第7話

 「ここだな」

 通成はもう一度表札を見て呟いた。

 「ご友人のお宅に着いたのですね?」

 「ああ」

 短い返事の後、首にぶら下げていた風呂敷を外し、木箱を両手で持つと、閉められた引き戸に声を掛けた。

 「すみません、岡部さんの知り合いの者です。どなたかいらっしゃいますか?」

 声の後、少ししてからこちらに近付いて来る足音が聞こえ、すぐに引き戸が開き中から女性が出て来た。

 「はい、どちら様でしょう?」

 二十代半ばと思われる女性は髪を束ね、もんぺの上に割烹着を着用していた。疲れの残る顔でこちらを見つめている。

 「岡部さんの奥様とお見受けします。私は岡部さんと同じ部隊に配属された瀬野と申します。数日前に帰還を命じられ、昨日港へ着きました」

 彼女ははっとした表情で通成を見上げる。

 「岡部さんはこちらの持ち物をいつも肌身離さず持ち歩いておりました」

 そう口にした後、通成は木箱の中身を彼女へ見せた。擦りきれた手紙と傷が幾つも残る万年筆。

 彼女はただ茫然と木箱の中に視線を落としていた。固まったまま動かない。

 しばらくそのままだったが、彼女の背後から子供の泣き声が聞こえ、

 「奥様、お子様が泣いております」

 凜の一言で我に返ったらしく、慌てた様子で、

 「暑い中、ご足労をお掛けしまして申し訳ありませんでした。どうぞ、お上がり下さい」

岡部の妻は通成と凛に頭を下げると、中に入るように促した。二人は軽く頭を下げると、彼女の後に続いた。


 二人は居間に通された。八畳程の部屋である。奥にもう一部屋あり、どうやらそちらは寝室として利用しているようだ。

 通成は彼が戦死するまでの出来事を詳しく彼の妻へ伝えた。ほとんど飲まず食わずで島の中を歩き続けたこと。現地の人間によく話し掛けられていたこと。夜中にうなされている者がいれば、声をかけていたこと。妻からの手紙に毎日目を通し、自分たちに見せてくれたこと。状況が悪化した中でも必死に手紙を書こうとしていたが、結局書けず仕舞いで落胆していた彼の姿を通成は脳裏に蘇らせる。

 「最後にもう一度息子を抱いてやりたいとおっしゃっていました。貴女あなたを一人にして済まないとも。息子さんの写真は彼の遺体と共に埋葬しました。岡部さんの遺骨を持って来られず、申し訳ありません」

 通成は深く頭を下げた。

 岡部の妻は顔を伏せて通成を話を聞いていた。時折鼻をすする音が聞こえる。彼女の腕の中には岡部の息子がすやすやと寝息を立てている。

 凛も黙ったまま、通成の話に耳を傾けていた。

 頭を下げる通成の頭上に、岡部の妻は声を震わせながら、

 「こうして遺留品を持って来て頂いただけで十分でございます。戦死された方の中にはそれすら無いことも多いのですから。あの、そちらのお嬢様もお気の毒でした」

 通成は岡部の話を始める前に、凛を自分の家の隣に住んでいる少女だと紹介した。家が隣同士だったため、家族ぐるみの付き合いがあり子供の頃もよく遊んでやっていたと説明したのだった。

 「ええ。頭と目を負傷していますが、なんとか」

 「髪まで白くなってしまって……。余程辛い思いをされたのでしょうね」

 岡部の妻が手拭てぬぐいで目元をぬぐって呟く。

 「いえ、お気になさらずに。辛い思いをされているのは、どの方も同じだと思っておりますから」

 凛も岡部の妻もこれ以上口を開こうとしなかった。沈黙だけがその場に残される。

 「あまり長居ながいも失礼かと思いますので、私達はこれでおいとまさせて頂きます」

 通成はそう言った後、凜の名を呼び軽く手を掴むと彼女を立たせた。

 岡部の妻も立ち上がり、

 「こんなに暑い中ご足労をお掛けして遺留品を持って来て頂いて、主人も喜んでいることと思います。瀬野様には何とお礼を申し上げて良いのか。わざわざ来て頂いたのに、ろくに持て成すことも出来ず申し訳ありません」

 「いえ、無事に届けることが出来て良かった」

 通成は彼女に抱かれている子供に視線を向けた。岡部の息子は平均的な身体の大きさよりもやや小さいように感じたが、それでも健康であるように見えた。寝顔は岡部にそっくりだった。

 

 

 

 

 

 

  

 

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