孤独な旅の末⑥

第5話・グリーン


 数分の後に少年は立ち上がった。

 心の整理を付けるには時間がまるで足りなかった。

 一週間前に両親が他界している事を知り、今まさに育ての親であり最愛の人であったシルヴァの醜悪な心根と最期を眼前とした。


 それはまだ幼さを残すパウロにとってはあまりにも大きな試練と言えた。

 しかし、今はこの悲劇に浸傷心している事さえ許されはしなかった。


 町の大人達全員が眠りについている今、町の全てを敵とみなすだろう討伐軍を対処できるのは先程町を出たティーチとすでに防衛の準備にとりかかっているグリーン、そしてパウロをと子ども達しかいないのだから。


「大人達は全員広場に集めたよ」


「ありがとう。よそ者の私では確認が出来ないから……貴方が子供達を指揮してくれて助かったわ」


 パウロの報告にグリーンが答える。

 一瞬の沈黙の後、グリーンが言葉を繋いだ。


「町長の事……ごめんなさい。貴方には辛い事だとは分かっていたけど他に手段がなかったのよ」


 さらに長い沈黙が続く。


「今は……正直辛いけど、全部分かったから……全部分かってるから……その話しはもう少し待ってもらってもいいかな?」


 パウロは涙を堪え、震える体を踏ん張りながら不器用な笑顔を作った。

 グリーンは小さくごめんなさいと呟くと辺りはまた静まり返った。次に沈黙を破ったのは、町で一番幼い少年だった。その目は好奇心に満ち溢れ、たどたどしい言葉でグリーンに質問をなげかけた。


「くりーんしゃん(グリーンさん)はなんでアンシャツシャ(暗殺者)になったの?」


 グリーンは作業の傍らに脈絡の無い質問に答えた。彼女には先の沈黙に比べればそれさえもありがたく感じた。


「生まれた所が、そういう力を持たないと生きていけない様なところだったのよ」


 しかし、これに真面目に受け答えをしてからハッと思った。

 こんな小さな子どもになにをはなしているのだろうかと。しかし、正体を明かしてから留まるという経験はグリーンにとっても稀有な事柄であり、まして幼子との会話など全くの未経験だった。グリーンはなんとも対処に困り果てたが、その間も彼の好奇心は膨らむ一方だ。


「くりーんしゃんはオミズのまほー(お水の魔法)が使えるの?アンシャツシャなのにさんすー(算数)がとくいなの?」


 少年の疑問は尽きる事はない。

 この世界で認知されている最もポピュラーな魔法は5大魔法と呼ばれ、国語が電気の魔法ならば社会が風、理科は土、そして数学は水の魔法とそれぞれの学問の適正と深い繋がりがあった。


 そしてグリーンが数学において強い適正を持っているのは相手の急所を確実に捉える必要があった暗殺者という仕事柄、標的の身長等の情報からそれらを計算するという非日常的な行為によって培われた複雑な計算能力によるものだったが、まさかこの少年にそのままの答えを伝える事も出来ずグリーンは悩んだ。


 質問から数分、悩んだあげく、グリーンがうぅーうぅーとうなり始めた頃、それをクスリと笑いながらパウロが助け舟を出した。


「こら。邪魔になるから質問は後にしろ。みんなは危ないから広場にいるんだ」


 パウロの指示に渋々ながら従う彼らを苦笑するグリーンの姿を見た者に彼女がSSと恐れられる暗殺者だと思う者はいないだろう。そう確信させられるほどに、それは優しく心からの笑みだった。


「ねぇ……グリーン、ティーチは本当に1人で大丈夫なのかな?」


 僅かながらわだかまりの解けた様子でパウロは気がかりだったティーチの勝算についてを聞いた。現在、グリーンが準備している大規模な魔法はあくまで町を保護する為の水壁の魔法であり、それはティーチが町に戻れない事も意味していたからだ。


「安心していいわ。あいつは弱くは無いし、それに・・・・・・おっかない話しだけどね。この魔法は討伐軍の攻撃から町を守る為の物じゃなくて、あいつのふざけた魔法に巻き込まれない為のものなの」


 言葉の意味をすぐには飲み込めないパウロがポカンとしていると、ついに外が騒がしくなってきた。深夜の静けさを引き裂く様な怒号を口火に大軍を思わせる奇妙に揃った足並みが町に近づいてきていた。


「来たわね……少し寒くなるけど我慢してね」


グリーンはそう言って準備した魔方陣に移動した。


「水壁、固体化・・・・・・氷壁精製」


 グリーンの宣言と同時に水の柱が町を囲み、それは大きな滝の壁となると、次の宣言で気温を下げ、滝を氷の壁へと変貌させた。

 町に出現した氷の壁はそのあまりの美しさからパウロを含む子供達の不安を吹き飛ばし、感嘆させるほどだった。しかし、グリーンの顔は険しかった。


「まずいわね……あの馬鹿、またあんな炎を……」


 グリーンの危惧から数分、氷の壁を通して見えるのは深夜である事を忘れさせる様な眩い空と、その空に広がる赤々とした炎だった。


「す……ごい。でも、なんでこんな魔法があるのに・・・・・・」


 一見、全てを焼き尽くしても余りあるほどの炎だ。では、それをもってなぜ戦いが終わらないのか。


「あいつが、炎に生き物を傷つけない様に命令しているのよ……」


 グリーンは苛立った様子で言った。

 それはティーチの安否を思っての苦悶の表情でもあり、今にも溶けてしまいそうな氷の壁と町への被害を考えての焦燥の顔だった。


「じゃあ……ティーチは誰も殺さないであいつらを追い返すつもりなのか?そんなこと…いくらあいつでも……」


 その言葉と、事態の悪化は同時に起こった。町を守る氷の壁の一部が崩れ、凄まじい熱風と共にパウロに降りかかったのだ。


「う……うわぁぁー!!」


 目を瞑ったパウロは暫くして身体に痛みが無い事に気付く。

 変わりに身体はなにか暖かいものに包まれているかのようで、それは先程まで氷の壁の副作用として冷やされた町にいたパウロにとってとても心地の良いものだった。パウロが恐る恐る目を開くと、そこには彼を庇うように覆いかぶさるグリーンの姿があった。


 まるで我が子を守る母親の様に力強く、それでいてやさしくパウロに覆いかぶさっていた。


 パウロを庇ったグリーンの背中は氷の破片で多少のすり傷はあったものの、大怪我には至っていない様だ。


 無論、人体には影響が無いとはいえ強力な熱風を浴びたグリーンの背面は衣服が溶け落ちており、その姿にパウロは謝罪も礼も言葉をかけられずに、息を呑んだ。


「うーん……子どもでもやっぱ男の子ね……スケベ」「ええっ??」


 グリーンがからかう様に言うのを聞いて、パウロは初めて自分がグリーンのはだけた背中を凝視していた事に気付いた。


「えっと・・・・・・その、ごめんなさい。あと、ありがとう・・・・・・」


 その言葉は色々な意味にとれたが、パウロはそれを言わず、グリーンも聞かずにほほ笑んだ。


「・・・・・・どうやら全部おわったみたいね」


 グリーンはそう言って空を見上げた。

 空はいつの間にか朝日が差し込み、そこにあった氷の壁は町を囲む虹のカーテンへと姿を変えていた。


「あっ……ティーチ」「あっ、ちょっと!?」


 パウロの言葉と行動は同時だった。

 グリーンの静止も聞かず全速力で駆け出し、東の門を出る。そして、ふと気付く。グリーンは終わったと言ったけれど、勝ったとは言ってはいない……幾ばくの不安が過る。


「大丈夫だ……ティーチが負けるわけが無い。グリーンも心配している様子は無かったし……」


 言い聞かせる様にそういいながら、少年はただただ無事を祈って走った。

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