第12話 魔王アリーシアの因縁

 暗闇の書斎で、彼女は椅子に座って月夜を仰ぎ見る。


「――なるほどね。概念結界か。果たして意図した物かどうかはわからないが、辿り着くのには俺でも少し時間はかかる。だが――」


 彼女の影から、幾本もの矢印のような形の線が窓へと伸びていった。


零極アカシックレコードへの道を進む者……それが我が術式の定義だ」


 それはまるで這い回る無数の蛇のように、闇の中を蠢く。


「……見つけるのは時間の問題だな。――とはいえ」


 彼女は自身の足元に目を向けた。

 そこには髭面の男――ファグスが白い蛇のような軟体に体を縛られ、呻いている。


「……さすがに未接続では魔力量が足りないか。どうやら経路パスの大半はあの子に持っていかれたらしいな……忌々しい術式だよ、本当に」


 そう言うと彼女はヒールのついたカカトでファグスを蹴りつけた。

 男が痛みに声をあげたのと同時に、彼女はその顔に笑みを浮かべる。


「しかしまあ……わずかな魔力でも出来ることはいろいろとある」


 彼女はその場にしゃがみ込み、ファグスの瞳を覗き込んだ。

 彼女の目が緑色に光り、彼女の影が男の体を覆っていく。

 ファグスはそれに目を見開いたかと思うと、すぐに目の焦点を失いぼんやりと虚空を見つめた。

 彼がまるで抵抗する力を失くしたかのようにその体を投げ出すと、ファグスを縛っていた白い軟体は拘束を解いて消え失せる。


「――さて、どんなパーティを開いてあげようかな」


 闇夜の中、少女の笑い声が響き渡った。



  §



「えーと……状況がさっぱりわからないんですけれども」


 突然ダンジョンに兄が訪れたので、とりあえず中へと招き入れたのでした。

 傷だらけながらもさすがマッチョ。

 兄は生成した包帯を巻きつけ軽く手当しただけで、今やぴんぴんとしています。

 元からかすり傷だったようではありますが。

 その後リビングでわたしが作っていたおやつを食べながら、兄は家であったお話を聞かせてくれたのでした。


「……やはりラティの卵料理は甘ったるいな……」


 兄は木べらでクリームの乗ったプリンを味わいつつ、そんな失礼なことを言いました。


「プリンはデザートですから、甘いのが正しいんですよ……!」


「……なるほど。エンシス様は甘いのが苦手……!」


 隣ではサニーちゃんがそれに感心するようにコクコクと頷いています。

 ……いえいえ兄の個人情報なんて今はどうでもいいんですよ。

 そんなことよりもまず、整理しておきたいお話は――。


「――リビス姉さんが魔神に乗っ取られて父さんを……?」


 ……突拍子もない話でした。

 そんなこと突然言われても、とてもじゃないですが信じることは難しいです。

 兄さんが頭を打って妄言を口走っている、と言われた方がまだ信じられます。

 そんな考えをわたしの表情から読み取ったのか、兄は困ったような表情を浮かべながら口を開きました。


「……俺はおじいちゃんが死ぬ前に少しだけ聞かされていたからな。……まあ俺もおとぎ話のような物だとは思っていたが」


 兄はそう言って目を伏せます。

 どうやらその様子から察するに、どこまでも真剣なお話のようでした。

 

「……いえ、疑うわけではないんですよ。……わたしもこんなダンジョンで管理者なんてやっていますし」


 ダンジョンの管理者になるなんて、なかなか出来る体験ではない気がします。

 そんな不思議な経験をしたのであれば、今更魔神の一人や二人、出会ったとしてもおかしくはないのかもしれません。


「とはいえ、あのリビス姉さんが魔神……ですか……」


 リビス姉さんとは親しかったわけでもありませんが、物静かな方だったように思います。

 まあ、べつにあの人に思い入れはないんですけれど。

 ……我ながら随分と薄情な話かもしれません。

 でもあの家でわたしが暮らしだしたのも、10歳を越えてからのことです。

 父と兄以外はあまり交流を持っていませんでしたし、家族に対しての思い出は大変希薄です。

 なのでリビス姉さんには悪いですが、彼女自体には別段思う所もありませんでした。

 ふーん魔神なんだーそっかー、という感じで、それ以上の感想が思い浮かびません。

 そんなことよりも、わたしにとって重要なのは――。


「――なぜ魔神さんは父さんを……?」


 そうです。

 あの日なぜ、彼女は父を殺したのか。

 わたしの疑問に、兄は言葉を選ぶようにしつつ口を開きます。


「……奴の言葉から推測するに、たぶん邪魔をされたせいなんだろうな」


「邪魔……?」


 魔神さんは何か目的があるということでしょうか。

 聞き返すわたしに、兄は頷きます。


「奴は『アカシックレコードに繋がりにくい』というようなことを言っていたが、おそらくはそれが奴を封印する呪術の効果なのだろう」


 アカシックレコード……?

 ええと、どこかで聞いたような。

 思い出そうと頭を捻るわたしをよそに、兄は話を続けます。


「母上から聞いたが、魔神に対抗する為に曽祖父は俺たちの血筋に一つの呪術を仕込んだらしい。魔神はその呪術を使っているのが父だと思って殺したのだろう」


「父さんがそんな魔術を……?」


 あんまりそういうのが得意そうな人ではありませんでしたけど。

 わたしの言葉に、兄は首を横に振りました。


「いいや、父上は何もしていない。実際にその呪術の核になっていたのは――お前だ、ラティ」


 兄はそう言って、まっすぐにこちらを見つめました。


「……へ? わ、わたし?」


 思わず自分のことを指差すわたしに、兄は頷きます。


「俺は魔術には疎いのでその仕組み自体はわからないが、封印を施す為には血を分ける必要があったらしい。2つの血筋に、魔神の子と、そしてその力を封印する為の子供。それぞれが1人ずつ」


 わたしはいわゆる腹違いの子というやつで、兄やリビス姉さんとは母親が違います。

 魔神として生まれたリビス姉さんを封印する役割がわたし……という話なのでしょうか。

 ……ええ? 本当にわたしが?

 兄さんではなくて?


「……と、突然そんなことを言われても困るといいますか、わたしは特に何もできないんですけど……」


「それは俺に言われても何もわからん。たしかにラティのような役立た……無の……普通の者に、何か出来るような気はしないが」


「今、『役立たずで無能』って言おうとしましたよね」


「言い切ってないからセーフだ」


 この兄は人のことを何だと思ってるんですかね……!

 そりゃわたしは騎士団にいる兄と違って戦ったりすることはできませんけども。

 ……いえ、今ではアリー先生に稽古を付けてもらったので、ほんのり戦えるぐらいにはなっているかもしれませんが。

 わたしの言葉を受け流しつつ、兄は真面目な表情を浮かべてこちらを見つめました。


「……ともかく、魔神はお前の命を狙っている。お前の命を守るために、俺はここへ来たんだ。……半分は、あの化け物から逃げ出してきただけだが」


 どうやら兄はわたしのことを心配して助けに来てくれたようです。


「な、なるほど……。……ええと、一応お礼を言っておいたほうがいいんでしょうか」


 そんなわたしの言葉に兄は首を横に振りました。


「妹を助けるのは兄として当然の責任だ。……リビス含めてな」


 彼はそう言って、大きくため息をつきます。

 兄からしてみれば、血を分けた妹二人の姉妹喧嘩ということになるんでしょうか……。

 ……ともあれ、そんなことをいきなり言われてもどう対処したものかわかりません。

 ここは魔術や呪いに詳しい人の知識を借りたいところですね。

 わたしがそう思うのと、彼女がリビングルームに入ってきたのは同時でした。


「――話は全て聞かせてもらいましたわ。間違いないですわね……魔神ラウギア。『彼』のことでしょう」


 アリー先生は静かにそう言いながら、その姿を現します。

 兄は彼女の姿を見て、小さくつぶやきました。


「スケルトン……だと……」


 兄は視線をわたしへと移して言葉を続けました。


「……ラティ。サニーさんといい、お前の友達を選ぶセンスはその……とてもユニークだな」


「拙者スケルトン殿と同じ枠なんですか!?」


 隣でプリンを食べていたサニーちゃんは、そんな驚きの声をあげるのでした。



  §



「……そう、そこで彼は逆流する魔力を一身に受け止めて、わたくしの身代わりとなったのです。その後、何度もわたくしは後悔しましたわ。自身の傲慢さを呪い、そして死した後もこうして――」


「――あ、晩御飯出来ましたよー。今日はシチューにしてみたんですよー」


「緊張感が無いですわね! きちんと聞いてらしたの!? ラティさん!」


 三時間ほどのアリー先生の大長編物語を聞きながら、わたしたちは思い思いにその間の時間を過ごしていたのでした。

 わたしの場合はミアちゃんと一緒にちょこちょこキッチンで晩御飯の仕度をしつつ聞いておりました。

 台所はアリー先生の声が届く範囲ですので、決して話を聞いてなかったわけではないんですよ。

 途中何度か居眠りしてた兄とは違って、わたしは真面目な生徒です。


「拙者は……拙者はアリーシア殿に是非とも協力したい……!」


 一方のサニーちゃんは完全にアリー先生の話に感情移入をしているようで、涙を流しながらそう訴えました。


「拙者に出来ることがあれば何でも協力しますとも!」


 サニーちゃんの言葉にアリー先生はうんうんと頷きます。

 ……アリー先生の話は、たしかに面白い物ではありました。

 アリー先生が魔族を統べるようになった経緯から、当時人間だったラウギアさんと知り合って、そして神を目指して魔術を研鑽したことなど。

 ですがその実験は失敗してラウギアさんは帰らぬ人に。

 そしてそれだけではなく、その時におこなった神へ至る魔術がラウギアさんの魂に呪いとして刻まれた……とのことでした。

 アリー先生はカタカタと骨を震わせながら、口を開きます。


「……彼に子供はいませんでしたから、呪いが降りかかったのは近親者の血族でした。……しかし直系でないとはいえ、まさかラティさんたちが彼の血を引く者だったなんて……。偶然……ではないのでしょうね」


「……運命というやつです?」


 わたしの言葉にアリー先生は首を横に振りました。


「いいえ、これは『必然』でしょう。おそらくはあなたの力に引き寄せられて、全ての事象が動いているのです」


「そんな無茶な……」


 わたしの『迷子』にそんな大層な力があるのであれば、もうちょっと都合よく人生が進んでくれてもいいんじゃないでしょうか。

 たとえばダンジョンの中に素敵なスイーツ店が引っ越してきてくれるとか。

 そんな能力だったらわたし、今よりも何倍もハッピーな人生を過ごせる気がします。

 しかしわたしのそんな思いをよそにアリー先生は静かに説明を続けました。


「ラウギアは全知全能に至ろうとした失敗作……神のなりそこないです。そしてお話を聞くに、おそらくは呪いによってその魂までも歪んでしまったのでしょう。元来、転生術など邪法中の邪法ですしね」


 アリー先生が以前言っていましたが、それは他者の体を乗っ取り利用する非道な魔術とは聞いております。

 それ故に、副作用やら何やらがあったのかもしれません。

 そんなアリー先生の言葉に、兄が口を開きました。


「……奴を倒すにはどうしたらいい? 無数の魔力の矢に、矢を変化させた白い人形。そして何より、首を切り落としても動き回るしぶとさと、すぐに繋がる再生力だ。どうにかしてあれを殺しきらなくてはいけない」


 ……兄さん、いったいリビス姉さんとどんな戦いを繰り広げてきたんでしょう。

 話を聞くだけだと、めちゃくちゃハードなバトルをしてきたように聞こえます。

 ていうか魔神って、そんな凄い物だったんですね……。

 わたしの感心をよそに、アリー先生は考えるように口元に手を当てました。


「おそらくそれらは全て、呪いによる力です。零極ぜろきょく……アカシックレコードに繋がる為の力。それが彼に刻まれた呪いであり、術式です」


「アカシックレコード……さっきも聞きましたね」


 聞き覚えがある言葉です。

 ええと……そう、その言葉はこのダンジョンに来てすぐに聞いたような。

 そんなわたしの様子を見ていたヨルくんが、ぽよんと跳ねました。


零極アカシックレコード。それはこの世の根源であり、高位次元に存在する虚数領域のことだよ」


 ヨルくんの言葉を聞いて、ようやく思い出しました。

 そういえば、わたしたちのスキルを見るあの画面。

 ステータス画面を見る時に、そんな場所にアクセスしているとか何とか言っていたような。

 わたしはヨルくんに向け口を開きます。


「……ヨルくん。ご説明のほど、大変ありがたいのですが……しかし残念ながら、わたしにはさっぱり理解できないのでもう少し簡単に教えて頂けると……」


 馬鹿でごめんなさい……。

 心の中で謝るわたしに、ヨルくんは困ったようにぷるぷると震えました。

 ……いえ、だって、わかんないんですもん。

 もうちょっとわかりやすい言葉で説明してください。

 しばらくするとヨルくんは、何かを諦めたようにぐでんとその体を引き伸ばしました。


「……アカシックレコードは、いろんな情報や力がたくさんある場所だよ」


 うん、理解しやすくなりました。

 最初からそう言ってくださいよー。


「……ええと、つまり魔神さんはその『アカシックレコード』という場所から力を取り出している……ということですか?」


 そう言ったわたしに、アリー先生は首を横に振ります。


「いいえ。もし自由に繋がることが出来るなら、もっと大事おおごとになっていることでしょう。具体的には、王都が壊滅するぐらいには」


「ふぇっ!? そ、そんなに!?」


 魔神さんってそんな凄いんですか。

 もしくはアカシックレコードとやらが凄いのか。

 ……もしかして、のんきにシチューを作っている場合じゃない?

 驚きを隠しきれないわたしに向かって、アリー先生は頷きました。


「そうですわ。……しかしだからこそ、彼が零極ぜろきょくにつながっていない今ならまだ間に合います。……そして彼を倒すその鍵は、当然――」


 アリー先生は、その髑髏の眼窩をわたしへと向けました。


「――あなたですわ。ラティさん」

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