第3話 ボウエンギョとの邂逅
弁論部一年の俺は、自分には何かがある、何かが出来ると思っていた。
他の人よりも特別な何かが。
むろん俺に「特別な何か」など無かった。
そんな妄執じみた思考を展開した時点でもうそれを手にする機会は失われているし、この先も掌中に収めるのは叶わないだろう。
しかし不幸にも、がきの頃から口だけは達者だったから、そんなありがちな、痛々しい俺の思い込みはますます補強された。
相手のあらを探し、あげつらい、裏をかいてこき下ろす。それが出来れば、「上手い」弁論なのだと錯覚していたのだ。
今思うと俺のあれはただの口喧嘩であって、理性でもって主張の剣を交わすディベートとは根幹からして異なる物だった。
弁論部の部長もそれが目に余って、
「お前は向いていないよ」
と吐いたのだろう。
あの時の部長の顔は、鮮明に思い出すことが出来る。
苦々しげな顔だった。
どうして解ってくれないのかと問われるような、善意から来るもどかしさが垣間見えたが、それを汲むことはしなかった。
部長の優しさをはね除けたのは俺だった。
ディベートはチームを組んで行われることも多い。俺と部長が組むことがあった。
部活の、他校との弁論大会でのことだった。
俺は部長の提案した丁寧な説を、極端な反例ばかり挙げて突っ張ね、自説を半ば強引に通し、攻守ともにでしゃばり、その結果、全国を決める大切な試合で当然のように負けた。
そう言った経緯で俺は部活で孤立した。
当然のなりゆきだった。
そんなことがあったから、冬休みの部活の合宿で、自分だけが置いていかれたと理解した時もそれほど驚きはしなかった。
ホテルをチェックアウトした帰り、帰りのバスのサービスエリアでのことだった。
いつの間にか、乗るべきバスが消えていた。
口裏を合わせて上手くやられたのだろう。
ただただ、虚しさが残る。
「ひとりぼっちか」
置き去りにされて頭が冷えたのか、それまでの自らの言動を、客観的に眺めることが出来た。いくつかの記憶と、いくつかの痛みが胸中に去来し、息苦しくなる。
俺を信頼しろ。
大丈夫、出来るって。
何でそんな馬鹿丁寧に説明してやる必要があるんですか、相手言い負かせば勝ちなんだ。
脳裏に映っていたのは、俺の形を取った、傍若無人で醜悪な木偶の坊だった。
これが今までの俺だ。
こんな物が今までの俺なのだ。
俺はひとしきり泣いてから、見知らぬ土地の見知らぬ道へとヒッチハイクに向かった。
両親には心配を掛けたくなかったが、だからと言ってこの捨て鉢な気持ちをどこかにやることも出来なかったので、妥協策として、賭けにも近い方法で帰宅することにした。
両親には観光の為、帰りが何日か遅れるかも知れないと連絡し、宿泊場所の目処は立っていると嘘を伝えたら、人のよい両親は素直に了承してくれた。
金を送ろうかとも提案されたが、断った。
これで家に着いたのならそれで良いし、道中事故や犯罪に巻き込まれて俺が終わってしまうならばそれもまた良し。
どちらにせよ、あまり生きていたくない。
俺は暗澹たる気持ちで歩き出した。
結局、サービスエリアをぶらぶらしている所を見知らぬ夫婦に見とがめられ、半ば強引に事情を聞き出され、家に送って貰ったのを思い出す。両親には、今でもこのことを言っていない。
部長は合宿後、いつも通り部活に顔を出した俺に何も言わなかったし、俺も何を話せばいいのか解らなかった。
その頃の弁論部は俺に取って限りなく居心地の悪い場所だったけれど、それでもここで、退部なりなんなりと言った逃亡のポーズを取れば、決定的な何かに敗北する気がした。
下らない意地だ。
そんな、宙ぶらりんかつ火あぶりじみた状態が何ヵ月か続く。
俺は路傍の石のように、蹴飛ばされ、無視されながら、確実に心を磨耗させていった。
「あなた、深海魚みたいだ」
あの日、深海少女に出会うまでは。
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