第18話 甘い香り 2

     2


 次期社長の洸くんは遊んでばかりもいられない。クリスマスの後は大晦日まで、悟おじさんの仕事へついて回ってお勉強なんだって。だから私も、練習とレッスンの日々に戻る。

「おはようございまーす!」

 Rエンターテイメントのビル内にある練習用のスタジオへ元気良く飛び込んだら、既にみんな揃っていた。

「おはよう姫」

「お姫さんはクリスマス、楽しんだみたいだね?」

「うん! クリスマスコンサートに行ったの。キャロルの合唱とオペラを聴いて、さいっこーな夜だったよ!」

 楽しそうに話を聞いてくれる旭さんと翔平さんに、昨夜行ったコンサートの感動を伝えた。二人は、昨日はバイトの後で夜に朔と三人で集まってご飯を食べたんだって。

「千歳飴。なんか甘い」

 それまで黙ってギターをいじっていた朔が、鼻をすんすん動かして空気の匂いを嗅ぐ。

「ほんとだ。姫、香水変えた?」

 旭さんの鼻が寄って来て、匂いを嗅がれた。翔平さんまで近付いて来て私の匂いを嗅いできて、まるで三匹の犬がいるみたい。

「クリスマスにもらったの。――そんなに甘いかな?」

 今までは、オーランシュさんにもらって気に入って付けていた爽やかな花の香りの香水を使っていたんだけど、洸くんからもらった香水に変えたの。

「これはこれで、お姫さんに合ってて良いんじゃないの?」

「でもまぁ……大人向けの香りだな」

 香りって、自分だと麻痺してわからなくなる。翔平さんと旭さんには、中学生が付けるには大人っぽ過ぎる気もするけど私には似合ってると言ってもらえてほっと胸を撫で下ろした。二人の反応を見る分には、付け過ぎてしまったとかではないみたい。

「前のが千歳飴っぽかった。……甘ったるい」

 どうやら朔はお気に召さなかったらしい。香りって、気に入らない物を嗅がされ続けるのは拷問に近い。だから、スタジオに来る時は前のを付けようかな。でも、折角洸くんにもらったのにな。しょんぼり落ち込みかけた私に、翔平さんと旭さんの笑み含みの声がかけられる。

「朔はあれだろー? お姫さんの彼氏がする事全部気に入らないんだろ?」

「だな。姫は気にしないで好きなのを付けたら良いよ」

 笑顔の翔平さんは戯れ付く為に朔のもとへ向かい、私の側に残った旭さんは大きな手で私の頭を撫でた。こうやって頭を撫でられるのは、くすぐったくて嬉しい。私の前世云々の話を知らないこのメンバーは私をただの中学生として扱い甘やかしてくれる。この三人といる私は子供でいる事を当然のように許されていて、それは酷く心地がいい。優しい大人の手で撫でられながら私は、ふと頭を掠めた疑問を口にする。

「あれ? どうして洸くんからもらったって知ってるの?」

 さっきまでの会話を思い出し、プレゼントしてくれた相手の話はしていないはずだと思い首を傾げた私の頭に手を乗せたままで、旭さんが笑った。

「そりゃあ、クリスマスに香水を贈ってくる相手なんて彼氏に決まってんだろ。それに、クリスマスイブイブに帰って来るんだって姫が自分で言ってたじゃないか」

「そっか! みんな鋭いね!」

「今日、彼は?」

「悟おじさんと一緒にお仕事だって。大晦日までは忙しいみたい」

「なんだ。折角帰って来たのに、それじゃあ寂しいな」

「お仕事だからね。仕方ないよ」

 笑顔で告げた私を優しい瞳で見下ろして、旭さんはもう一度頭を撫でてくれる。その笑みを見上げながら私は、無理してる訳じゃなくて本当に仕方ないって考えてるんだけどなと思う。今洸くんは日本にいるから、夜になったら絶対に会えるもん。

「千歳飴、放置されてばっかじゃん」

 翔平さんと戯れ終わった朔が、唇を尖らせた。高校生らしい意見だなぁなんて感じて、私は苦笑する。

「ずっとべったり出来るのは子供の特権。大人はそうしたくても中々出来ないんだよ」

「お前だって子供じゃねぇか。大人ぶってんじゃねぇよ」

 近付いて来た朔に、ほっぺた抓られた。ちょっと痛い。

「この甘い匂いも、ガキのお前にはまだ早い。……背伸びばっかしてねぇで、同じガキと付き合えば?」

「私って、背伸びしてるみたいに見える?」

「見える」

 断言した朔は、頬を抓っていた手を離して私の瞳をじっと覗き込んで来た。うーむ……って声を出して少しだけ悩んでから、私が浮かべたのはさっきと同じ苦い笑み。

「人生色々!」

 両手で朔のほっぺを抓り返して、笑って誤魔化した。

朔は、自覚しているのかな? もししていないのならこのまま自覚しないで欲しいなんて身勝手な事を、思った。


     *


「これに曲付けてくんねぇ?」

 クリスマスも終わり大晦日までの短い期間、学校が冬休みに入った私達は朝から晩まで集まって練習やら曲作りに励んでいた。そんなある日、朔が私に手渡したのは詞が書かれた一枚の紙。朔は、旭さんに歌詞の書き方を教わってる最中で、自分で納得出来るものが書けたんだなって考えたら嬉しくて、私の顔は笑みの形に緩む。でも渡されたそれを読んで、表面上は平静を装いはしたけど心の中では盛大に、波風が立った。

 窺うような視線を感じたけど顔を上げないようにしてピアノへ向かう。録音のセットをしてから、歌詞を読んで湧いたイメージを音にする。大きく息を吸って私が声に乗せたのは……朔の、心だ。


 ******

 香りがこんなにも心を揺さぶるなんて はじめて知ったよ

 君はいつも いろんな感情をくれる

 手を伸ばしたらいけない存在の君 わかってるけど気になるこの気持ち どう処理すればいい?

 

 香りがこんなにも心を揺さぶるなんて はじめて知った


 背伸びした甘いパフューム 首からぶら下げられた誓いの証

 突っ張ってばかりで強いふりばかりの君が 年齢にそぐわないそれらを身につける

 本当は子供で 弱いくせに

 無理して拳握り締めて 震えながらも一人で立っているくせにね

 何が君をそんなにも雁字搦めにするんだろう


 香りがこんなにも心を揺さぶるなんて はじめて知ったよ

 俺の手には決して入らない 強がりな君に寄り添い甘えさせてあげる その役目

 無邪気に笑う 君が好き

 子供らしく拗ねて怒って いたずらっぽく笑う顔が好き


 君が変えた香りに揺さぶられながら 無理矢理心に蓋をする


 伝えられないこの想い 伝えてはいけないこの想い

 壊したい訳じゃない 笑っていて欲しいから

 どうか ねぇ 想い続けることだけは許して欲しい

 大人ぶった甘い香りにだって いつかその内 慣れるから

 ****


 音の余韻が終わって、スマホの録音を止めた。泣きたい。でも私は、泣いちゃダメだ。朔がずっと、私を見ているから。

「切ない、詞」

 上手く笑えない気がして、俯いて何とか絞り出した苦笑い。それしか私には、言えないよ。

 編曲してもらう為旭さんへ曲のデータを渡しに行くと、そっと頭を撫でられた。翔平さんは朔を連れて何処かに行っちゃった。二人の反応から、旭さんも翔平さんも朔の気持ちを知っているのだとわかった。瞳も詞も想いを伝えてくるけど、はっきり言葉にされる事はない。だから、私も行動しようがない。

「姫。あんま、気にすんな」

「大丈夫」

 無理矢理笑みを作って、旭さんには頷いて見せた。私に出来るのは、変わらない態度でただ待つ事なのだろう。朔が気持ちの整理を付けられる日を黙って待つしかない。私も、朔を傷つけるのは嫌だ。きっともう十分、朔はひっそり傷付いているから。出会った順番も、私の気持ちも、誰にもどうにも出来ない。私の好きな人は洸くん。私の恋人は、洸くんだから。変わらない、変えようのない事実に朔が苦しんでいるのだとわかっているから私は、何もしない。動いてしまえば壊れるものがあるって、朔も私も気付いているから。

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