図書館の怪

 中庭の緑を木々を通って、爽やかな風が回廊を通り抜けて行った。モナたち一行は部屋の一つに入っ行った。モナの隣で、スフラブが興奮の声をあげていた。


 部屋の壁には小さな棚が並び、そこに数多の本が積まれていた。アラウィーヤは楽しそうに、しかし低めた声で、それらの本について語っており、それを本好きなスフラブが目を輝かせて聞いていた。モナはそのような説明は幾分右から左で、二人の後を少し離れてついて行きながら、幽霊は出るかしらん、というようなことを考えていた。


 今日もまた明るい穏やかな日で、幽霊など不似合いに思えた。しかし、廃墟で魔物めいたものを見たときにもこのような日だったので……油断はできないぞ、とモナは思っていた。と、その時だった。


 地中より鈍い地鳴りのような音がし、続いて、建物ががたがたと鳴った。床が揺れ、モナは小さく悲鳴を上げた。アラウィーヤも辺りを見回しながら、おろおろしていた。スフラブがモナの元に駆けてきた。気づかぬまま、モナとスフラブは手を握り合っていた。


 揺れは次第に収まり、人々のざわめきがモナの耳にも入ってきた。しかし、ようやく落ち着きを取り戻そうとした次の瞬間、途端に辺りが真っ暗になった。モナは驚いて暗闇を見つめた。いつの間にか、手からスフラブの手が消えてており、音もしなければ、人の気配もなくなっていた。


 けれども暗闇は長くは続かなかった。また再び明るさが戻ってきた。が、周囲には誰もいなかったが。棚がどこまでも続き、そこに入っていた本が、不思議に動いていた。本たちはぱたぱたと開き、浮かび、棚から抜け出して、宙に舞い始めた。


 モナが本を見ていると、背景が変わり始めた。再び暗くなり、といっても真っ暗ではなく、月の綺麗な夜の、中庭に立っていることがわかった。本たちはいつしか姿を消していた。中庭は白い光で溢れており、そこには二人の人物がいた。美しい男女で、寄り添い、抱き合っていた。モナはぼんやりとその光景を眺めていた。


 また景色が変わった。明るくなり、今度は自分が真昼の戸外にいることがわかった。辺りは岩山と沙漠であり、わずかな草が生え、石ころが辺りに転がっていた。遠くに砂塵が見えた。人々の争う声が聞こえ……なにやら合戦が行われているようだった。馬に乗った騎士たちが、砂煙の向こうで、荒っぽく動いており、旗の数々が見え、太鼓や喇叭の音がした。


 ふいに、モナの近くで馬蹄の音がした。モナは振り返り、目を見開いた。馬に乗り鎖帷子と兜を身につけた騎士が、こちらに向かっていた。騎士の手には槍があり、日の光に兜が煌いていた。モナのすぐ傍まで来ると、馬は前足を上げ、騎士は槍を振り上げ、それをモナに向かって下ろそうとした――。モナはうずくまり、悲鳴を上げた。


 途端に身に衝撃が走り、といっても槍に貫かれたのではなく、何者かが自分を騎士の手から救いだそうと、突き飛ばしたのだった。続けて、誰かの身体が自分の身の上に乗って、かばおうとしているのがわかった。モナはそっと身を起した。それに合わせて相手も起き、モナとその人物は膝をついて向き直った。それはターヒルであった。モナを襲った騎士はいつの間にか、煙のように消えていた。


「ターヒル……。何故あなたが……」


 混乱してあえぐように、モナは言った。ターヒルの顔にもまた混乱の色があった。


「私もよくわからないのですよ。私は図書館にいたのです。幽霊の調査をしようと思ってね。そうしたら地震があって、気がついたら、なにやらおかしな世界に……」

「私もそうなのよ! 本が飛んだと思ったら夜の中庭で、そうかと思ったらこんな戦場で……」

「私は中庭は出てきませんでしたねえ。私の場合は、海でした。船に乗って大海原を走っていたのですよ。海の水がひどく綺麗で、赤や青や黄色の魚たちがたくさん泳いでいて……。美しい光景にうっとりしていたら、突然大きな波に襲われ、気づいたらここにいたのです。そしてあなたが襲われそうになっていたから」

「ああ……ありがとう、ターヒル」


 モナが感謝の言葉を述べると、また不気味な音が地中から聞こえ地面が揺れ動いた。モナは思わずターヒルの腕を掴み、その胸に飛び込んだ。ターヒルがモナをかばうように身体を傾けた。


 また暗闇が訪れ、そしてまた光が戻った。モナはそっとターヒルの胸から離れ、辺りをおずおずと見回した。そしてますますわけがわからなくなってしまった。そこは図書館だったのだ。地震の前と同じ、図書館があったのだ。本たちは静かに、何事もなかったかのように、棚に収まっていた。


 続けて、人々のざわめきが聞こえてきた。みな、何が何やらわからない、と言った態で、唖然とした表情で周囲に人々と話していた。他の人たちも、私たちと同じように不思議な光景を見たのかしら、とモナは思った。

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