case6:兄妹

兄妹①

 終業式も差し迫った十二月の頃。彼は学校内部を彷徨っていた。

 放課後の閑散とした校舎は真っ赤な夕焼けに染められ、時折強く吹き付ける北風にぶるりと窓が震えている。

「はぁ……ないな」

 どうやら彼は何かを探しているらしい。

 校内はまだ暖房がついており、外に比べれば申し分ないのだが、それでも指先は冷えたまま。ポケットに突っ込んで寒さを凌ぐ。

「あー、帰りたい……」

 そんなことを呟いていると、目の前の教室に目がとまった。

「学園相談室ラビリンス」と書かれた看板。

 どうもここは特別教室棟のようで、見知らぬ教室がいくつも並んでいた。

 この辺境とも言える場所に相談室があるのも不思議な話だが、そもそも、今の時間帯に人がいるのだろうか。怪しい。

 いないにしても、指先の冷えが限界にきていた。もし、鍵が空いていたら休憩するか、と彼はドアに手をかけた。ノブを回すとすんなり開き、恐る恐る中を覗いた。

「ノックも無しに入って来るなんて、とんだ非常識人ね」

 その非難は唐突に、彼の肩を刺激するには充分だ。

 驚いて見てみると、教室の真ん中に置いたゼミテーブルに座った女生徒が待ち構えるかのように腕を組んでいた。

 背中を流れる長い髪、白い肌と赤い唇が目立つが、少々不健康そうである。

「すみません!」

 すぐさま謝るも、彼女は鋭い目つきでこちらを睨みつける。

「もしも、のことは考えなかったの?」

「も、もしも?」

「そう、もしも。例えばね、私が着替え中だとした場合、貴方は一体どうする気なのかしら?」

「はぁ?」

 突拍子もない言葉に、彼はしどろもどろ。しかし、そういった場合も頭に入れておくべきである。配慮が足りなかったのだろう。

「えと……あの……すみません……」

 ドアに張り付き、彼は困惑の表情を浮かべていた。

 途端、「ふっ」と小さく吹き出す音が彼女の口から発せられた。腕を組んだ女子生徒は表情を緩め、くすくすと笑い出す。

「冗談よ。なかなか誰も来ないから退屈していたの。悪かったわね、からかって」

 その言葉に気が抜けたのは言うまでもない。

「そんなの冗談とは言いません。悪質な悪戯、もしくは嫌がらせってやつです」

「そうでもしないと、退屈なのよ、ここは」

 まったく悪びれる様子がないので、彼は溜息を吐いた。こんなことで笑えるなんて、よほど退屈していたのだろう。

「……あの、ここって相談室なんですよね?」

「そうよ。私が室長の雅日みやび智夜子ちやこ。この学校の生徒でもある」

 事務的にサラリと答える。そして、ニヤリと口元で笑うと、智夜子は人差し指を向けて鋭く言った。

「貴方、二年E組の大吉くんでしょう?」

「え?」

 驚いた。彼女と面識があるわけないのに言い当てられ、思わず後ずさってしまう。しかし、腰にドアノブが刺さり、逃げ場がないことを悟った。

「よく、知ってますね……」

「ええ。貴方を待っていたのよ」

 何やら含んだ物言いをする。 

 智夜子は自分の向いにあるパイプ椅子に大吉を促すと、肩にかかる髪の毛を鬱陶しそうに払った。


 雅日千夜子。年上なのか同学年か下なのか分からない。年上だと言われれば、その艶っぽさに頷けるし、悪戯な笑みは年下の無邪気さにも思える。

 不思議な人物だった。

「それで、悩みは何かしら」

 彼女はゼミテーブルに座ったまま、大吉を見下ろして訊く。自然と彼女を見上げる形になり、首を傾げながらも大吉は「悩み」とやらを思い巡らせた。

「悩み、ですか……うーん……あぁ、探しているものが一つ」

「探し物、ね。どんなもの?」

 しかし、その言葉に返すものは出てこなかった。天井を見上げ、彼は脳の中身を探るように唸った。

「分からないの?」

 智夜子は尚も問う。

 探しているもの、はある。しかし、そう言えば自分は何を探していたのか

 ど忘れにも程がある、と自嘲する。

「すみません」

 苦笑を見せる彼に、智夜子は「そう」と溜息混じりに短く返した。

「だったら探しようがないじゃない。いい加減に諦めなさいな」

「なんでそうなるんですか」

「だって、分からないものを闇雲に探したって見つかりっこないわよ」

 ふんぞり返って言う智夜子。

 確かにその通りだが……そう簡単に諦められない、形のない執念がみるみる湧き立つ。

 大吉は頭を抱えた。ひやりと冷たい指先で額を触る。

「でも、探さないといけないんです。えっと、その、妹が……」

 咄嗟に出てきた「妹」という言葉。

 まるで、うっかりと口が滑ったかのように、ぽろりと吐き出される。思考の中に、妹の里美さとみが姿を表した。

「そう。妹が、大事にしてたものですから」

「ふうん……」

「この間、妹と喧嘩して……どうも妹が大事にしているものを僕がなくしちゃったみたいで……それで探しているんですけど」

「まぁ、随分と妹思いなお兄さんね」

「よく言われます。妹に甘いって」

 大吉の言葉に、智夜子は苦笑した。つられて大吉も笑う。

「でも、もう年頃なんだし、妹さんに構いきりじゃ駄目でしょう? ええと、妹さんはいくつだったかしら」

「一つ下です」

「それなら過保護にならなくたっていいでしょう? 嫌われるわよ」

「やっぱりそうなんですかね……最近、言う事を聞かなくって……」

 言葉が口をついて出て来る。

 そうだった。だから、自分は今寒い思いまでして妹の大事な物を探しているのだ。

 しかし、それは何だったのか。言葉は考えなくても出てくるのに探し物だけがとんと見当がつかないのだ。

 さて、どうしたものか。出口の見えない迷宮を歩いているようで、少し不安になってくる。

 すると、智夜子の真っ赤な唇が動いた。

「ま、兄妹なんてそんなものよ。早く帰って謝ればいいわ。探し物は見つかりませんって。それでいいでしょ」

「そんな! 見つからなかったら、絶対に許してくれませんよ!」

 必死に訴える大吉。対して、智夜子は呆れを顕に眉を寄せる。

「情けないわね。兄でしょう? そんな風だから舐められるのよ」

 ピシャリと言われ、大吉は項垂れる。

 頼りない兄だとは自覚しているのだが、こうも他人に指摘されるとへこんでしまうもの。里美にいつも言い負かされることを思い出し、更に気が滅入ってくる。

 黙り込む彼に、見兼ねたのか智夜子は一息ついて言った。

「――妹さんのこと、本当に大事なのね」

「まぁ……」

 気が抜けたように笑う彼を、智夜子はジッと見つめていた。その視線が痛い。

「その感じでずっといると、妹さんに彼氏ができちゃった時どうするの?」

「それはない、と思いますよ」

「どうして?」

 大吉は躊躇った。

 脳内に蘇る記憶に、里美の虚ろな目が浮かぶ。それを打ち払おうと、彼は首を振るった。

「……話せないほどの何かがあるのね?」

 大吉は息を止めた。まるで、思考を全て覗かれているかのように、智夜子の言葉には真実が潜んでいたのだ。

 葬ろうとした記憶が、無理やりに引っ張り出される。

 やがて、彼はゆるゆると息を吐き出した。

「妹は大の男嫌いなんです。それにはまぁ、事情があると言うか……」

 大吉は段々と言いにくそうに口ごもる。黙り込んでしまうと、智夜子が口を開いた。

「事情ねぇ……どうも怪しいわね。でも、言いたくないのなら、無理に言わなくたっていいのよ」

「……すみません」

「いいのよ、貴方が気にすることじゃないわ」

 素っ気ない口調なのに、幾らか気持ちは楽になる。大吉はパイプ椅子の背にもたれた。

 言えるはずがない。妹の里美が、どうして男嫌いになってしまったのかを。

 探し物はまったく思い出せないのに、そういった忌まわしい記憶は自然に巡る。

 里美が過去に誘拐されてぞんざいに扱われたことなど、全て無かったことにしたいのに。

 無邪気に笑う妹は、虚ろな目をして帰ってきた。無事で何よりだったのに、抜け殻の身体を抱きしめた時は、震えが止まらなかった。

 ――あぁ、鮮明に思い出せてしまう。

 嫌な記憶は、どうしても拭いされないものなのだろう。忌々しい。

「とにかく、俺がきちんとあいつを見ておかないと、駄目なんですよ」

「ふうん……そう」

 智夜子は思案顔で、大吉を見た。真っ黒の目。

 それを見ていると、何もかもを見透かされそうに思えてくる。慌てて逸した。

「それにまぁ、あいつ、不登校ですし。その、とある事情のせいであまり外に出たがらないし」

「あらあら、おかしな話になってきたわね」

 すかさず口を挟む智夜子。しかし、その言葉の意味が分からず、大吉は「え?」と首を傾げる。

 何か、おかしなところがあっただろうか。

「気付いてないの? 貴方、さっき、自分で言ったじゃない。妹の持ち物を探しているって。でも彼女は不登校なんでしょう? 学校を探したって見つかるわけないわよね」

 大吉は口をつぐんだ。

 確かに、言われてみればその通りだ。

「あれ? おかしいな……」

 自身で発した言葉に矛盾が見つかるのは、気持ちが悪い。

「えーっと、あぁ、そうそう。俺が学校に持ってきちゃって。それで失くしてしまったんですよ」

 そうだと思う。でなければ、辻褄が合わない。

 自分のことなのに、どうしてこうも自信がないのか。言われずとも情けないとは分かっていた。

 智夜子の目は鋭い。だが、彼女はとやかくは言わない。パン、と両手を合わせると、気持ちを切り替えるかのように愛想良く笑いかけてきた。

「そういうことね。よく分かったわ……それで?」

「え?」

「他にも悩みがあるんじゃないかしら。妹さんのことで」

 智夜子の言葉に、大吉は眉間に皺を寄せた。

 どういうことだろう。そんなにも人の悩みが聞きたいのだろうか。

 訝るも、思考は「悩み」を探しに向かっている。智夜子に促されるように、ゆらゆらと思考を漂う。

 ――なやみ……。

 浮かんだのは、やはり里美である。

 部屋に閉じこもっていたのに、里美は高校に上がってからはたまに外へ出ているようだった。

 不登校だが、たまに学校へも行っている様子。

 そんな妹が、最近、何か……

「変なんです」

 浮かんだのはその言葉。

 それから、大吉はポツリポツリと話し始めた。

「妹が、その、変なんです。俺のことを付け回したり、やたら俺の部屋に入り浸るし……とにかく変で」

 なんと言えばいいのか。

 里美の潤んだ目を思い浮かべ、彼は顔をしかめた。悲しいわけでもなく、怒っているわけでもなく、ただただ向けられる視線に熱を感じる。

 それが原因で、言い争いをしてしまったのだ。普段は、優しい兄でいようと心がけていたのに、つい口調を荒げてしまって。

 悪いことをした、と反省はしているのだが未だに謝れないでいた。

「変、ね……」

 ゆっくりとした智夜子の声。仰々しさをたっぷりと含ませている。

 そして彼女は、細長い人差し指を大吉の額に真っ直ぐ向けた。

「それは貴方、好意を寄せられているのよ」

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