第九話 呪いの指輪 -前編-



「く……」


 ミサヨが自分をつかんでいる腕に抵抗しようとすると、男はミサヨの腕を後ろにねじり上げた。


 レウヴァーン族とヒューマン族の間には大きな腕力の差があり、さらに男女差、ジョブの差もあった。

 犯人たちは冒険者ではないようだったが、戦士か盗賊といったところだろう。


 ミサヨは魔道士系――腕力には自信がない。




 その一瞬、その場にふさわしくない考えがサシェの頭をよぎった。


 ずっと頭のすみにひっかかっていたこと――ミサヨの髪が本物であることが、宙吊りにされたことからわかった。

 そして、ミサヨが魔法を全く使わないことも気になった。


 サシェは自分がなにか思い違いをしていることに気づいたが、そこまでだった。

 今は、それを検討している場合ではない――。




 壷からこぼれた液体は、赤紫色の炎をちらつかせながら燃えていた。

 そして、トラの群れの上空に光が輝き、その中から現れたカリリエは――無傷だった。


 ナイトの究極アビリティ〈無敵防御インビンシブル〉、そして白魔法の〈治癒キュアIV〉を発動させたのだ。


 三十秒間の物理ダメージ無効状態――それがナイトの究極アビリティであり、〈治癒キュアIV〉はナイトが使える最上位の回復魔法である。

 さすが高レベルナイトであった。


 壷の黒い液体が燃えて無効化され、トラたちの意識はもうカリリエに向いていなかった。

 魔物たちは、自分よりはるかに強い相手を襲わない習性を持っているからだ。


 この状態で危険なのは高レベルのカリリエではなく、サシェ、ウイカ、ミサヨ――そしてレウヴァーン族の男たちであった。


 サシェはプリズムフラワー一回分の粉が入った小袋を三つ、カリリエに渡した。


「ウイカちゃんにこれを」

「ありがとう」


 カリリエはウイカのところに走り、ロープを切って抱きしめた。

 そしてすぐに〈治癒キュア〉を唱えると、ウイカの左耳から流れていた血が止まり、傷が消えた。


 ――が、左耳の形は欠けたままであった。


「ウイカ、ごめんなさい……ごめんなさい……」

「ううん、カリリエ……もう痛くないよ……」


 そう言いながら、ウイカはまた泣き出した。

 彼女が味わった恐怖はいかほどのものか――トラウマになってもおかしくない。


 カリリエは、サシェからもらったプリズムフラワーをウイカに渡すと立ち上がった。


「あいつらだけは、絶対に許せない」


 今すぐ殺してやりたい――と心から思うカリリエの手を、ウイカが引っ張った。

 すがるような目で泣いているだけだったが、心細くてそばにいてほしいのだとわかった。


 そしてカリリエは気づいた。

 さらに自分が人を殺す場面を、ウイカに見せるわけにはいかない――と。


 はらわたが煮えくり返る思いをぐっとこらえ、カリリエは再びしゃがんでウイカを強く抱きしめた。




 サシェはミサヨの様子とトラたちの動向に気を配りながら、残ったプリズムフラワー一袋を自分に使うつもりだった。

 ところがトラたちは、ウイカはもちろん、近くにいたサシェさえ無視して犯人たちのところへ向かいだしたのである。


 その理由を、サシェはなんとなく思い当たったが、犯人たちはパニック状態になっていた。


「こ、こっちに来るんじゃねぇ。ちくしょう」


 トラ相手では、人質も役に立たない。

 そのままミサヨを放り出してくれれば良かったが、そこまでバカではなかった。


 ミサヨを後ろ手に捕らえたまま土塁入口の上から飛び降り、中に逃げ込もうとする犯人たち。

 土塁内の奥にある古墳まで逃げ込めば、トラたちも追って来ない――それくらいのことは犯人たちも知っているようだった。


 とっさにかばんに右手を突っ込むと、サシェは手探りでつかんだ小瓶を二本、ミサヨに向かって投げた。

 ミサヨはなんとか男の手を振りほどいて小瓶を受け取ろうとしたが間に合わず、さらにそれに気づいた男が短剣で小瓶のひとつをはじいた。


 小瓶は簡単に割れ、中身がミサヨの胴に降りかかった。

 もうひとつの小瓶はミサヨの脚に当たって割れ、両足に液体が染みた。


 上出来だ――サシェはそう思った。




 トラたちに追われるように、ミサヨを連れた犯人たちは土塁内に逃げ込んで行った。

 サシェが入口から中を覗くと案の定、トラたちは中で暴れまわっており、床には黒い液体がばらまかれた跡が残っていた。


 そう――カリリエに投げられた壷の液体が燃えて無効化された後、トラたちの意識は土塁内にトラを集めるために使われた液体の残り香に引かれたのだった。

 犯人たちはそのまま入口の上にいれば安全だったのだが、パニックに陥った彼らは弱い自分たちが襲われると勘違いしたのだ。


 ウイカを連れたカリリエがサシェのそばに来ていた。


「ミサヨが、連れて行かれてしまったんですね……ウイカを助けたせいで」

「ええ……けど、大丈夫じゃないかな」


 自信があるのかないのか、微妙な口調でそう言うサシェに、カリリエが不安を口にした。


「ミサヨは指輪のせいでレベル1に制限されています。大丈夫でしょうか?」

「…………」


(……レベル……1……?)


「ちょっと待ってください。レベル15じゃないんですか?」


 驚いたサシェの頭に、再び先ほどの思考が蘇った。


(――ミサヨの髪は本物だった。ということは数日で髪が十センチ以上も伸びたことになる。それに、自分と同じタイミングで同じ呪いの指輪をはめたはずなのに……自分はレベル15制限で、ミサヨはレベル1制限だって?)


 なにか思い違いをしている――その理由が少し見えた気がしたが、それ以上はわからなかった。




 そのとき、突然――全くの突然だった。

 ふたりの目の前に、ミサヨが姿を現した。


「ミサヨ」

「無事だったか」


 カリリエとサシェの言葉に、ミサヨが微笑んだ。


「なんとか……ね。サシェのおかげだね」

「ということは、やつらは――」


 古墳に逃げ込めば、とりあえずトラの脅威からは逃れられただろう。

 しかし古墳の中には、さらに凶悪な魔物が歩き回っている。


 冒険者なら誰でも知っていることだし、知らなくても予想できる。

 だが、一般人には街の外を歩くことさえ脅威――さらに古墳の中のことなど、想像すらできなかったに違いない。


 古墳の中にうごめくのは、アンデッド系の魔物たち。

 総じて彼らは聴覚感知タイプである。


 サシェがミサヨに投げたのは、かばんの中に残しておいたサイレンスオイル二本だった。

 ミサヨもそれに気づいていた。


 古墳の中で魔物に出くわしたとき、容赦なく殺されていく犯人たちを前に、ミサヨは動かずじっとしていたに違いない。

 そして自分で持っていたプリズムフラワーを使ってトラの間を通り抜け、ここで姿を現したというわけだ。


 ミサヨとは、呪いの指輪についていろいろと確認したいことがあったが今はやめた。


 サシェ、ミサヨ、カリリエ、ウイカの四人はこの事件を生き延び、無事に街に帰れるのだ。

 今はそれで十分だった。





  ***





 ジュナ大公国上層区――その空は青く澄み渡っていたが、そこを歩くミサヨの心の水面は少し波立っていた。




 ウイカの誘拐事件から二週間。

 最初のうち、ミサヨとサシェはカリリエとともにできるだけウイカと一緒にいた。


 ミラス族娘の左耳上半分が欠けてしまったのだ。

 人から見れば真っ先に目がいくところである。

 他種族でいえば、顔に大きな傷をつけられたようなものであった。


 ひとりで落ち込む時間を短くしてあげたかったし、その耳がこれからの人付き合いにおいて、たいしたことではないと感じてほしかった。

 ――が、三日もするとその心配が無用であることがわかった。


 事件のショックでウイカが情緒不安定だったのは一日くらいであった。

 その後、下層区の人々――歌姫のファンたちが次々とウイカの元を訪れ、無事を喜び、普段と変わりない会話でウイカに接した。


 特に冒険者たちは自分の身体に残る深い傷、欠けた耳や尻尾を自慢げに見せては、「俺とお揃いになったな」と、笑ってウイカの背中を叩いた。

 そんなときにウイカが見せる照れくさそうな笑顔はとても可愛く、小さな歌姫が下層区の人々に愛されていることをミサヨとサシェは知った。




 事件から一週間もたつと歌姫のステージが再開されるまでになったが、ミサヨとサシェはそのままジュナ大公国に滞在していた。

 理由はたったひとつ――ベッケルとの約束であった。


 ベッケルが出した指令の期限は一か月。

 飛空艇をすべて奪ってこいとか、大公を暗殺してこいとか――どれも従う気がない指令なのだが、その間はリタ、マルガレーテ親子に手を出さないという約束だった。


 ミサヨは黒き雷光団ブラックライトニングのメンバーに時々マリィたちの様子を見てもらっていて、親子が厳しい税金の取り立てから解放されていることを知っている。


 もっとも、ベッケルの指令は呪いの指輪をつけさせるためのカモフラージュだったと考えるのが自然なので、今は単に彼の関心が他に向いているだけなのかもしれない。


 ただ――ウイカの誘拐犯に捕まったとき、ミサヨは彼らの指に白いパールがついていることに気づいた。

 そこに浮かんでいたスペードに似た模様は、ベッケルの部下である証拠だった。


 彼らの言動を思い出す限りでは、ミサヨとサシェを監視していたという感じではなかったし、彼らはスケルトン族のロストソウルになぶり殺しにされた。


 だが他にもベッケルの部下がジュナ大公国をうろついているかもしれない。

 念のため、ジュナ大公国に滞在し続けることにしたのだった。






 高級武具店の脇を過ぎて視界が開けると、巨大な時計塔が見えた。

 その場所はテラスのように張りだした広場になっていて、下に乗用の鳥型生物ショコルの厩舎を見おろし、その向こうの海面から生えるように建造された時計塔を眺めることができる。


 落下防止用の綱が張られた広場の縁に、見慣れたタルルタ族の後ろ姿があった。

 ミサヨの心の水面に立っていたさざ波が少し強くなった。




 カリリエやウイカと毎日会っていたときも、サシェとふたりで会話する機会は何度かあった。

 犯人たちの白いパールのことを話したり、ジュナ大公国にまだ滞在することを決めたり――。


 そして思い出したように、ジュナ大公国に着いた夜の暴言をサシェが謝ってきたところまでは良かった。

 そこまでは、いつも通りだったのだ。



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