case3:恋愛相談

恋愛相談①

 ポーン、となる音がいつしか大嫌いになっていた。

 それでも、その日も彼のスマートフォンは音が鳴り止まない。


 ―― 未読メッセージ ――


〈ユカ〉 返事ちょうだい?

〈ユカ〉 ねぇ、今なにしてるの?

〈ユカ〉 なんで返事返してくれないの?

〈ユカ〉 返事してよ……

〈ユカ〉 寂しいよ……

〈ユカ〉 もう死にたい


 ――――


さとし〉 ごめん 寝てたから


 ***


 帰り際、廊下が混み合っていたとこともあり、別の廊下から昇降口へ向かおうと思ったのが間違いだった。

 ただ気怠く、人混みを避けただけだったのに、こうも道が多いと迷ってしまうのだろうか。明らかに、この人気のない廊下には、今まで足を踏み入れたことがない。

 無音の空間は非の打ち所がなく静かで、まるでそれは聖堂のようだった。

 そんな清らかさをも感じる空間に、彼はわざと音を鳴らす。踵をこすりながら、一歩ずつ冷たい床を踏んだ。

 何の教室なのかが分からない、プレートのない入り口が並んでいる。

 ここへ来たことがない、というのは当然のことだったのだろう。ここは恐らく、今は使われていないフロア。来る用事がないのだ。

「ん?」

 高をくくっていたところに、ふと目に留まるものが。

 教室のドアに掛けられた「学園相談室ラビリンス」という看板を見つけた。

「相談室……?」

 この学校にも、そういったお悩み相談所のようなものが存在したのか。

 自分には無縁だとばかり思っていたのもあり、無知だったことに改めて気付かされる。

 しかし、わざわざこの辺境に室を構えているとは。

 ――どうせ中年の教師がこもっているだけなんだろう。

 そう勝手に思い込み、鼻で笑って通り過ぎようとした。

 その時、突然にその教室から物が倒れるような、何かを叩きつけたような音が響き、瞬時にドアが開いた。

「二度と来るか! こんなとこ!」

 荒々しい剣幕で怒鳴る女子生徒が飛び出す。

 ドアの前にいた彼と目が合い、気まずそうに目を逸らした。

 茶色の巻き髪が特徴的なその女子生徒。胸元に小さく貼られたプラスチックの名札に「3-C」という文字を見つける。どうやら隣のクラスの生徒のようだ。見るからに派手で、薄っすらとファンデーションの匂いがした。

 こういう女子は彼の苦手なタイプであったので、思わず眉をしかめてしまう。

 ――一体、何があったんだ……。

 ただならぬ雰囲気だったこともあり、気になってしまう。中を少しだけ覗こうと、閉まりきれていないドアの隙間を覗いてみた。

 すると、その

「……何か?」

 隙間が物を言う。彼は驚いて仰け反った。

 キィっと、耳障りな蝶番の音がし、細く開いていたドアが静かに開け放たれる。

「今日は多いわね。私、もう疲れたわ」

 そう言って現れたのは、白い肌に、赤い唇をした髪の長い女子生徒。切りそろえられた前髪が日本人形を思わせ、確かに顔立ちも精巧である。

 その美しい顔を、歪めて険しくさせているのが勿体無いと思えた。

「もしもし、聴こえてる?」

 呆けていると、目の前の彼女は溜息を吐き出した。

 その息がかかり、彼はようやく我に返る。

「あ、えっと……俺、別に相談とかじゃないんだけど……」

 早口で答えると、彼女は不機嫌そうな顔をようやく緩めた。

「じゃあ、何しに来たの?」

「いや、さっきすごい音が聴こえたから……」

「あぁ……まぁ、なんでもないのよ。さっきのは。それよりも」

 鋭い眼差しが彼を刺す。見透かすようなその目に思わず固まる。同年代の女子を相手に、ドギマギとすることは今までになかった。

 彼女は不敵な笑みを浮かべて、そっと近づくと、真っ赤な唇をゆっくり開いた。

「貴方、三年D組の飯原いいはらさとし君でしょう?」

 彼は目を見開いた。一瞬にして浮ついた気持ちが恐怖へと変わる。

「なんで知って………」

 それだけ言うと、彼女はふふふ、と含んだ笑い方をした。

「なんででしょうね……でも貴方、そこそこ有名よ?」

「は?」

 覚えのない言われに慧は怪訝な顔をする。そんな彼に、黒髪の彼女は愉快そうに目元と唇を緩ませた。

「貴方って、なかなか女の子に目がないらしいじゃない? 手当たり次第ですってね。さっき来た子も、貴方にたぶらかされた、とか、騙された、とか、言っていたけれど」

「はぁ?」

 またもや覚えのないことだ。言いがかりも甚だしい。

 慧は不快感顕に、彼女を睨みつけた。

「何かの間違いじゃねぇの?」

「本当に、そう言える?」

「あぁ」

「本当に、そう、言えるの?」

 彼女の声は慧よりももっと強く、冷たかった。ジッと、大きな瞳に睨まれると、何も覚えがないのに後ろめたい気持ちになってくる。慧は目を逸らした。

「いや、だって俺、彼女いるし……」

「ふうん」

 彼女はあまり納得のいかない顔で、思案するように腕を組んだ。

「じゃあ、なんなのかしらね」

「さあな。とにかく、俺は知らねぇ」

 ピシャリと返すと、慧は持っていた鞄を肩にかけ直してその場から離れようとした。これ以上、ここにいる理由はない。時間の無駄だ。

「あ、ねぇ」

 すぐさま呼び止められる。

「何?」

「別に大したことじゃないのよ」

 だったら呼び止めなくてもいいだろう、と慧は溜息をついて女子生徒を見る。

「俺さ、忙しいんだよね。手短にして」

「別に、貴方の貴重な時間を裂いてまで伝えなくてもいいことなんだけれど、一つだけ貴方の為に言っておいてあげようと思ったの」

 嫌味をたっぷり含んだ言い方に、慧の機嫌は最高潮に悪くなる。

 しかし睨んで見ても、彼女に何の効果もなかった。

「その彼女さんには定期的に連絡しなさいね。でないと、貴方はになるわ」

 女子生徒は長い髪の毛を耳にかけながら微笑んだ。

 言葉の不気味さのせいで、可愛げの欠片もない。そして、少しだけ苛立ちが萎んだ。

「えっと……どういう意味?」

「大したことじゃないでしょう? ただ、気を付けたほうがいいから忠告しただけ」

「そんな言い方されたら余計気になるんだけど」

 はっきりしない彼女の物言いに慧は首を傾げる。しかし、心の奥底がざわついたことに気がついてしまい、目を逸らした。

「まぁ、困ったらまた来るといいわ。私は、いつでもここにいるから」

 随分と偉そうな態度だ。

 慧は小さく舌打ちをし、口の端をつり上げて精一杯の愛想笑いを浮かべた。

「……じゃあ、本当に困ったら来てやるよ……えーっと、誰だっけ?」

 そう訊くと彼女は真っ赤な唇から、涼し気な声を漂わせた。

「雅日智夜子よ」


 ***


 暗い部屋に一つだけの灯りが鬱陶しい夜中である。


 ―― 未読メッセージ ――


〈ユカ〉 今何してるの?

〈ユカ〉 今何してるの?

〈ユカ〉 ねえ返事してよ

〈ユカ〉 なんで返事してくれないの?

〈ユカ〉 ねぇ

〈ユカ〉 返してくれないと

〈ユカ〉 死ぬよ、私


 ―――


 彼はその文面を見て、瞼を閉じた。光が眩しく、両目が痛む。その細切れな刺激が脳へと伝っていく。

 いくらか和らいだ後、彼はようやくスマートフォンの画面に指を置いた。


〈慧〉 ゴメン 寝てたから


 嘘の文字が浮かぶ。

「……寝てたんだよ」

 深く息を吸い込み、吐き出す。息が詰まりそうになるといつもそうするのだ。

 ベッドへ身を投げて、スマートフォンの表面を裏にする。

 程なくして、布団と画面の隙間から光が漏れてきた。のろのろと人差し指でひっくり返すと画面に通知が現れていた。


 ―― 未読メッセージ ――


〈ユカ〉 そうなんだ それじゃあまた明日ね


 ―――


 こんなやり取りをいつまで続けるのか。

 彼は光を消すと、そのまま寝入るように枕へ顔を埋めた。

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