの御仁であった。

 だが、今は違う。本丸に向ける鋭い眼光。戦時の秀綱と同様、いや、それ以上に険しい。三〇〇〇人以上の命を預かる総大将の重圧に耐えているゆえだと、某は思った。

 本丸から視線を外して、満茂はゆっくりと秀綱の帷幕に入ってきた。

「越前守殿。奮闘、御苦労。それにしても、苦戦したようだな」

 秀綱の脇の床几に腰を下ろし、満茂は労を犒(ねぎら)った。

「ごらんの通りでござる。死兵、恐るべし。改めて痛感致した」

 溢れ返る負傷兵で、秀綱陣内は大童であった。動ける者は負傷兵の手当てを行っていた。その慌ただしい雰囲気の中で、秀綱と満茂は何やら打ち合わせをしている。

「勘兵衛、近う」

 某は、秀綱に呼びよせられた。近くに行くと、満茂が平常の優しい口調で語り掛けてきた。

「そなた、孫作と最後まで刃を交えたとか。孫作負傷、相違ないか」

 某は見たままを述べた。全て聞き、満茂も秀綱も力強く頷いた。

「斯様な出血なれば、明日は槍も満足に持てまい」

「されど、窮鼠何とやらと申します、敵兵の結束に警戒すべきかと」

 秀綱の心配も尤もだ。

 追い詰められた死兵の戦いぶりは狂気そのものであった。一帯を炎上させる火計、多勢に怯まず斬り込む覚悟に圧倒された。

 ――満茂様の思う通りにはいかない――

 実際に小野寺勢に当たった某の考えであった。某が不服を顔に出すと、察した満茂が笑顔で諭した。

「勘兵衛、確かに相手は侮り難い。だが、結束を砕く方法はあるぞ」

 満茂は秀綱に耳打ちした。秀綱の表情が一変した。秘策の披露を求めたが、秀綱が制した。

「豊前守様の策は、秘中の秘である。其方にも語ることはできぬ。ただし、其方に大役を果たしてもらうぞ」

 秀綱は、式部を呼び酒肴の用意を命じた。本陣から酒三斗と干し鮭を二ノ丸に運ばせた。溢れる酒肴に、雑兵たちは沸き立った。

「勘違いするな。酒肴は天晴な小野寺勢への差し入れじゃ」

 秀綱の一喝で、陣内には失望が広がった。

「いや、そこまで落胆するな。一斗は、そなたらに下そう。本丸から見えるよう宴席を催せ。士気の高きを見せつけよ。賑やかに飲め」

 満茂の取りなしで、雑兵たちの失望が喜びに昇華した。早速に宴会が始まり、高らかな歌声や饒舌が二ノ丸に満ちていった。

「勘兵衛、待たせたな。其方、使者として本丸に向かい、此の酒肴を本丸の者たちに届けよ」

 秀綱の表情は、何やら含んでいる。だが、意図が飲み込めない。満茂に視線を送ったが、ただ優しく頷くのみだった。

「其方は、不思議と孫作殿に気に入られておるようだ。真摯に孫作殿らに接するが良い。何も考えずに……の」

 満茂の策とやらは、とうとう某には教えられなかった。だが、信頼がなくば、役を命じられるはずはない。満茂と秀綱の信頼に応えるべく某は本丸に向かった。華蔵が同行を願ったので許し、荷駄を引く役を命じた。

「某は鮭延越前守が臣にて、鳥海勘兵衛。主より、天晴なる貴殿らに酒を差し入れよと承った。開門、開門」

 本丸の銅門が開いた。黒備の兵が飛び出し、某を取り囲んだ。

「御覧の通り、我らが兵も宴を開いておる。宴の最中に戦を始める無粋な輩は、我が最上にはおらぬ。安心されよ」

 兵たちは、槍の構えを解き、中に運び込むように言った。某は酒肴を門内に運ばせた。

「華蔵、戻るがよい」

 某の言葉に華蔵は首を横に振った。

「勘兵衛様一人では心許ねえ。待ってても、気を揉むだけだし……」

「勝手にせい」

 だが、内心、華蔵の居残りは嬉しかった。敵陣の中に一人でも味方がいてくれれば、それだけで心強い。

「殿がお会いするそうだ。参れ」

 黒備の一人が取次いだ。某は黙って頷き、案内役に従いていった。本丸に上がると、案内役が振り返り、階段を上がるよう指差した。上がれば、孫作がいる。

 案内役の兵は最後に登ってきた。刀の柄に片手を掛けている。不審な動きがあれば、いつでも斬り捨てるつもりなのだ。

「おや、お主は……」

 戦陣に似つかわしくない優しい声が響いた。

 孫作は陪席、正面には城主である小野寺孫七郎道央が、某を睨みつけていた。傍らの孫作には笑みが浮かんでいる。戦場での雰囲気は微塵もなかった。敵意のない姿を見て、某はまずは安堵した。

「兄上、彼者(かのもの)が件(くだん)の若武者でござる。実直な若武者でござろう」

「確かにな。謀略には似つかわしくない者よ」

 孫七郎も孫作の言葉に笑った。だが、孫作の通る声に比べ、孫七郎の声はくぐもり、聞こえ難い。咳も気になる。明らかに病身であった。

「病んだ城主では、兵も従う甲斐もない。弟には助けられておる」

「なんの、兄者の火計で、一矢を報いた。後詰の其方らも、生きた心地がしなかったであろう」

 某が素直に頷くと、孫七郎は声を上げて笑った。

「なるほど、確かに素直。だが、戦で生き残れるか、不安もあるな」

 孫七郎の言葉に、華蔵が反応した。

「これはしたり。勘兵衛様は、あの戦を生き抜いた。馬鹿にするな」

 華蔵はいきり立っている。某は手で制して、華蔵を座らせた。

「華蔵。某は、孫作様には敵わなかった。だが、孫作様は某を討たれなんだ。某は、そのわけを聞きたい」

 華蔵は黙ったままである。某は真っ直ぐに孫作を見据えていた。

「孫作様、お教え下され。なぜ某を討たなかったのか。そのわけを」

 孫作は目を瞑っていたが、小首を傾げ、ゆっくり語り始めた。

「お主が、わが娘婿に似ておるからよ」

 思わぬ答に、某は困った。どう返すべきか、わからなかった。何もできず、戸惑っていると、孫七郎が笑い出した。

「見よ、若武者が戸惑っていよう」

 孫作はそれ以上、何も話さない。後を孫七郎が継いだ。

「孫作は娘に甘くてな。婿は己の目に叶った者……と思うていたら、娘のほうで相手を見つけた。泣く泣く、娘の婚姻を許したのじゃ」

「兄上。身内の話じゃ。詮なきことゆえ、忘れてくれ、勘兵衛殿」

 照れがあるのか、屈託があるのか。孫作は話を打ち切ろうとした。

「いえ、ぜひとも、先を聞きとうござる」

 孫作の人間性には、どうやら繊細と豪胆が同居しているようだ。某は孫作という武将に魅かれていった。某の眼差しを受けて、孫作も話す覚悟を決めたらしい。苦笑を浮かべ、話を続けてくれた。

 

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