2 ひょんな事から

第9話 ひょんな事から 1

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 生涯の恋人を求めて鳴く蝉達の声が勢いを増した八月。次の週には洸くんに会えるとそわそわし始めた私は、ワイドショーのリポーターが伝えるニュースの内容に言葉を失った。暇な時にぼんやり流し見する番組の、よく見かける男性リポーターが伝えているのはよくある芸能界のゴシップ。今話題に上っているのは人気モデルの妊娠発覚と電撃引退について。驚くべき事にそのモデルの名前が、悟おじさんの所でデビューするはずだった人と同じだった。テレビに映し出された顔も同じ。という事は、同一人物だ!

 混乱と焦燥感で震える指先で操作したスマートフォンを耳に押し当てる。真相を確かめたくて掛けた電話の相手は悟おじさんで、きっと一番事情に詳しくて、同時に今一番忙しくしているだろう人。当然だけれど、何回コールしてもおじさんは電話に出てくれない。もしかしなくともこのニュースの対応に追われているんだろう。

 なすすべなくぼうぜん自失でテレビを眺めて情報を拾う事しか出来ない私の手の中で、スマホが震えた。液晶に表示されたのは、会う度不機嫌そうに顔をしかめている男の子の名前。

「もしもし朔? ニュース見た?」

「見た。あんた、社長からなんか聞いてねぇの?」

「聞いてない! 私、今ニュース見てはじめて知ったの。おじさんも忙しいみたいで電話繋がらないし……」

「俺、今旭さんと翔平さんといんだけど……あんたも来る?」

「行く!」

 電話を切った後で私は鞄に財布とスマホを突っ込み、サンダル引っ掛けて家を飛び出した。大通りでタクシーを捕まえて朔に教えてもらった場所へ向かう。今後あの三人がどうなるのかを考えていたら、不安過ぎて気持ち悪くなって来た。タクシー降りたらすぐ、目の前にあるアパートの階段を駆け上がり呼び鈴を鳴らす。ここは旭さんが住む部屋らしい。ここに、三人揃っているみたい。

「どなたですか?」

 ドアを開けた旭さんが首を傾げ、失礼な事を言う。何かの冗談かと一瞬考えて、今の自分の格好を思い出した。焦った勢いでそのまま出て来た所為で眼鏡を掛けていない上に、暑いからと長い髪は頭の天辺でお団子に纏めたまま。着ている服はお家仕様で可愛らしい水色のキャミワンピで、悪役美女面はさらけ出されている。更に最悪な事にワンピースの丈は膝上で、カーディガンを羽織る事すら頭に浮かばなかったから露出も激しい。

「……千歳です」

「は?」

 あんぐり口を開けた旭さんを見上げながら、洸くんにバレたら怒られるだろうなと考えて憂鬱になった。しかもここは男の人の家で、三人もいる。バレたらかなりやばい。洸くんに知られたら最後、私の純潔がピンチかもしれない。

「楠千歳です。声、一緒でしょ?」

「嘘だろ? 全然違う……」

 探るような視線に耐えられず、へらりと笑って誤魔化そうとしてみる。だけど旭さんの後ろから翔平さんが顔を出し、事態は更に悪くなった。そんなに興味津々って顔してじっくり観察しないで欲しい。居心地の悪さに視線を俯け、私は身動ぎする。

「めっちゃ美女。誰?」

「千歳ちゃんだって」

「千歳です。なんか……ごめんなさい」

 目玉が飛び出しそうな程に翔平さんの目が見開かれ、暑さによる汗なのか冷や汗なのか、どちらかわからないものが私の頬を伝った。さっきまでの不安に、また違った種類の不安が上乗せされて具合が悪くなりそう。

「とりあえず、入って」

「……お邪魔します」

 どうやら衝撃から立ち直り現実を受け入れたらしき旭さんが家の中へ招き入れてくれ、外より涼しい室内の温度にほっと息を吐く。なんだかくらくらするのはきっと、暑い中階段を駆け上がった所為だと思う。背後で閉まるドアの音を聞いた後でサンダルを脱ぎ、さっさと部屋の奥へと入っていった二人に続いてフローリングの床に裸足の足を踏み出した。1Kの旭さんの部屋は玄関入ってすぐがキッチンで、その奥が生活スペースになっているみたい。旭さんが愛煙している煙草の香りがする部屋で、壁に背を預けてテレビを眺めていた朔の視線が私へ向けられたから、先手を打つ。

「朔、千歳だよ。今日は眼鏡してないお家スタイルで来ちゃっただけ」

「はぁ?」

「だから、私千歳なの!」

 盛大に首を傾げた朔の目の前へ座って、両手で朔のほっぺをバチンて挟む。色んな混乱でパニックになりかけの私を朔の瞳が捉え、いつものしかめっ面を浮かべるでもなくただじっと見つめられた。観察するのとは違う、朔の視線はまるで、何かを見極めようとしているみたい。

「千歳飴?」

「うん」

「マジ?」

「マジマジ」

「すっげぇ可愛いじゃん」

 朔が知ってる私とは違う姿を今はしているけど、会話する内に納得してくれたみたい。声でわかってもらえた事が少しだけ嬉しくて、ずっと強張っていた肩からは微かに力が抜けた。

 力が抜けた事によって、私には余裕が出来たみたい。自分の現状が段々見えて来て、私に頬を挟まれたままの朔が困ったように視線を彷徨わせてからみるみる顔を赤く染める。同時に私も恥ずかしくなって、急いで朔の顔から両手を離した。だって、朔に褒められるのなんて慣れてない。朔が突然照れたりなんてするから、私まで恥ずかしくなっちゃった。二人の間に揺蕩う妙な空気に居心地が悪くなって、私は床に敷かれたラグに視線を注ぐ。毛足の短いラグは夏用の素材なのか、触れてみると少しだけひんやりとした。

「本当超可愛いよね! 中学生だなんて嘘みたい。 なんでいつもあんな格好してたの?」

 人懐っこい笑みを浮かべた翔平さんが身を寄せて来て、居心地の悪さは頂点に達した。これはもう隠れるしかないと、お団子を解いて髪のカーテンを作り中へ隠れる。

「ダサ子で地味子目指してるんです。あんまり見ないで下さい」

「えー、なんでよ? もっと見せてー?」

「いやです。減ります」

 翔平さんは、楽しそうな様子で中身を覗こうとしてくる。狭い部屋の中じゃ逃げる場所なんてなくて、私は身を捩って小さな抵抗を繰り返す。

「……俺も見たい」

 朔まで何を言うか! 流石に二人分の魔の手からは逃げられない。困り果てて視線を送った私のSOSを受け取ったはずの旭さんは苦笑を浮かべ、そっと頭を撫でてくれる。

「千歳ちゃんってハーフ? 瞳、紫だったね?」

 冷蔵庫から出したばかりのジュースを手渡してくれながらの旭さんの問いかけに、私はこくんと頷いた。紙パックのオレンジジュース。ぶすりと刺したストローに口を付け、ジュースの甘酸っぱさと舌に触れた冷たさのお陰で人心地がついた。

「母がイギリス人なんです。それよりニュースの事、みんなは何も聞いてないんですか?」

 私をいじる事をやめて、ジュースを飲む髪の毛お化け状態の私を眺めていたらしき三人がほぼ同時に頷く。

「それねー、俺らも晴天の霹靂」

「たまたま昨夜はここに集まってて泊めてもらったんだけど、起きてからニュース見て三人で驚いてた所だ」

 翔平さんと朔の言葉を引き継いで、旭さんがニュースを見た後で取った彼らの行動を教えてくれた。どうやら旭さんもニュースを見てすぐに悟おじさんに電話をしたらしいんだけど、連絡が付かなくて困っていたんだって。会社へ直接電話する事は現状では迷惑になるだろうと考えて、悟おじさん宛に今後の事に対する問い合わせメールを送り、私の存在を思い出した朔が電話をかけて来たみたい。連絡先は、ボーカルの代打をした時にみんなと交換していたんだ。

「千歳ちゃんが何も知らないのなら、社長からの連絡を待つしかないって事だな」

 数少ない情報をまとめた旭さんの言葉に、翔平さんと朔も同意を示す。本当に、どうなっちゃうんだろう……

「せっかく三人の事を見つけたのに……音も最高なのに、聞いてもらえなくなっちゃうのかなぁ?」

 元々がモデルのデビューの為に集められたメンバーだ。メインだったボーカルが芸能界を引退する事になったのなら、デビューの話はきっと、掻き消えてしまう。

「集められた理由が消えたなら、どうにもなんねぇだろ」

 肩を落とす私の隣で、朔は何でもない事のように告げた。あまりにもあっさりした言葉に少しだけ腹が立って、髪のカーテンの隙間を開けて私は朔に視線を向ける。それに気付いた朔も、気だるげな様子でこっちを見た。

「朔はそんな簡単に諦められる? 朔は歌えないの?」

「歌は人並みだな。千歳飴がボーカルになってくれたら解決すんじゃねぇの?」

「それだ!」

 朔の言葉に飛び付いたのは旭さんで、妙案を見つけたように顔を輝かせている。

「千歳ちゃん。俺らを助けると思って、お願いします!」

 翔平さんには土下座され、戸惑う事しか出来ない私を三対の瞳が期待を込めて見つめてくる。どうしたら良いのかも、何と言ったら良いのかもわからないままで私は視線を彷徨わせた。

「まだ社長からの連絡次第だけどさ、掴みかけた夢を俺は諦めたくないんだ。もし、どうしても嫌とかじゃないのなら、考えてみてくれないかな?」

 旭さんと、朔までが土下座で頭を床に擦り付けるこの状況。

「なんか……まるで女王様?」

 混乱と困惑の極致に陥った私は思わず、冗談で誤魔化そうとしてみたんだけど……どうやらこれは失策だったみたい。彼らに余計な餌を与えてしまったようで、更に困る事態に陥った。

「いいねー。これからはお姫さまって呼ぼっかなー」

「姫。良い返事期待してる」

「頼むぞ、千歳飴」

 誰かこの人達を止めて! って思いながら、私は膝を抱えて蹲る事しか出来なかった。

 それからしばらくは見た目の事とお姫様扱いされていじめられ、私が旭さんの家に来てから三十分程時間が過ぎた頃に悟おじさんから旭さん宛に電話が来た。状況説明と今後の話し合いをしたいから事務所に来てくれと言われたようで、私もみんなと一緒にタクシーでおじさんのもとへ向かう事にする。

「お姫さんは俺の隣ねー」

 後部座席へ乗り込む翔平さんに手を引かれた私は、足を踏ん張り抵抗した。

「窓際が良いです!」

「あほか千歳飴。こういう時は一番チビが真ん中なんだよ」

「チビじゃないよ! 百六十二センチあるもん! 朔でも良いじゃん!」

「俺百七十三。千歳飴よりデカイから。さっさと乗れ、チビ」

「チビじゃないもん!」

「うっせ。ガキ」

「朔だって子供じゃない」

「中学生より大人だよ」

 私の背中をぐいぐい押してタクシーの中へ押し込もうとする朔と、それに抵抗する私。言い合いを続ける私と朔を笑いながら見ていた翔平さんに腕を引っ張られ、結局私は後部座席の真ん中へ収まった。

「シートベルトしてあげるねー、お姫さん」

「自分で出来ます!」

 セクハラ紛いに手を伸ばして来た翔平さんの行動は、素早く叩き落として阻止した。自分でシートベルトをしてから、真ん中の狭さにげんなりする。

「朔、狭い。もっと窓にへばりついて」

「これ以上無理だから、耐えろ」

「お姫さん、俺の方にもっと寄っても良いよー」

「ロリコンかよ。翔平さん、こいつ中学生だぜ?」

「ねー。惜しいよねー。高校生だったら口説いちゃうのにー」

 あははと声を上げ軽やかに笑った翔平さんの瞳が以外と本気で、怖くなった私は朔の方に身を寄せた。暑いからくっつくななんて怒鳴られたけど、肉食獣的な翔平さんよりもキャンキャンうるさい柴犬朔の方が遥かにマシなんだもん。

「私、彼氏います。売約済みです」

「あー、やっぱ? 同じ中学生?」

 そうだろうと思った、なんて言って笑った翔平さんの後半の言葉には首を振って見せながら、なんだか無性に洸くんに会いたくなった。ふとした時に思い出して、会いたくなる。顔が見たくなる。電話は毎日してるけど、声だけじゃどうしても足りなくて、優しいあの腕が恋しくて堪らない。絶え間なく送られるキスの雨に辟易していたくせに、今はそれが欲しくて欲しくて、二人を隔てる距離に泣きたくもなるんだ。洸くんも、私に片思いをしていた時にはこんな気持ちだったのかな。

「悟さんの息子さんです。十九歳」

「リアルにロリコンじゃねぇか」

 ぼそっと朔が失礼な事を言うから、ほっぺたぎゅうっと抓ってやった。

「いてぇっ! 千歳飴、あんまこっち来んな!」

「だって翔平さんの目が怖いんだもん!」

「お姫さん、大丈夫だよー。お兄さんは優しいよー。いくら美女でも十四歳は圏外かなぁ」

「姫があと五歳大人なら俺も彼氏から奪うんだけどな。十四歳かぁ……惜しい」

 助手席の旭さんが振り返り、笑顔で同意している。なんだか姫呼びが定着し始めちゃったけど、二人は直してくれる気はないみたいで指摘しても適当にあしらわれちゃう。目的地に付くまでの間、私の左側では朔がずっと不機嫌そうに窓の外を眺めてた。やっぱりデビュー話の今後が気になるんだろうな。

 不安で胸が押し潰されそうになりながらも明るく振舞ってみんなに話し掛けるしか、今の私に出来る事はなかった。

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