第十二話 霊獣の棲家 -後編-



 ピキ……ィィィン……


 不吉な高音とともに、天月泉に細い光が走った。

 眉間にしわを寄せ、黒い瞳を細めたのは、ウィンダム連邦の統治者・月の神子である。


(この方角は……)


 ここはウィンダム連邦・石区にそびえる月の大樹の中。

 そこに築かれた天の塔の最上階で、月の神子が天月泉を覗きこんでいた。


 頭に被った白いフードの中から月の神子の表情を読み取ったシババが、口を開き……再び閉じた。

 星詠み中の月の神子に話しかけることは、固く禁じられている。


「シババ……」


 月の神子のほうから声がかけられた。


「はい」


「……サシェカシェが向かったのは、サンドレア王国でしたね?」


 月の神子はまだ半トランス状態にある。

 長話は彼女の身体に負担をかけるだけだ――そう判断したシババは、素直に質問に答えることにした。


「いえ……ラングモンド峠を抜け、ホスティン氷河に入ったという情報が入っております」


「……そうですか」


 そのホスティン氷河の地で、大きな星がひとつ、流れて消えたのを月の神子は見た。


(信じています、サシェカシェ……)


 指を組んだ両手に額を当てる月の神子。


(どうか……ご無事で……)





  ***





「マリィ……」

「やった」


 リタが泣きながらマリィに抱きつき、その横でアイルナーシュが飛び上がって喜びを表現した。


 リタ家に届けられた一個の指輪。

 それを運んだベイルローシュの部下も、胸を撫で下ろしている。


「う……あ…………」


 震えながら、再生した自分の左手を顔に寄せるマルガレーテ。

 もちろん右脚も取り戻している。


「あぁ……あ………」


 言葉にならないまま、少女のダークブラウンの瞳から涙が溢れていた。


(ありがとう……サシェさん。このご恩は、一生…………)





  ***





「おい、ちゃんと前衛と後衛の歌い分けをしろよな、基本だぞ」


「ごめん、ごめん」


 夜の砂丘を、慌てて走り回るミラス族の少女はウイカだ。


(サシェさん……今頃元気にしてるかなぁ? いつか、一緒にパーティを組みたいなぁ)


「だーっ。だから俺はこんな子どもの吟遊詩人とパーティを組むのは、嫌だったんだ」


 メンバーの怒号にも少女はひるまない。


「何よ、ちょっと〈子守歌ララバイ〉のタイミングが遅れたくらいで。私はね、超才能溢れる、歌姫の娘なんだから」


「また、それかよ……」


(あっという間にレベルを上げて、ミサヨたちの役に立てるようになるんだっ)





  ***





「オジーチャン、新入りがどこに行ったか、知ってるんだろ?」


 ホノイコモイ邸に、ムーンオニオンズ団の子どもたちが集まって来ていた。


「な、なんだ、こんな夜中に。まったく、おまえたちは非常識な……」


「ピチチちゃんが見たんだ。新入りが、ヒゲのオッチャンに殺されるのを」


 ホノイコモイが女の子を睨みつけた。


「見たって何を……」


「夢で見たの……。サシェのお兄ちゃんが、青い光に飲み込まれて……」


 老人が溜め息をついた。

 それを見た子どもたちが、黙ってホノイコモイの次のセリフを待つ。


「……大丈夫だ。あいつは死なん」


 ええ~――と、声を上げる子どもたち。


「なんだよそれ、オトナっていいかげんだ」

「いいかげんだ」


 そうじゃない――と、ホノイコモイは子どもたちをなだめた。


「あいつはな、最強の御守りを持って行ったんだ」

「サイキョウノオマモリ?」


 ゆっくりとソファに腰を降ろすと、目を細めるホノイコモイ。


(あいつに渡したソジエ識別札――あれは……)


 子どもたちは、ポカンとしている。


いにしえの月の神子ミテララ様一行が、初めて霊獣ディアボロスと対峙し、生きて戻られたときに持っていらしたという品だ。これ以上の御守りがあるものか)


「そうだ。裏で売れば、数億Gは下らない超高価アイテムを持たせてやったんだ。死ぬわけがなかろう」


「ス、スウオクG?」


 老人が再び溜め息をついた。


「……もういいから帰れ、おまえたち」





  ***





「サシェっ」

「サシェ……っ」


 ミサヨが叫んだ。

 カリリエとアンティーナが叫んだ。


 サシェが放った〈範囲迅雷テラサンダーIII〉は、ベッケルによる聖剣の一振りとほとんど同時だった。


 聖剣から流れた青いエネルギーは、たしかにサシェの小さな身体に命中したように見えた。


 ソジエ遺跡・中央塔の最下層にある霊獣ディアボロスの間。

 赤い光に満たされたその部屋で……サシェがしっかりと立っていた。


「賭けに……勝った……か」


 緊張が解けて、ヒザをつくサシェ。

 その近くに、三人の仲間が駆け寄った。


 サシェの身を守ったもの。

 それはもちろん、ホノイコモイが御守りと呼んだソジエ識別札の奇跡でもなければ、呪いの指輪が都合よく特別な効果を発揮したわけでもない。


 ベッケルが威嚇のために聖剣で壁に穴をあけた直後、サシェがベッケルの気を引くために最初に唱えた白魔法――〈明滅ブリンク〉の効果だった。


 〈明滅ブリンク〉は合計二回まで、あらゆる攻撃から術者の身を守る。

 ただし、効果の発動は百パーセントではない。


 ベッケルの攻撃をまともに受けるか、完全に無効化するか――その決定はランダムで、運まかせなのである。


「ベッケルは……?」


 顔を上げるサシェに、ミサヨが答えた。


「死んだよ。サシェの〈範囲迅雷テラサンダーIII〉と私の〈迅雷サンダーIV〉、それにアンティーナの古代魔法〈爆裂バーストII〉で」


「そうか……」


 カーバンクルの聖剣が範囲攻撃ではなく、単体を攻撃するアイテム――しかも効果時間が一瞬であることがわかった時点で、今回の作戦を思いついた。


 ベッケルは、最初の攻撃で誰かを倒しておくべきだったのだ。

 その前に威嚇として聖剣の力を晒したことが、やつの敗因だ――サシェはそう分析していた。




「まさか……」


 緊迫した声を上げたのは、カリリエだった。

 その目はベッケルが死んでいるはずの方向を見据え、身体は震えている。


「そんな、ありえませんわ………」


 アンティーナも目を見開いて、その場に固まっていた。


 ふたりの視線の先を、サシェとミサヨが確かめた。

 そこには――。


「ふ……ざけやがって……俺様を……誰だと………」


 炭のように黒焦げになっているベッケルの身体が、ヨロヨロと立ち上がっていた。

 カーバンクルの聖剣だけが、何事もなかったように美しい剣身を輝かせている。


「貴様ら……全員……死ぬがいい………」


 ベッケルが、デタラメに聖剣を振り回した。

 青いエネルギーが描く直線が、あらゆる角度で明滅した。


 明滅のたびに、壁のどこかに深い穴が穿うがたれる。


 ほとばしるエネルギーが、いきなりサシェの頭上を撫でた。

 背後の壁に十数個目の穴があく――滅茶苦茶だった。


「やば……い……」


 サシェがそうつぶやいたとき――聖剣の切っ先が、その場を動けずにいるサシェたちを捉えていた。




 生命の危機を前に脳がフル回転し、世界がスローモーションで動いた。


 聖剣が間違いなく自分に向いていると確信したサシェ。

 エネルギー流の直径は六十センチ程度。


 少し離れているアンティーナには、たぶん当たらない。

 左にいるカリリエと右にいるミサヨを、開いた両手で同時に突き飛ばそうとしてみる。


 それが精一杯だった。

 思考速度に筋肉の動きがついて来ない。


 まるで自分のものではないように、腕が重く感じられる。

 俊敏なラカのようには動けなかった。


 カリリエとミサヨの驚く顔。


 正面の聖剣を見据えたままの視界の外で、彼女たちの身体がゆっくりとよろめくように離れるのをサシェは感じた。


 とっさのことで、あまり力が入らなかったが、それで十分だ。

 聖剣によるエネルギーの通り道からは外れただろう――と思った。




 サシェには白魔法〈明滅ブリンク〉の効果がまだ一回残っている。


 それが発動する確率は高くないが、運が良ければ助かる。

 悪ければ……もう二度とこの世界で生きることはできない。


(死ぬ前に思いっきり、ミサヨを抱きしめたかったな)


 そんな思いが、サシェの意識に浮かんだ。






 ――いきなり。


 何かがサシェの目の前数センチを横切った。

 その理由をサシェが把握したときには、身体の右側にぬくもりがあった。


 ミサヨが腕を回してサシェの首に抱きついていた。


 念話テルにしては、はっきりと言葉になっていない思考が、サシェの頭に流れ込んだ。




  メノマエデ タイセツナヒトガ シヌノハ モウ イヤ





 アゴに当たっているミサヨの腕が震えている。

 サシェの思考が、通常の速さに戻っていた。


 彼女には〈明滅ブリンク〉がかかっていない。

 とっさの行動だったのだろう。


 サシェは、その無茶な行為に驚くよりも、怒るよりも前に、優しい気持ちになっていた。


「ミサヨ、前を見て」


 聖剣からの攻撃は、来ていなかった。

 涙目で赤くなった顔をゆっくりと離したミサヨが、ベッケルのほうを見る。


 カリリエもアンティーナも、正面を見つめていた。




 巨大な黒い翼を広げ、中空に浮く異形の霊獣――その外見は、デーモン族によく似ている。


 左手には、カーバンクルの聖剣が。

 右手には、動かないベッケルがぶら下がっていた。


「つまラヌ 終わり方だっタガ まぁマァ 楽しメタ……」


「霊獣ディアボロス……」


 サシェの顔から緊張が伝わる。

 聖剣は、指輪に代わる新しいコレクションにする――と彼女は言った。


 そしてサシェたちの目の前で。

 ベッケルの黒こげの身体が、足先からボロボロと崩れはじめた。


「闇ニ 身体ヲ 喰われたモノハ……」


 霊獣ディアボロスの言葉を、サシェが引き継いだ。


「……ディアボロスの夢の世界デュナミスで、心だけが永遠に生き続ける」




 ベッケルの身体が闇に――カーバンクル・カースに喰われているのだと理解する。

 霊獣ディアボロスが闇を集めたのだとしか考えられない。


「闇ハ 世界ジュウニ 拡散シテ 満ちテイル…… カーバンクルのせイデ」


 霊獣ディアボロスの言いたいことが、サシェにはなんとなくわかった。


 はるかいにしえの日々に、霊獣カーバンクルがその身を犠牲にしてマザー・エーテルクリスタルを闇から守った。

 その結果として、一度は世界が滅亡から救われた。


 しかし闇は、薄れて世界中に拡散しただけだった。


 ミサヨが調べたウィンダム連邦の禁書に書かれていたことであり、ラテーネ高原の谷底で霊獣カーバンクル自身が語ったことだ。


「闇ハ 人を喰らッテ 消滅スル…… その意味ガ わかルカ 人ヨ?」


 この世界の闇を完全に消すには……人が犠牲になり続けるしかない……。


「私のデュナミスだケガ 闇ニ 喰われた人ヲ 救えるノダ……」


「…………」


 サシェには、何も言えなかった。

 霊獣たちは、それぞれのやり方で世界を守ろうとしている。




「白絹の衣も……おまえのコレクションだったのか?」


 なンノ こトダ?――と彼女は答えた。




 ベッケルの身体がすべて崩れ、消え去った。

 夢の世界デュナミスの住人に加わったのだろう。


 そこの住人たちさえも、ディアボロスのコレクションなのかもしれない――とサシェは思った。


「退屈な日々ガ また始マル……」


 霊獣ディアボロスが、空中で背を向けた。


「消えるナラ 今のうチダ 人ヨ……」


 サシェは近くに三人がいることを確認し、迷わず黒魔法〈脱出エスケープ〉を唱えた。


 長い詠唱の後――霊獣ディアボロスの背中が視界から遠ざかっていった。






 ~ 第五章完、最終章へ続く ~



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