異世界なんて平凡な私にとっては死亡フラグでしかない

@Mitsuki_v

第1話


「「かんぱぁーい!」」


 ガヤガヤと騒がしい居酒屋に女2人の高めの声が響く。

 かけ声とともにキンキンに冷えたビールを半分ほど一気に煽ったのは末広 恵。美人といわれる部類の顔立ちをしており、くっきりとした目元は意志の強さを表しているようだ。ダークチョコレートよりも少し明るめなセミロングの髪をきっちりと後頭部で纏め上げ、ピシッとしたグレーのスーツをセンスよく、しかし堅くなりすぎないように着こなしている。爪には淡いベージュがのせられ、どこからどうみても「できる女」である。


「… プハッ!やっぱり仕事の後のビールは最高ね〜」


 ダンと重い音を立ててジョッキを勢いよく置く。その向かい側で同じようにビールを飲み、大きく頷くのは彼女の大学時代からの親友である瀬川 結菜だ。恵とは対照的な童顔で可愛らしい顔立ちをしており胸まである黒髪は緩く巻かれている。スーツではなくネイビーのサブリナパンツに桜色のゆったりとしたブラウス。ウエスト部分にはアクセントのゴールドの細身のベルトが淡く輝く。


「ほんとほんと!このために生きてるって感じ?」

「結菜おやじくさーい」


 おどけたように言う結菜に恵は声を上げて笑う。


「それにしても恵と飲みにくるなんて久々だよね。仕事忙しいの?」


 普段は一、二週間に一回は会ってお互いの仕事の愚痴を話し、ストレス発散していたが今回は一ヶ月もの間が空いていた。


「そう!聞いて!!この前大きい契約取れたって話したでしょ?」

 テーブルに身を乗り出し、不機嫌そうに声を荒げる恵。その言葉に結菜は一瞬視線を宙に彷徨わせるが思い当たることがあったのかすぐに戻した。

「あー、電話で言ってたやつ?」

「そうそれよ。でもそこの会社が急に倒産しちゃって契約がダメになっちゃったの!それで穴埋めのために走り回ってたのよ。ほんと営業って嫌だわー」


 恵は大手保険会社で営業をしておりその成績はいつも課内で5本の指に入るほど優秀だ。そして嫌だと言いつつも恵がこの仕事にやりがいを感じ、楽しんでいることを結菜は知っている。


「そっかー。そんなこともあるんだね。お疲れ様…それで穴埋めは上手くいったの?」


 結菜の仕事は従業員20名程度の小さな商社の事務である。小さいがため直接営業課の人達と関わることも多く、営業の厳しさを見てきているため彼女の苦労も少しは分かっているつもりだ。


「小さい契約だけど4件取れたからギリギリね」

 そう言いながら髪を纏めていたクリップを外し外し前髪を搔き上げる。うんざりした声で眉間には皺が寄っている。せっかくの美人が台無しだ。


 そこにお待たせしましたの声とともに先ほど注文した焼き鳥の盛り合わせ、シーザーサラダ、だし巻き卵が並ぶ。

 運ばれて来た料理に結菜は目を輝かせ、いただきます!と真っ先にだし巻き卵にかぶりつく。この店のだし巻き卵は結菜のお気に入りで、ふわっと柔らかく、噛むとじゅわっと出汁が口いっぱいに広がり絶品だ。ん〜!と言葉にならない声を発しながら幸せそうに顔を緩める結菜を見て恵も一切れ口に運ぶ。

「そういやさ。」

 思い出すように発した恵の言葉に、うん?と視線だけで返す。

「あんたのほうどうなってんの?」

 怪訝そうな顔をしながら首を傾げた恵。

 その言葉が指すのは結菜の直属の上司である江原課長だ。彼は結菜の何を気に入ったのかは分からないが頻繁に食事に誘ってくる。さらに舐めるような視線に毎日ボディタッチ。書類の受渡し時に手を握られた時は全身に鳥肌が立った。まだ三十代前半のくせにザビエルよろしくハゲ散らかしており、それを隠そうとまだ無事なサイドの髪をそのツルツルの頭頂部に集めワックスで固めている。後ろから見るとまるで黒い玉葱だ。そして食事を断ったりボディタッチを防ごうとしたりすると不機嫌になり最悪仕事を増やされることもあるため結菜にとってストレスの根元であり頭痛の種だ。社長にでも訴えて首にしてもらいたいが彼が社長の甥ということで誰にもどうしようもできないというのが現状である。


「変わんない。ってゆうより酷くなってるかも…」

 困ったようにやや俯き目を伏せる。

 

「マジ…?あんたんとこの会社、社長もワンマンだし残業代もでないんでしょ?とんだブラックだね…」

 ときどき恵は思ったことをズバっと言う。どちらかというと優柔不断の結菜にとって彼女のさっぱりとして引っ張ってくれる性格はありがたく、自分の意志を強く持つ彼女は結菜の憧れだ。大学時代も今も何度も彼女この性格に助けられている。

「だよね…。転職とか考えたほうがいいのかなぁ…」

 しかしこのご時世だ。難しいであろうことは簡単に予想がつく。恵もそれを分かっているからこそ何も言えず難しい顔で黙り込む。

 一つ溜息を吐き、嫌なことを忘れるようにぐっとビールを一気に煽る結菜を見て恵はビール二つ追加と店員に向かって叫んだ。





 その後は大学時代のことや最近のドラマ、新しくできたカフェについて話題は尽きず、すっかり遅くなってしまった。会計を済ませ外に出るとお酒で火照った身体を夜風が冷ましてくれる。

 終電間に合う?恵の質問に携帯で電車の時間を確認する。恵の家はここから歩いて十分程の所にあるが結菜の家は少し遠く、電車を使わなければ帰れない。金曜日であったなら恵の所に泊まれるのだが生憎今日はまだ週の半ばである。携帯に目を落としたまま大丈夫だよと返す。電車はあと十五分後。この居酒屋から最寄駅は徒歩で五、六分程度だ。十分間に合う。

「じゃあねー」

「バイバイ、また連絡するねー」

 そうお互いに別れの挨拶をし、それぞれ反対方向へと歩き出す。


 飲屋街はもうすぐ十二時だというのに会社帰りのサラリーマンやOL、大学生であろう人々が多く歩いており賑やかだ。ライトアップされた看板やお店の装飾のネオンがあたり一帯を照らしているためすれ違う人の酔っ払った赤い顔がよく見える。どこかからもう一軒行くぞー!などという酔っ払いの元気な声が聞こえ、それに少し笑ってしまう。


 飲屋街を抜け住宅街に入ると駅が近づくにつれ人も灯りも減っていく。人気の少なくなった暗い道。もし周りに人がいなかったらとても怖いだろうが幸いなことに疎らではあるが人の姿がある。

 一車線の三叉路をを右に曲がると十メートルほど先にコンビニが見えた。このコンビニの前の大通りを渡ったら駅だ。時間を確認するとまだ十分程時間がある。

(コンビニかぁ…水欲しいな。ついでだし求人誌ももらっとこう。)

 アルコールの分解過程で起こる脱水による口渇感を覚えコンビニの自動ドアの前に立つ。ドアが開くと同時にピロリロリンと軽やかな電子音が店内に響いた。

 入り口の隣に求人誌が配置されているのを一瞬視界に捉えつつ、一直線にドリンクコーナーへと足を運んだ。並んでいる冷蔵庫の中にさっと目を走らせ、水コーナーを見つけると次はラベルを一つずつ確認していく。といっても結菜に特にこれといったこだわりはない。ミネラルウォーターの味なんて大差ないだろうと結局一番安いものを手に取りレジへと進む。会計を終え、求人誌を一冊ラックから抜き取ってからコンビニを出ると、目の前の横断歩道の信号が青に変わったのに気づいた。ナイスタイミングと心の中で呟き歩みを速める。横断歩道の中へと足を踏み入れてすぐのことだった。


 キキーーーーーーー!!!


 大きな女の悲鳴のような音。その音源の方へと振り向こうとした瞬間、急に視界が白い光で覆われた。あまりの眩しさに目を瞑る。体に強い衝撃、浮遊感。


 目を閉じる前に一瞬見えたのは赤い車だった。

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